風邪をひいて、幸せ。
キンコンカンコーン。
ガラガラ。
「みんな座れー!」
一時間目の始まりを告げる鐘が鳴り、教師は教卓に立つ。
詩音は、隣りの空席を見つめていた。
(美琴、大丈夫かな。)
「では出席をとるぞー。」
ガラガラ。
「セーフ!」
静かになった教室に飛びこんできたのは美琴だった。
「堺〜。アウトだ。」
「あはははっ!」
生徒達は笑っている。
詩音は苛立ちを覚えた。
(あいつら、何も知らないくせに。)
「え〜。」
美琴は落胆しながら、席についた。
「堺、今日はサービスだ。明日からはあと少し早く来る様に。」
「ありがとうございます!」
「じゃあ出席とるぞ〜。安藤・・・。」
美琴は詩音の方を向き、小声で話しかける。
「詩音くん。おはよ。心配させてたらごめん。」
「元気そうで良かった。」
「うん。」
美琴は、元気そうに振る舞っていたが、明らかに疲れている。
詩音は、心配そうに美琴を見つめた。
その日から美琴は、授業中は頑張って起きているが、休み時間になると机に伏せて眠る。そんな毎日を過ごしていた。
詩音は美琴とほとんど話していなかった。
たまに、休み時間が終わっても、伏せている美琴を起こすくらいだった。
(美琴、大丈夫かな。これじゃあ友達とも話したりできないよな。俺なら気にしないけど、美琴はいいのかな?)
詩音は心配しながら美琴を見守る。
何もできない自分に、苛立ちを覚えながら。
そんな毎日が一ヶ月。
体力の限界を迎えるには十分すぎる時間が経っていた。
ある日の休み時間。
「美琴、大丈夫か?」
虚ろな目の美琴がさすがに心配になり、机に伏せて眠る美琴の肩をたたき、話しかけた。
美琴はゆっくりと体を起こした。
「大丈夫。ありがとう。」
美琴は無理に作った笑顔で力無く微笑んだ。
「そうか。次、体育だぞ。」
「うん。」
「その、みんな着替えに行ったぞ?」
「えっ!?」
美琴が立ち上がり、辺りを見回すと教室には二人きりだった。
「・・・二人きりだね。」
美琴は小さく呟いた。
「ん?」
バサッ。
「えっ?」
美琴は、詩音の胸に飛び込んできた。
(美琴は距離感バグってる!)
詩音は驚きながらも、美琴を受け止めた。
「美琴?」
「・・・。」
美琴は黙っている。
「お〜ぃ。美琴。」
「・・・。」
驚きで気づかなかったが、美琴の体が熱い。
詩音は、確かめる様に、美琴を抱えながらおでこに触れた。
「熱い。すごい熱だ。」
詩音は美琴を抱きかかえ、走り出した。
「え?何?お前ら何してんのー?」
教室を出ると、廊下にいる生徒達は、美琴を抱きかかえながら走る詩音を見て騒いでいる。
「どいてくれー!」
詩音の気迫に、生徒達は道を開けた。
詩音は必死に走っていた。
「お姫様抱っこ。」
薄れゆく意識の中、美琴は小さく呟いた。
「何バカな事言ってんだよ!お前、頑張りすぎ!」
「あ〜。お前って言った。」
「黙って寝ろ。」
「はい。」
ガラガラ。
詩音は保健室の扉を開け、飛び込んだ。
「先生!こいつ、すごい熱で!」
保健室の先生は駆け寄ってきた。
「ホントに。ベッドに寝かせてあげて!」
先生は手早くおでこにシートを貼り、氷枕、保冷剤で美琴の体を冷やした。
「どうしましょ〜。」
「どうしたんですか?」
「ただの風邪だろうけど、私はこれから出ないといけなくて。君、この子についててあげてくれないかな?」
「え?・・・分かりました。」
「ごめんね。先生には言っとくから。
あー!あと親御さんにも連絡しないと!」
「先生!お母さんには連絡しないで。少し寝たら大丈夫です。」
美琴は、力を振り絞って叫んだ。
「とは、言ってもね〜。」
先生は、困った表情で美琴を見つめる。
「先生!こいつの家、色々大変みたいなんです。俺が責任を持って見ます。だから、こいつの言う通りにしてやってほしい。」
「う〜ん。分かりました。
お願いね。」
保健室の先生は足早に保健室を後にした。
「大丈夫か?」
詩音はベッドの端に座った。
