源頼朝の母、配信はじめました。〜投げ銭より先に飯を食え〜
初めて五千円の投げ銭が届いたとき、私は配信を止めかけた。
『給料日前だけど、御前の声で元気出た! 晩飯抜いて応援します!』
光る文字の横で、小判の絵が跳ねている。
私は菜箸を置いた。
「そなた、何を言うておる」
画面の外で、妹の真帆が両手を合わせる。ありがとうって言って、と口だけ動かしている。
「気持ちはありがたい。しかし、飯を抜くな。いま米はあるか」
『パックごはんなら』
「卵は」
『あります』
「よし。ひとまず温めよ。私はここにおる」
『投げ銭したら炊き出し始まった』
『お礼ボイスじゃなくて兵糧確認』
『この人ほんとに頼朝の母なの?』
「母じゃが」
『息子が幕府開いた方の?』
「そちらは、私の死後に勝手に」
真帆が椅子から落ちた。
◆
私の今世の名前は、早瀬ゆら。二十五歳。名古屋市在住。
スーパーの総菜売場で働いている。
前世では源義朝の妻で、頼朝の母だった。
いわゆる由良御前である。
前世を思い出したのは、小学六年生の社会の授業だった。
教科書に載っていた息子の名を見て、いきなり、着物の袖をつかむ小さな手を思い出した。
先生は「鎌倉幕府」と言っていた。
私は、あの子は魚の骨を取るのが下手だった、と考えていた。
その日は給食を残した。
あとから、息子の生涯を調べた。
伊豆。挙兵。鎌倉。弟との争い。
知っている地名の間に、知らない息子がいた。
私は平治の乱よりも前に死んだ。
寝所で聞いた子供の声より先のことは、一つとして知らなかった。
図書館から借りた本は、一度に読み切れなかった。
返却期限を延ばしたのを覚えている。
それから十年以上がたち、現代暮らしにも慣れた。スマートフォンは使えるし、電子レンジを陰陽術と思ったこともない。熱田神宮にお参りに行くと、少し実家に帰ったような気分になる程度だ。
ただ、動揺すると昔の口調が出る。
総菜の棚の前で「揚げたてじゃ」と言ってしまい、店長に妙な販売戦略だと思われている。
「それ、配信でやったら絶対おもしろいよ」
そう言い出したのは、四つ下の妹、真帆だった。
真帆は映像の編集会社を辞めたばかりで、夜ごと自分の貯金通帳を見ては、電卓を無言でたたいていた。私はその横で、売れ残りを買って帰ったコロッケを分けた。
「姉ちゃん、どの歴史ドラマにも文句言ってるじゃん」
「夫の美化が目に余る」
「ほら。その本人にしか言えないやつ」
今世の家族に前世の話はしてある。
母は「そうなの。じゃあ米といどいて」と言った。父は大河ドラマの質問をするようになった。真帆だけは、もっと変なものを拾った顔をした。
「『源頼朝の母が現代で生配信』。名前は、ゆら御前」
「私を見る人などおるか」
「やってみなきゃわからない」
真帆はコロッケを半分、私の皿に戻した。
「私、編集は好きだったんだ。会社は無理だったけど」
そこだけ、ふざけていなかった。
私は自分のスマートフォンを手に取った。
配信者の名前を登録する欄が出てきた。
ゆら御前。
前世の私がどんな声で笑ったか、本にはなかった。何を好きで、何を嫌いだったかも。
長い長い息子の物語の脇に、母、という字で座っていた。
登録ボタンを押すと、私の名前が画面に現れた。
◆
初配信の視聴者は四人だった。
一人は真帆。一人は母。一人は母と同じ部屋にいる父。
残る一人の名前は、『たまご特売』。
『初見です。何の配信ですか?』
「晩飯を作る」
『普通だ』
「今日は小松菜が安かった」
『現代に適応してる』
その日は、小松菜と厚揚げを煮た。
真帆が借りてきた照明は眩しく、鍋の湯気でレンズが曇り、途中から私の顔が完全に見えなくなった。
『降霊中?』
「すでに済んでおる」
翌日も『たまご特売』は来た。
翌々日には、七人になった。
歴史の質問も届いた。
『源義朝ってイケメンでしたか』
「顔はよかった」
『結婚したい』
「顔は、よかった」
『二回言った』
『やめとけってことか』
知らないことは、知らないと言った。
私が死んだあとの政治については、本を読む皆のほうが詳しかった。
流鏑馬をやれと言われたときには、断った。
「武家に嫁いだ女が全員、馬上から的を射ると思うな。そなたの母は、そなたの父の仕事をすべてできるのか」
『うちの母、父の会社の経理やってる』
「それは、できる側の母じゃ」
真帆はこのやり取りを短い動画にした。
