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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

神の存在証明

作者: 雪猫
掲載日:2026/10/17


彼の願いは「神の存在証明を得ること」である



神が存在しなければ、人類の存在も意味はない。


まず求めるべきは「神が存在することの絶対的証拠」である。


しかし神の直接的な証拠は得られない



だから「悪魔の存在を証明する」


「人間的・俗」ではない「超越である悪魔」の存在を証明出来れば、


「超越である神」の存在も証明出来る


「超越である悪魔」の存在証明は、「超越である悪」の存在証拠を掴めば良い


それが証明出来れば「超越である善」の存在も自ずと導かれ、


直接「善なる神」へと繋がる



「人間的・俗」を超えた「超越である悪」「超越悪」は存在するのか



善を探すよりも悪を探す方が、遥かに数が多く簡単なことは言うまでもない


証拠を探すならば無数の悪の方が遥かに可能性がある



彼は膨大な「悪」の収集・観察・記録・研究を始めた


犯罪の現場に足を運んだ


多くの犯罪者に面会に行った


多くの遺族や被害者の傷跡に触れた


戦場にも行った


生きていた者が転がっていた


眼の前で話していた人間が、物に変わり置き去りにされた


拷問の傷跡を見た


独裁者と支持者の狂信を見た


他の道を選ぶ前に選択肢を削られ、戦場へと向かわされる多くの国民を見た


死の臭いに慣れていった


虐殺の跡を見た


無数の涙も悲鳴も、無視出来ることを知った


優しさは条件付きで、条件が満たされることは少ないことを知った


「奴の手についた血の方が、私の手についた血よりも多い。だから私は善人だ」



この世界は既に地獄で、今までも地獄で、これからも地獄であることを知った





怒り、悲しみ、諦め、無力感


嘔吐し、体を壊し、傷ついていく自分の心を無気力に見つめながらも、歩を進めた


自分の考える「最低限」を何度も何度も遥かに下回る、この世界を



しかしそれでも、「超越悪」と思った悪は、


近づくと、「人間的・俗」に塗れていることが分かった


「超越悪」は毎回、見えない敵を見ようとする人々の想像の中にしか存在しなかった。





彼は失明した


体の傷ではなく


「何か」を見た後、突然目が見えなくなった


「何か」を思い出そうとしても思い出せなかった


少なくとも、彼は自分の心が限界を迎えたことを知った




彼は悪の研究をやめた


「神は存在しない」


それが悪を見続けてきた彼の、自然に出した結論だった




家へ帰り、休み、少しづつ目が見えるようになった


心は穏やかで、十分回復した


彼はそう思った




しかし、彼は気付かなかった


悪を眼前で無数に見続けてきたことは、彼の心を歪ませずにはおかなかった


彼は自分を観察者「のみ」のつもりだったが、犠牲者でもあった


悪への接近により、擬似的被害体験を繰り返すことで、


彼の心は、逃げ惑い追い詰められ引き裂かれ続けた



つまり、彼の心は、無数の「拷問」を受けていた



彼自身の決意と信仰心と、科学的思考という世の価値観により逃げ場を遮られ、


この世界の膨大な悪を眼前に見続ける、という拷問を受け続けた



拷問の前では、世に言う科学的視点・客観的視点など、何の役にも立たなかった



彼の強い心は、拷問の繰り返しにより壊され続けた


ありとあらゆる悪により、ありとあらゆる方向から


価値観に思想に感情に、拷問が加えられ続けた


表面に現れた心の不調や失明とは比べ物にならない程、


彼の心は、土台を掘り返され雑に埋め戻されたよう


上に建てた建物も歪んでいく


彼の心は根本から、歪み、弱く、変化した。


それまで彼自身を構成していた土台が壊され、打ち捨てられ、


見向くことも、触れることも、許されない。


幼き日の思い出も、友人恋人家族との思い出も、


心の奥底で今の自分を支えるもう思い出せないけれど確かにあった過去の体験も


悪のラベルを貼られ、絶対的な拒絶・無視・無効化が開始される


彼自身だった物が無数に打ち捨てられていく


彼の行き着く先、


残るのは、弱く歪み分離した人の痕跡


拷問は彼を徹底的に破壊し、刹那的な「今」しか持てない人間へと変えていく




悲劇的なことに、悪に対して、これほど弱い人間はいない



悪から逃げる道を失った者はどうするか


逃げる力を失った者は




彼は悪に取り憑かれた




彼の心はそれでもまだ強さを残していた



膨大な悪を見た経験が、身近な人々への当たり前の信頼感を嘲弄し続けるが、


彼はその思考を振り払った


身近な人々が集団で武器を持って彼を殺しに来るという妄想が確信を持って


浮かんできた時、彼は冷静にその確信を否定し続けた



しかし次第にそれらの思考への抵抗を失っていった


彼は「分かっていて」その妄想に乗っかることが出来た


悪に抵抗する理由を、思いを、彼は失っていた


彼自身を見る彼は「分かっていて」妄想を無気力に見過ごした


「殺しに来る前に、こちらからやらなければならない」


普通の人間が普通の人間のままで隣人を殺した姿を見た彼の目には


身近な者達と彼らの違いは見えなかった


それは、突然、何の前触れもなくやって来る


自分が先んじる必要がある


興奮と熱狂の中、行わなければならない





崖の上


相手は崖の端で海を眺めている


その背中に彼は手を伸ばす



震える手


頭の中で小さく響く、自分の心から溢れる、救いを求める声を


確信に満ちた命令の声が掻き消す



震えが止まらない


救いを求める声と心臓の鼓動が轟音となり、鳴り響く



それでも手は止まらない




相手が少し崖の下を覗く




今






手が止まった


こちらを凝視する目があった


目線に、息が詰まり、彼は動けなかった


目の端に、それはいた





それは、子どもの時の自分だった


それは、失明する直前の自分だった


それは、未来の自分だった



それは


『それ』だった





自分達が消え



『それ』だけが残った


『それ』は少し微笑んだ気がした



突然、彼は自分をとても恥ずかしく感じた



そして、『それ』も消えた





彼は動けるようになった


眼の前の相手への愛情を思い出した


身近な人々への愛情を思い出した


恥ずかしさの顔の熱さで


自分が生きていることを思い出した



許された気がした





眼の前の相手が、もしも許してくれるなら



自分を許せる気がした







数年ぶりに



自分の涙を頬に感じた







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