「詩音くん。ありがとう。ごめんね。」
「気にすんな。」
「手、握って。」
「はい?!」
詩音は驚きながら顔を赤らめた。
「お願い。」
美琴はゆっくりと手を布団から出した。
「分かった。」
詩音は、美琴の手を握った。
「少し寝ていい?」
(詩音くん。あなたは知っていますか?壁をつくって、周りが近づけない様にしているあなたは、実は女の子達の憧れだって事を。高嶺の花だって事を。
私もその一人。
あなたを入学式の日に初めて会った時から、私はあなたの事が。
こんな・・・手なんか握って。
私は幸せ者です。ありがとう。)
「当たり前だ。寝ろ。」
保健室は温かい雰囲気に包まれた。
二人だけの保健室。
詩音は、美琴の手を握りながら、寝顔を見つめていた。
(辛そうだな。俺に何かできないだろうか。)
そんな事を思いながら、数時間がたった。
何もしていない時間は長い。
それでも、ずっと見ていられる。
詩音は、不思議な気持ちで満たされていた。
少しだけ握った美琴の手が動いた。
それから、美琴はゆっくりと目を開けた。
「おはよ。」
美琴は照れくさそうに、詩音の手を少し握った。
「おはよ。動けそうか?」
「う〜ん。多分。」
「帰ろう。送るよ。」
「でも詩音くん学校。」
「俺は授業受けなくても大丈夫だから。」
「ふふっ。優等生は言う事が違うね。」
美琴は、体を起こしベッドから立ち上がった。
バサッ。
美琴は、ふらついて、再びベッドに倒れ込む。
「大丈夫か!」
心配そうに近づく詩音に、美琴は手をかざした。
「映るといけないから。」
詩音は、床にしゃがみ込んだ。
「どうしたの?」
しゃがみ込んだ詩音を見て、美琴は不思議そうにする。
「乗れ。帰るぞ。」
「無理。」
「何で?」
「恥ずかしい。それに、風邪もうつるかも。」
「そんな事言ってる場合かよ!
俺にうつって、美琴が直った方がこの世界の為になる。」
「この世界って・・・分かったよ。」
美琴は、弟達の顔を思い浮かべた。
(早く治して私がしっかりしないと。)
そう思い、仕方なく詩音の背中に抱きついた。
詩音は、美琴を背中に抱え、立ち上がった。
(これは・・・まずい。色々刺激が。
違う!俺は何を!情けない!)
詩音は、扉に向かって歩いた。
ゴン。
そして、扉にづつきをした。
「詩音くん、どうしたの?」
「煩悩を絶った。」
「ふふっ。じゃあ、お願いします。」
「うん。」
詩音は、授業中の静かな校内を抜け、美琴の家にゆっくりと向かった。
「ねぇ、重くない?私、歩こうか?」
「ハァハァハァ。大丈夫。こんな事ならもっと鍛えたりしとけば良かった。」
「・・・ありがとう。」
美琴は、詩音の背中に顔を押し当てた。
詩音は、美琴を気遣いながら、ゆっくりと歩く。
「着いたぞ。」
「ごめんね。ありがとう。」
「今日はゆっくり休むんだぞ。」
「うん。今日ね、お母さんと弟達は、おばあちゃんの家に行ってて、いないんだ。だから、きっと気が抜けたんだと思う。」
「そっか。もう無理しすぎるなよ。
この一ヶ月、見てられなかった。」
「うん・・・でも、私しかいないから。」
「どうしたらいいんだろうな。」
「うん。私もどうしたらいいのか分からない。でも、詩音くんが優しくしてくれるから、救われてるよ。」
「そうか。何かあればいつでも言えよ?」
「・・・今から、詩音くんがものすごく困る事言っていい?」
「な、何?」
「家の鍵。教室のカバンの中。」
「はぁー!!!」
「ふふっ。困ったね。」
「冗談抜きに困った。」
「ごめん。気づかなかった。」
「そうだ!うちに行こう!うちは母さんいるし、俺の部屋で寝てろ。カバン取ってきてやるから。」
「・・・うん。ごめん。」
美琴には、断る力が残っていなかった。
詩音は、美琴を抱えながら、来た道を少し引き返した。
ピンポーン。
「はぁーい!って詩音?鍵忘れたの?」
「母さん、いいから早く開けてくれ!そろそろ体が。」
「な、何?」
インターホン越しに、詩音の母の走る音が聞こえる。
ガチャ。