翌週、視聴者が百人を超えた。
私は浮かれた。
配信のために買った木の盆を、意味もなく三度拭いた。
平安時代を舞台にした恋愛ゲームをやった晩には、さらに人が増えた。
美しい男が画面いっぱいに現れて、『今宵は必ず、お前のもとへ』と言った。
「来ぬ」
『まだわからないでしょw』
「この言い方は来ぬ。先に寝よ」
男は来なかった。
『経験者つよすぎる』
『攻略サイトより御前』
私はその男の絵を指でたたいた。
「文だけ美しくても、腹は立つからな」
真帆は声を殺して笑いながら、切り抜く場所に印をつけていた。
五千円の投げ銭を叱ったのは、配信を始めて二か月目のことだ。
パックごはんを温めた視聴者は、卵も食べたと報告してくれた。
私はようやく礼を言えた。
その日の動画に、真帆はこう題をつけた。
『源頼朝の母、五千円より卵を優先する』
朝起きると、知らない人たちが、私の台詞を真似していた。
◆
半年で登録者が五万人になった。
配信の名前は『ゆら御前の夕餉どき』。
火曜と金曜の夜七時から、料理、ゲーム、ときどき雑談。
私は総菜売場の仕事を続け、真帆には収益から編集代を払った。明細を渡したら、真帆はしばらく数字を見つめていた。
「私の仕事で入ったお金だ」
「そうじゃ」
「姉ちゃんの妹代じゃなくて」
「妹に金を払うなら、ずいぶん滞納しておる」
真帆はその晩、いいアイスを買って帰った。
常連たちのことも、少しずつ覚えた。
遅番の日にはアーカイブを見る人。料理のできない父親。試験の前だけ来なくなる学生。
最古参の『たまご特売』は、いつも「今日はこれ作った」と短い報告をくれた。
目玉焼きが焦げなくなり、みそ汁に具が二種類入り、とうとう休日に煮物を作った。
『来週、遅番になります。生では見られなくなります』
「勤めを果たして参れ。鍋は逃げぬ」
そう言ったくせに、次の配信で、私は何度もコメント欄にその名前を探した。
五万人もいるのに、一人が来ないのがわかった。
そのころ、新人配信者の大会から招待が届いた。
配信サイト『ヨナギ』主催。
新人王決定戦、『天下取りライブ』。
予選を勝ち抜いた四人が決勝に進み、二時間の特別配信で競う。
順位は、一分ごとに数えた視聴者数の合計で決まる。大勢に長く見てもらうほど、有利になる仕組みだった。
優勝者には賞金百万円と、半年間の公式番組。
真帆は応募要項を、画面がすり減りそうなほど読み返した。
私は公式番組の文字を見ていた。
自分の名が番組表に載る。
小さな「母」の字だけではなく。
「やろう」
私が言うと、真帆の顔が明るくなった。
「母子二代で天下取り、いける?」
「息子にできて、母にできぬ道理があるか」
言ってみると、ひどくよい響きだった。
◆
決勝に残った。
予選では、平安恋愛ゲームの男を全員ふって一位になった。
真帆は「攻略の概念がおかしい」と言ったが、勝ちは勝ちである。
私たちは、決勝用に新しいマイクを買った。
鍋の中を映すカメラも買った。
公式番組が始まったら使えるから、と、二人で何度も言い合った。
決勝の相手には、『カジ丸』という若者がいた。
ゲームがうまく、よく笑い、負けると誰より悔しがる。事前の合同配信では、私のマイクの音が割れているのを教えてくれた。
「御前、決勝は勝たせてもらいますよ」
「こちらも、そのつもりじゃ」
画面の向こうの若者が笑った。
私は笑い返しながら、彼の視聴者数を見ていた。
決勝までの二週間、私たちは配信を増やした。
真帆は昼から編集し、私が総菜売場から帰ると打ち合わせをした。夕飯は画面映りのよいものになった。冷めても、撮り直しがあるうちは食べられなかった。
「ここの間、もう少し短くできる?」
「うん」
「冒頭で落ちる人が多いから、最初に笑いどころを」
「うん」
真帆の返事は、いつのまにか「うん」だけになっていた。
ある晩、机の脇に置いたおにぎりに、朝になっても手がついていなかった。
「真帆。これ、食べてない」
「姉ちゃんだって昨日、お弁当半分残したじゃん」
私は何か言おうとして、先に鳴ったスマートフォンを見た。
決勝の告知動画が、これまでで一番伸びていた。
真帆にも見せた。
二人で喜んだ。
おにぎりは、冷蔵庫に入れた。
◆
決勝当日。
私たちの企画は『前世に置いてきた夕餉を、今夜』だった。
古い料理を再現するのではない。
もしも私が、あの家族にもう一度飯を作れるなら、何を作るか。
