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七 横浜・バブルのあと

それから三年後の一九九四年の春、土田が岳父の建一の跡を継いで社長に就任した。

「お前の好きなようにやれ」

と、建一に言われていたが、この頃になると、目先の仕事も二、三年先の仕事も含めて、目ぼしいものは殆ど入っていなかった。

建設業界の景気のサイクルは、通常の事業会社より二、三年遅れて来る。日本経済のバブルがはじけたのは確か一九九〇年~一九九一年頃と言われていたから、建設バブルがはじけたのは一九九三年の秋頃だ。この頃まで、この業界は十年くらいとても良い時代で、コストに利益を乗せて値段が決まっていた。実際には利益以上の手間を乗せる業者もいて設備投資や在庫投資、国内工場の拡張も競って行われた。ところが一九九四年からは突然仕事がなくなった。いや、なくなったのではないが、仕事の総量が激減するのと同時に、受注単価が暴落を始めたのだ。土田はこの年に社長職を引き継いだ。

この時の土田は、

「とにかく、大変なことになった」

と思った。元々土田も金融機関にいた訳だから、この会社のかなりドンブリ勘定的な経理や財務のことは、非上場の中小企業として、色々不明瞭、不透明な点はあったにせよ、ある程度は把握してきたつもりだったし、その他にも、石材を使用する仕上げ工事の図面を書いてみたり、中国を含む仕入れ先に出向いての商談の他に、バブル崩壊に備えて、ある程度、新規案件獲得のために、ゼネコン各社の現場や設計事務所、あるいは古巣の銀行や取引先商社に紹介してもらって、施主への直接的な営業も行い、幾つかの工事の受注にもつなげていた。「木場の美術館とか、幾つか工事の受注も無いことはないけど…」と、目先の仕事の数量と金額を数えてみたが、建設バブルの崩壊は土田が考えていたようなそんな生易しいものではなく、土田建材の社長引継ぎ時の受注量は、北関東の自社工場と技術部門の図面職に廻す十分な仕事量には到底足りず、一九九四年の売上予想は前年の半分近くまで落ち込むという、突然の「恐ろしい」数値となった。

さらに、先々の工事を見越してイタリーやフランスから輸入した最新鋭の加工機械は、不十分な仕事量の下では稼動率が上がらず、単に減価償却負担と建屋内に占める面積を徒に増やすだけの存在と化し、また、これもある意味同業者と先を争って仕入れたカナダやブラジルの原石のストックも、単価が値崩れした市場の現況の下では、日本の工場で製品に加工すればするほど赤字が膨らむ、という逆転の構図となり、少し前までの優良在庫は一転して「不良資産の塊」と化してしまった。

(それでも何とか生きていかなくては…)

土田が古参の営業の浜田らと話している。

「坊ちゃん、いや、社長、とにかく今は、ウチの工場をフル稼働にするのに、半分くらいの仕事しか入ってません」

「それは、わかってます。とにかく毎日営業して仕事入れましょう」

「でも、今入れられたとしても、会社の売上計上は『工事完成基準』ですから、今期から売上は半分くらいになってしまいますよ」

「そうね。でも美術館の工事とか、今期の稼働にはあまり貢献しないけれど、売上が立つものはあるよね。経理の永井さんはどう思う?」

「ううん、大体ですけど、前期の六割くらいじゃないかと…」

「それだと全体的に『粗利(あらり)』(売上総利益)も出なくなっちゃうね」

「そうですね。『粗損(あらぞん)』ってことになります」

「間接費の方はともかく、個々の工事の採算はどうなの?」

「どうなのって、社長、あんな単価で仕事取って来たんじゃしょうがないでしょう。石代は中国材の価格に引っ張られちゃうし加工も中国でやるところが増えて来ましたからね。現場の職人さんの手間も下げてもらわないと…」

「でも、ウチは工場の親方も現場の方も、一番上手いんだから…」

「そんなこと言ってたらブローカーに全部取られちゃいますよ。とにかく何とか『粗利』が出るように親方衆にも相談して、採算を組み直してください」

「そうだね。急にひどい事になりましたね。それより、問題は資金繰りだよ。極端な話、採算はどうでも、おカネが廻ってくれれば給料は払える訳だし、材料代や工場の水道光熱費も払えるでしょう?」

「しかし、社会保険料とか、税金も結構かかりますよ。港に置いてある、全然売れてない原石の置き場代もあるし…」

「あゝ、あれは親父が、どこだっけ?北欧のどっかの山に行って、『この山の石、ひと山全部買った』って言っちゃったヤツだろう」

「そうです。あの石、硬くてツヤが出て物性はいいんですが、硬いから切ったり磨いたりの加工費が余計にかかるし、とにかく地色が暗くて地味なんで、売りにくいんですよね」

「まあとにかく、どこの現場に行っても、話のついでに『この石もお願いします』って話に出してもらうよう、営業に徹底しよう」

「いや、営業ったって、ウチは図面書きばっかりで、営業は実質社長と私の二人だけですからね」

「あゝ、そうだったね、親父は『いい仕事してれば営業なんかいらねえんだ』って言ってたからね」

「今は、そうじゃないですよね」

「そりゃそうだ。今のところは人もいないんで、とりあえず工事部の図面の人にも、この石、現場で拡販してもらうように、私からお願いしましょう」

「そうですね」

「資金繰り表の方は、こないだ僕が作った『お小遣い帳』の形式で良いから、永井さん、一年半分くらい作っておいてください。毎月の入金の予定を入れてから、残額が少し残るように、支払いの予定を立ててみてください。入金の予定はこないだ渡したでしょう」

