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三 上海

土田は、その後も青島には複数回出張した。鉄鋼商社の広岡はどちらかというと大手総合商社があまり行かないような、アジアやアフリカや中南米の田舎町にも良く行く男で、最近では中国の地方都市にも相当詳しくなっていた。

「土田建材はずーっと青島にご執心だけど、福建省の方にも行ってみたらどうですか?」

「いや、広岡さん、私としては最初からあんまり手を広げないで、とりあえず山東省をもう少し掘り下げてみようと思ってるんですよ」

「そうですか。でも、山東省の人は、まあ大体真面目なんだけれど、少し器用さに欠けますよねえ。そこへ行くと、福建省の人は商売人だからね。話が早いし、こっちのペースに直ぐに付いて来てくれるようですよ」

「まあ、でもウチみたいな会社は、少し鈍重でもすごく真面目くらいの気質の方が合いそうなんだよね。ウチは北関東の会社だしね」

「そんな事言ったら、北関東の人に失礼でしょう?」

「アハハハッ」

しかし、今は知らないが、その頃の中国の進歩のスピードというものは、土田たちの想像をはるかに超えていて、感覚的には日本の十年分を一年で追いついてしまうような、所謂(いわゆる)「ドッグイヤー」の感覚だった。五金公司と契約した翌年に青島を再訪してみると、ダイナスティホテルの前のロータリーには明るい街灯が付き、ホテル自体も、ロビーの野暮ったかった角柱を円柱形の人造大理石で覆ってファンシーな丸柱にしてみたり、壁紙を細かい花柄の明るいものに変えたり、天井には左官を入れてモールディングを施し、シャンデリアも変えて全体を洗練された雰囲気に改修していた。従業員は去年と同じ顔ぶれだったが、ネームプレートには昨年までの「孫」とか「周」という本名ではなく、男の子は「スティーブ」だとか、「ジョージ」とか、女の子は「エリザベス」とか、「マリア」とか、色々な西洋風の名前が付けられていた。

(誰がスティーブだよ?)

と思ったが、このホテルに、昨年、シンガポールの資本が出資したそうで、確かにスティーブの接客態度も去年とは様変わりしていた。電力供給も一年で随分改善したらしく、街全体が明るくなっていた。

「ホテルの照明も明るくなりましたね」

「そうですね。エリザベスのチャイナドレスの切り込みも去年よりだいぶ深くなった感じですなあ」

「広岡さんはそこばっかり見てるんじゃないの?」

「いやあ、シャンデリアが明るくなったせいですよ」

「そうなんだ」

山東省五金公司からの材料調達の方もまずまず順調と言って良く、薄紫色の山東省三○六の原石は、契約から一年半ほどで日本に入れることができ、土田はこれを始めのうちは敷石などに使ってみて、問題が無さそうだと判断できたところで、多摩地区の公共建築物の外壁などに使い始めた。

「青島も一年で随分変わりましたね」

「確かに。中国は何でも早いねえ」

「広岡さん、加工工場の方は何か良い処が見つかりましたか?」

「いやあ、山東省の方はまだダメですねえ。福建省の方が材料を取る山も加工工場も数は多いんだけれども、まだ大きい処はありませんねえ。むしろ上海や広州の方に台湾や香港資本の合弁工場の話が出てきてますけど…」

「でも山東省の石を横持ちで運ぶのにお金がかかっちゃうね」

「まあ、でも、一度調べた方がいいんじゃないですか?」

「そうだね」

ということになり、結局二人で上海に飛ぶことにした。

***

青島から上海へは、海岸に沿って飛行機で二時間ほど南下する。もう少し足を延ばせば香港やその対岸の広州まで行けるはずだが、

「日系が今盛んに出ているのは上海の方でしょう」

という広岡の話もあり、とりあえずその情報に従った。

上海は、当時も今も中国最大の商業都市であって、米国のニューヨークや日本の東京と比較される中国随一の近代都市である。市の中央を長江の支流である黄浦(ふぁんぷう)(じゃん)という大きな川が蛇行して流れており、その東側を(ぷう)(どん)地区、西側を(ぷう)西(しい)地区と言う。この頃は川の東岸の高層ビル群はまだ影も形も無く、新しい浦東空港も、空港と新市街を結ぶリニアモーターカーも無かった訳なので、土田たちは川の西側の(ほん)(しゃお)空港に着陸すると、黄色いタクシーをつかまえて、旧市街に向かった。

土田が驚いたのは、上海のタクシーはこの当時八十年代の半ばにして既に殆どがフォルクスワーゲンの現地生産車だった事だ。確か、義和団事件を描いた昔のハリウッド映画で「北京の五十五日」というのがあって、チャールトン・ヘストンやエバ・ガードナーが出ていた大作だったが、北京に進駐した連合国軍はフランス、イギリス、イタリー、ロシアなどが中心で、ドイツや日本はやや影が薄かった印象である。しかし少なくとも中国の沿海部については、当時からドイツのプレゼンスが強かったようなのだ。欧州と中国を結ぶ最初の飛行機の直行便は、確かエールフランスのパリ=北京便だったし、フランス人の気質と中国の中華思想にある種の共通点を感じる人も多かったりして、土田としては中国と親しいヨーロッパ諸国といえば、「昔はイギリス、今はフランス」かと思っていたが、商売の方は昔からドイツが抜け目なく食い込んでいたようで、そう考えると、最近までのドイツの首相の一貫した中国重視と、対する日本への露骨な冷淡さも(うなず)けるような気がした。