子供たちの思い出を話しながら、現代の食材で一膳を仕上げる。
最後は、頼朝の話をして、炊き上がったごはんをよそう。
真帆の進行表には、そこが赤い枠で囲まれていた。
時間は午後六時から八時。
始まると同時に、見たことのない数のコメントが流れ出した。
魚を焼けば、『頼朝も食べた?』。
みそを溶けば、『これは泣くやつ』。
笑ってもらおうと話した子供の失敗に、泣き顔の印が並んだ。
私は包丁を持ち直した。
右上の順位は、一位と二位を行ったり来たりしていた。
『カジ丸のとこ、いま何人?』
『御前が上がった!』
『ここから一人も抜けるなよ!』
私は三つ目のコメントを読み上げた。
「うむ。最後まで、ともに戦うてくれ」
真帆が小さくガッツポーズをした。
午後七時二十分。
長く画面を見ていたせいか、目が乾いた。横を向くと、真帆がペットボトルの水を飲んでいた。その手が細く見えた。
気づかないふりをして、私は息子の話を始めた。
「あの子は、人前ではよく背を伸ばしていてな。まだ小さいのに、皆が見ておると思うと――」
『でも頼朝って身内に冷たいじゃん。母親なら何とかしてよ』
言葉が止まった。
すぐに別のコメントが流れた。
『母は先に亡くなってるよ』
『設定にガチで突っ込むな』
『アンチ構うな、順位落ちる』
知っていた。
いつか、そう言われるのは知っていた。
私は本を何冊も読んだ。違う見方も、時代が違うという説明も、覚えた。うまく話せば、いまの場を切り抜けることはできる気がした。
「私が知っているのは」
けれど、出てきた言葉は別のものだった。
「私が知っているのは、私より先に眠くなる子じゃ」
台所の換気扇が、ごうごうと鳴っていた。
「そのあと、あの子がしたことを、母だからというだけで、よいとは言えぬ。何を考えておったかも、本人に聞けん」
私は指先についた水を、布巾で拭いた。
「私は、そこにおらなんだ」
コメントの速さが、わずかに落ちた。
真帆が、頼朝の話を終える予定の時刻を指した。
私はうなずき、鍋の蓋に手をかけた。
そのとき、見覚えのある名前が目に入った。
『たまご特売:休憩です。十五分だけ応援しに来ました』
ああ、来てくれた。
その下に、別の人が書いた。
『大接戦だよ。飯より御前、あと少し!』
『たまご特売:おにぎり後で食べます。画面つけて戻ります』
おにぎり。
私は横を見た。
真帆の足元に、買い物袋があった。昼、配信前に食べようと買ってきたおにぎりが、透明な包みの中に二つ。
私たちは昼も食べていなかった。
カメラの前では、魚がきれいに焼けていた。
みそ汁の湯気が、照明を受けて白く輝いていた。
画面の中にだけ、立派な夕飯があった。
私は進行表を見た。
赤い枠に、『頼朝への言葉→配膳→感動の締め』と書いてある。
真帆一人が考えたのではない。
二人で考えた。
私は前世の息子に飯を食わせる話をしながら、目の前の妹を空腹のまま働かせていた。
「真帆」
「あと三十分。大丈夫、いける」
彼女の目が順位を追っていた。
私も、まだ見たかった。
百万円。公式番組。私の名前。
冷蔵庫に入れたおにぎり。
私はコンロの火を止めた。
「そなたは、何を食べたい」
真帆がこちらを向いた。
「いま?」
「いま」
「……あったかいやつ」
小さな声だった。
◆
私はカメラを見た。
「これより、夕飯にする」
『きた!』
『頼朝御膳完成?』
「その前に。たまご特売どの。休憩なら、いま食べよ。仕事に戻るなら、配信は閉じてよい」
今度は、コメントが止まらなかった。
『いや負けるぞ』
『視聴者帰したらポイント減る』
『公式番組どうするんだよ』
「欲しい」
私は正直に言った。
「百万円も欲しい。マイクを新しくしたゆえ、かなり欲しい」
真帆が、変な声で笑った。
「ゆえに、腹が減っておらず、用事もない者は残ってくれ。おもしろくするつもりはある」
私は炊飯器を開けた。
「ただし、飯を抜いてまで見よとは、言えぬ。さっきの『最後まで戦え』は取り消す。すまん」
茶碗を二つ出した。
カメラに映らないほうの椅子を引き寄せる。
「真帆、食べてから、また手伝って」
彼女はしばらく、マウスに手を置いたままだった。
「ほんとに、いまから逆転するところだったんだよ」
「うん」
「すごく考えたのに」
「うん。あの動画、私も好きじゃ」
真帆は下を向き、それからヘッドホンを外した。
「私、大盛り」
私は真帆の茶碗に、飯を足した。