「あれ、でも、社長の入金予定はちょっと甘いですよね?」

「ごめん、ごめん。僕の希望的観測というヤツも入っているからね。もう少し堅い数字も出しますよ。とにかく、僕も数えてみるけど、二人で別々に数えとく方がいいでしょう」

「わかりました」

と、この頃は概略こんな会話をしていた。

***

冬を迎えた風の強いその日の午後、土田は横浜みなとみらい地区の海沿いの現場に立っていた。

「みなとみらい、みなとみらい…」

この言葉を会社の会議で何回聞いただろうか。良く知られたことかと思うが、このエリアは日本を代表する企業グループが古くから土地の大半を保有していたが、日本経済の発展、更にバブル経済の膨張もあって都心のビル用地が慢性的に不足する事態となり、こうした状況に対応して、東京に隣接する横浜みなとみらい地区の中に、オフィスや住居スペース、ホテルや会議場や美術館まで含めた諸々の施設を、高層ビル群を主体として建設、収容していこう、といった開発計画で、二十年、いや三十年ほども掛けて実現された一大プロジェクトであり、これを手掛けた施主である企業グループと施工の主体を担った大手ゼネコンだけでなく、土田建材も含めた中小の建設下請け企業も会社の全力を注いで取り組んだプロジェクトであったと思う。

土田建材はと言うと、先代の建一が「最後の仕事」だとして、施主会社に様々な石種を売り込んで、メインとなるタワー棟の外装工事や明治時代に船の艤装などに使った石造りのドックの移設復元工事、更に隣接する大手銀行の本店工事などを受注しており、それら工事の大半が土田の社長就任の前年に竣工して、その年の決算は、売上、利益とも最高となっていた。しかるに、土田が社長に就任した年以降の市況は、前記の通りまるで崖から突き落とされでもしたかのように仕事量が激減し、それに伴って仕上げ工事の受注単価も一気に暴落していった。

午後一時からの昼礼で、下請けの当番で八百人ほどの作業員を前に一〇分程度の「安全講話」を行った後、土田が現場事務所に入った。所長室の前に、三人掛けの丸テーブルがいくつか置いてあり、副所長と工務長、工事課長の三名が、その一つを囲んでいる。

土田が副所長の神谷に声を掛けた。

「神谷さん、ウチの見積もりですけど、前原所長に回していただけましたか?」

「あゝいや、所長がね、数量拾いおかしいからやり直せって。今月はもう駄目かもな」

「いや、そりゃ困りますよ。材料も仕入れてるし、月末に職人の支払いもありますから」

「君んとこは、小口仕上げとか取り合い部の切り込みとか、細かく拾い過ぎなんだよな」

「だって、実際そういう作業ある訳ですから」

「前原所長がねえ、君の会社、あんまり好きじゃないんだよね」

「いえ、好き嫌いの問題じゃないですよね。見積もり三回目だし、今度のは正確ですよ」

「わかった。とりあえず今月の末締めの分から請求していいよ。カネ出さないと職人さんいなくなっちゃうんだろ?」

「はい、とにかく、支払い遅らせられないんで、助けてください」

副所長が仮決めしてくれて、今月から何とか請求が出来ることになった。

結局、この現場の受注単価は、建設バブル最後の隣接現場と比べ、良くても六掛け程度になってしまうと堤は思っていたし、実際、その通りになった。堤と同じ仕上げ材業者は当時の日本全体で二百社もあり、零細ながらそれなりに棲み分けをして生き延びてきたが明らかに数が多過ぎた。

同業で、堤の会社のように、工場設備や在庫や従業員を多数抱えているところは七、八社で、これらは、まだ、コストプラス適正利潤で見積りを出していたが、この頃になるといわゆる商社というか、工場を持たずに、図面も加工も現場取付も全部外注でやる業者が現れた。これらの会社の特徴は、特定のスーパーゼネコンに特化して食い込んでいるという点であった。今回の現場にも、そうした会社が一社入っていた。そして、そういう会社は、決まって、コストを度外視した値段を出してくるのだ。人数がいないから間接経費がかからないのはわかるが、それでも、堤の出した見積もりの半値は当たり前で、それは、材料をすり替えたり、デイテールの手間を拾わなかったり、後は三次、四次の下請けを叩いて出しているようだった。また、こうした工場を持たない所謂「ファブレス」の石屋はすでに複数の中国材を、原石のままではなく、板に挽いたり、敷石などに製品化して輸入し、中国の安い人件費を武器にして、恐ろしく安い価格で攻勢を掛けて来た。

詳細は省略するが、建設バブル崩壊後のこの現場の予算は隣の現場の半分以下になり、前回はビル外壁のてっぺんまで使ってもらえた土田の会社の外装材はわずかに外構の床と低層周りの一部の外壁のみとなった。内装材も、前回のようなイタリーやスペインの硬くて光沢のある素材から当時流行り始めたポルトガル産の中級品に変更された。そして土田の会社の工区で使われたのは、白くて柔らかい、従って単価の安い中国の素材、福建省の「六〇三」に決定された。土田が調達の橋口と四年前に丁場を訪問したこの石種は、その安定した生産量と稲田石に似た地色と斑模様が日本の顧客に好まれ、横浜の現場と前後して晴海の再開発など更に予算の厳しい都内の複数の現場でも敷石などに多用されるようになり、次第に中国で製品化した敷石や壁材に仕上げて輸入されるようになっていく。

土田は自分達の仕事がこの現場では殆ど注目されていないと感じるようになった。



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