さて、土田がつかまえた上海のタクシーは、空港から旧市街の方に向かってかなりのスローペースで走っていた。空港と市街との間には上海動物園があって、パンダもいるらしいのだが、とりあえず早くホテルに入りたい。

「二十分くらいで着くはずなんだが…」

と運転手に聞こうとすると、車が不意にガソリンスタンドに入った。少し心配でメーターを見ていたのだが、まだ空港から八キロくらいしか走っていなかった。

「ガス欠なので、ガソリン入れます」

と手ぶりを交えて言っていたようなのだが、その間も彼のタクシーのメーターはしっかり動いていた。当時から、東京の飲食店で働く中国人の若い男女は多かったが、上海以外の土地から来た人に、

「上海の出身ですか?」

と聞くと、少し怒って

「違います」

という人が意外に多かった。今は知らないが、上海人の気質があまり良くないという固定観念のようなものが当時の中国の平均的な若者にあったようなのだ。

「上海の出身ですか?」

と聞いて、

「違います」

と答えるのは、

「上海出身ではありません。私はもっと真面目な人間です」

ということらしい。後から付き合ってみると、上海でも立派な人が沢山いたのだが、このタクシーの運ちゃんは、当時の東京のタクシーの乗車拒否などと意味合いは少し違うが、都市部特有の「すれっからした」男のようだった。

四十分ほどして漸く旧市街の宿舎に到着した。荷物を解いてから土田と広岡が夕暮れの街に出てみた。九月中旬頃の事で、まだ夏の暑さが十分に残っていたせいか、黄浦江の河岸に大勢の人が集まっていた。浦西側の河岸に沿って歩道の付いた幹線道路が走っており歩道の川側のへりにはコンクリート製の手すりが設置してあり、街の人たちの多くがその手すりにもたれ、まだ目ぼしいものが何もない対岸の浦東地区を眺めていた。川から夕暮れの風が吹いていた。

「皆、河岸で夕涼みという訳ですな」

「そうだね。幹線道路のヘリでちょっと味気無いけど、対岸の浦東の方はまだ緑が多くて少し涼しい風も吹いてくるじゃないですか」

「若いカップルも多いですなあ。恋人たちの時間ですかな」

「良くわからないけど、ともかく上海の人は、服装も結構カラフルで垢抜けた感じだし、中国の中では今一番豊かなんじゃないですかね」

「そうですね。まだこれからどんどん伸びますよ」

「そうだよね。ところで、広岡さん、あの道路沿いの銀行みたいな建物が沢山建っているのは何ですかね?」

「ああ、えーと、ああ、あのイギリスの古い銀行風の建物が並んでるヤツね。あの辺は、昔の英国の租借地だった所らしいですよ」

「へえ。何か、今でも使ってるみたいですね」

「はい。銀行のままのところもあるみたいですが、大体は事務所かホテルに改装して使ってるようです」

「あの裏までが旧イギリス人街で、夜中までやってるジャズハウスもあるそうですよ」

「ああ例の風間杜夫と松坂慶子の『上海バンスキング』の舞台になったような処ですね」

「そうそう」

「イギリス人街の跡は、結構残ってるんですね」

「はい。イギリス人街だけ、建物や昔の区画が残ってるらしいです」

「というと?」

「フランス人街や日本人街の方は、跡形も無いらしくて…」

「そうですか」

確かに翌日の午後、広岡と浦西の旧市街をひと通り歩いてみると、フランス人街の跡は雑然として何も残っていなかった。日本人街の跡も同様だった。現在の世界の論調は、満洲国を設立して東北部を占有していた日本が何かと目の敵にされており、それを日本の左向きの自虐者たちも常に強調しているが、阿片戦争や義和団事件の頃から、この国は欧米列強の食い物にされていたのが良くわかった。しかしこの国の人達はそうした傷跡のような施設も上手に再利用しつつ、浦西の旧市街には明朝時代からの古い寺院や街並みも活況を保ちながら維持する強かさ(したたかさ)を有していた。

そんな上海の旧市街を散策しながら、土田や広岡のような日本の一般的な中級のビジネスマンは、

「この中国の力が本当に国の外に出て行くのはいつになるのだろう」

「日本の会社は、ここで商売をしながら、この国の人たちにどういう手助けができるのだろう」

などと、のんびり考えていた。

上海では五金公司の支店の他、日系の商社や銀行の駐在とも面談したが、その頃はまだ現地法人を構える日系企業は少なかった。土田は訪問の最後に、会社の主力銀行の上海駐在員事務所に赴任して来たばかりの、田附(たづけ)剛三という所長と面談した。