『たまご特売:じゃあ食ってきます』
「うむ。よく噛め」
『子供迎えに行かなきゃだった。帰ってから続き見る』
「待たせるな。参れ」
『カジ丸にも挨拶してきていい?』
「そ、それは」
真帆が、みそ汁を持ったまま私を見た。
「……よい。あの若者にも、飯は食うたかと聞いてくれ」
『今すごい葛藤したな』
『天下取りの欲がまだある』
「あるに決まっておろう」
画面の右上で、順位が二位になった。
私は痛むような思いでそれを見て、焼き魚の皿を真帆に渡した。
「骨に気をつけよ」
「二十一歳です」
「承知した」
自分の箸を取ると、画面に新しいコメントが流れてきた。
『一緒に食べていい?』
「無論じゃ」
『今日カップ麺』
『おれ昼の残りのカレー』
『こっちは時差で朝ごはん』
さっきまで順位の話ばかりだった画面に、他人の食卓がぽつぽつと現れた。
豚汁。冷凍餃子。トースト。コンビニのおでん。
『御前、そのみそ汁、具は何?』
「小松菜と厚揚げ」
『初回と一緒じゃん』
「うむ。今日も安かった」
真帆がとうとう、口を押さえて笑った。
私はその顔を見てから、カメラへ向き直った。
「では、手を合わせて」
いただきます、と言った。
昔の息子が、向かいにいるわけではない。
これで昔の何かが、やり直せるわけでもない。
真帆が魚をほぐしていた。
自分の茶碗から、湯気が上がっていた。
私はその晩、初めて、自分がひどく腹をすかせていることに気がついた。
最後の三十分は、食べながら話した。
私が総菜売場で、コロッケの入った箱を「兵糧」と呼んでいること。真帆が編集会社を辞めた日に、アイスを二個食べたこと。今世の父が、私の配信に一度も投げ銭をせず、代わりに米を送ってくること。
『お父さん正しい』
「まことに」
食べ終わるころ、別の配信画面を撮った短い映像が、運営から届いた。
カジ丸がゲームの合間にバナナを食べていた。
『御前が飯食えってうるさいらしいんで!』
「素直でよろしい」
こちらのコメント欄にも、笑う顔が並んだ。
◆
新人王には、カジ丸がなった。
私は二位だった。
公式番組も、百万円も、手に入らなかった。
カメラの支払いは残った。
真帆は、配信が終わると泣いた。
「悔しい」
「私もじゃ」
「次は途中で方針変えないでね」
「約束する。先に飯の時間を入れよう」
彼女はうなずいて、私の肩に額をつけた。
私はその背中をたたいた。
泣きやむまで待ってから、冷めたおにぎりを二人で冷凍した。
翌日、私は総菜売場に立った。
店長に「おしかったね」と言われた。
「次は優勝です」
言ってから、真帆に叱られそうだと思った。
大会のあと、登録者は増えた。
しかし、全員が毎回来るわけではなかった。晩飯を食べに去る人も、別の配信に遊びに行く人もいる。
私は見送る台詞だけ、ずいぶんうまくなった。
カジ丸とは月に一度、ゲームをするようになった。
私が負けると、彼は必ず「息子さんのほうが天下取りうまいっすね」と言う。
私は毎回、本気で腹を立てる。
八か月後、小さな調理器具の会社から、定期番組の依頼が来た。
大会のあとも続けていた夕飯配信を、担当者が見ていたらしい。
真帆は今度も契約書を何度も読み、私たちは番組の名前を相談した。
打ち合わせで、担当者が言った。
「『源頼朝のお母さんの台所』という案もあるのですが」
悪い名前ではなかった。
目に留まる理由も、よくわかった。
「『ゆらの台所』にできませんか」
私は言った。
「それでも来てくださる方が、いまはおりますので」
隣で真帆が、私の好きな青色の表紙の企画書を開いた。
◆
新番組の初回。
画面に出た『ゆらの台所』という文字を、私は少し長く見ていた。
調理台の下で、真帆が親指を立てる。
私は同じしぐさを返した。
『たまご特売:今日は休みなので最初から。小松菜買ってあります』
「よし。今日は卵も使うぞ」
いつもの名前の間に、初めての人がいた。
『初見です。この人、誰のお母さん?』
私は袖をまくり、包丁を取った。
「頼朝の」
それから、カメラを見て笑った。
「あと、ゆらという配信者じゃ。よろしくな」
挨拶の文字がいくつも流れた。
その中に、金色の小判が一枚跳ねた。
『カジ丸:番組開始おめでとうございます! 五千円!』
「飯は」
『食いました!!』
「よろしい。ありがとう」
私はようやく、安心して投げ銭を受け取った。
――了――