田附は土田より三つほど年上だがこの頃はまだ独身で、本店では総合商社の外国為替取引などを主に担当し、大きな資金を動かしていて、この後はニューヨークかロンドンにでも行くのかと、周囲も本人も多少は予想していたようなのだが、意外や新設の上海事務所の所長に転出して、本人も多少戸惑っていたようだ。やや異例の人事とも思われたが、逆にその当時の主力銀行の中国市場への注目度の高さを示しているとも思われた。土田とは田附が本店営業部の時代に多少の面識があった。

「田附所長、お久しぶりです」

「土田さん、お元気そうですね。今回はどういう…」

「ああ、その、山東省で材料の検品をした帰りです」

「なるほど」

「所長はお一人で来られたのですか?」

「はい、この歳で、まだ一人者ですから」

「ああ、そうでしたね。こちらに来られる前にお見合いとかは?」

「いやあ、銀行の仕事が忙しくてね。為替のディーリングが長かったでしょう。結婚したって時間が取れないし、俺と結婚したって相手が可哀そうだと思ってしなかったんだね」

田附は四十を少し過ぎた働き盛りだ。均整の取れた筋肉質の身体の上に、ゴルフ焼けした少しブツブツのある色黒の顔が載っていて、度の強い縁なし眼鏡と細かく掛けたパンチパーマが銀行員にしてはやや強面(こわもて)の印象だったが、話しぶりは柔らかだった。

「このお店は、そのうち支店に昇格させるんですか?」

「はい。他行がどんどん手拡げてるんでね、ウチの本部も早くしろと言ってましてね。今日も、これから女の子の面接ですよ」

「どれくらい採るんですか?」

「この前までに二人採用して、今回はあと三人採るんですが、応募はもう五十人以上来てまして、それが皆優秀で学歴も高くて、選ぶのが大変なんですわ。日本の新卒よりよっぽど優秀ですよ」

「日系企業は人気があるんですか?」

「いやあ、やっぱり欧米系が一番人気なんですが、日本の学生みたいに英語習ったり、アメリカに留学したりっていうお金はまだ無い家が多いようで、日本語習う方が安いらしいんですよ。だから今は本当に優秀な人が来ますよ」

「そうですか。じゃ、採用頑張ってください」

「いつお帰りですか?」

「青島に戻って、明後日の飛行機で帰ります」

「何だ。また青島に戻るの?」

「向こうが、帰る前に、どうしても見てもらいたい材料があるって言ってましてね、それが明日準備が出来るらしいんですよ。」

「そう。それじゃしょうがないけど、青島は霧が出ると、飛行機が飛ばなくなっちゃうからね」

「でも、距離的には青島の方が上海より東京に近いですよね」

「土田さん、そういう問題じゃないんだよ。まあ気を付けてお帰りください」

「はーい」

というような話をして別れたが、青島に戻って検品の仕事を済ませ、翌々日の朝の六時から空港に行って待っていると、本当に霧が出て飛行機が飛ばなかった。チェックインカウンターで聞いてみると、そもそも使用する予定の飛行機が、霧で空港に到着していないのだ、と説明された。

「代わりの飛行機はありますか?」

「今はありません」

「じゃあ、予定の飛行機が青島に来るまで待つんですか?」

「そうですね」

「その飛行機は、今どこにありますか?」

「それはわかりません」

「今日は飛行機が飛びそうですか?」

「それもわかりません」

「それじゃ話にならないじゃないか」

と、広岡が気色ばんだ。

「ホテルに戻って待ちたいんですが、飛ぶのが決まったら連絡いただけますか? ホテルの名前と部屋番号は…」

「そういう連絡はできません」

「じゃ、どうすればいいの?」

「ここでお待ちください」

「あのね…」

「広岡さん、しょうがないよ。ビールでも飲んで待ちましょう」

土田が売店で、ぬるい瓶ビールと、古そうな袋入りのピーナツを買い求めた。ここの青島ビールは、本当にぬるかった。同じように飛ばない飛行機を待っていたイタリー人らしい二人連れに、下手な英語で聞いてみると、やっぱり、

「霧が濃いと、飛行機は飛ばないよ」

「君たちはどうするの?」

「ビール飲んで、飛ぶまで待つしかないでしょ」

「イタリーの人はワインじゃないんですか?」

「中国のワインは、どうも我々の口には合わないよ。『万里の長城』とか、名前もウーロン・テイーみたいだし…」

「そうですか。ここで待ってたら、今日中に飛びますかね?」

「それは保証できないね。ダメなら翌日、ひどい時は三日待つ事もあるよ」

というような話になった。

「イタリーのビール、まずいからね、彼らも我慢しちゃうんでしょ」

「広岡さん、そういう話じゃないよ…」

土田と広岡は水曜日に青島に入ったが、結局、金曜の午後の飛行機で漸く帰国した。


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