「どうしたの詩音!?」
母が玄関から飛び出してきた。
「こいつ、部屋で寝かせるから。」
「な、何?子猫拾ったみたいなノリで女の子を連れてきて。どういう事?」
「と、とりあえずこいつを寝かせたら説明するから。」
詩音は、よろよろと階段を上がり、部屋のベッドに美琴を寝かせた。
「大丈夫か?母さんに説明して、カバン取ってくるから、寝てろ。」
「うん。ありがとう。
私、お母さんに挨拶もしてない。」
「いいよ。別に。」
「久しぶりの別に、だね。」
「はぁー。寝ろ。」
「うん。」
「じゃあ、ちょっと行ってくるから。」
「ありがとう、いってらっしゃい。」
「いってきます。」
バタン。
部屋の扉が閉まると、美琴は力を振り絞って部屋を見回した。
(私、詩音くんの部屋にいる。
夢じゃないよね。)
美琴は、うつぶせになり枕に顔を押し当てた。
(詩音くんの枕。詩音くんの匂い。
幸せ〜。風邪ひいてよかった〜。
・・・私、変態だ。寝よ。)
美琴は、仰向けに戻り、目を閉じた。
ドタドタドタドタ。
「母さん、とりあえずあいつすごい熱でさ!」
詩音は、母に説明すると、母はなぜだか嬉しそうにしていた。
「なんだ〜、彼女じゃないの?」
「ち、違うわ!じゃあ、俺は学校にカバン取りにいくから。」
「はいはい。気をつけてね。」
「うん。行ってくる。」
詩音は、家を出て走り出したが、疲れきっていた。
「ダメだ。美琴には悪いが、ゆっくり行こう。」
トントントン。
「あっ、はい!」
美琴は、ドアを叩く音に体を起こした。
ガチャ。
「大丈夫?」
「あっ!お母さん。突然ごめんなさい。」
「いいからそのまま。」
立ち上がろうとする美琴を、詩音の母は座る様に促した。
「す、すいません。私、堺 美琴です。
詩音くんと同じクラスで。」
「いいの、詩音から聞いてたから。
それより、お昼食べてないでしょ?」
「えっ?はい。」
詩音の母は立ち上がると、部屋から出て行った。
すぐに戻ってきた詩音の母の手には御盆にのった、おかゆが白い湯気をててていた。
「何か食べ無いと、治るものも治らないからね。」
そう言いながら、詩音の母は美琴の横の台におかゆを置いた。
「疲れてるだろうし、食べてゆっくり寝てね。私は下にいるから、何かあったら呼んでね。」
詩音の母は立ち上がろうとする。
「あ、あの。」
「ん?」
「その、ありがとうございます。」
「いいのよ。詩音の大切な人みたいだから。あんな必死なあの子、初めて見た。
ちょっと妬いゃうわ〜ふふっ。」
「えっ?そんな、私なんて。」
「これからも詩音の事よろしくね。
あの子は、女の子どころか友達も連れてきた事なかったんだから。
とっても嬉しいわ!今日は御赤飯でも作ろうかしら。」
「ふふっ。素敵なお母さんでよかった。」
つい口に出た、小さく呟いたはずの美琴の言葉を、詩音の母は聞き逃さない。
「あらっ?どうして?」
「・・・私、詩音くんの事が。」
「ふふっ。いつか私の可愛い娘になるかもって事ね?私女の子が欲しかったのよ〜。美琴ちゃんなら大歓迎よ。」
「い、いぇ。片思いなので。
でも、嬉しいです。」
「ふふっ。おかゆ、食べきれなかったら、残していいから食べられるだけ食べてね。」
「ありがとうございます。」
詩音の母は、詩音が選ぶであろう子が、派手な見た目と違い、いい子で良かったと、安心しながら部屋を出た。
詩音から、美琴の家庭の事も少し聞いていた事もあり、これから力になりたいと思っていた。
「ただいまー!」
詩音が帰るなり、美琴のいる部屋に戻った。
「美琴!」
ドアを開けると、美琴は眠っていた。
ベッドの横には、空になった食器が置かれている。
「母さん?」
詩音は、美琴を起こさない様に、小さく呟くと、食器を手に取りキッチンへ向かった。
「母さん!」
「あら、おかえりなさい。」
「ただいま。これ、つくってくれたの?」
「えぇ、そうよ。何か食べないと治らないと思って。」
「ありがとう。」
詩音は、食器をシンクに置くと部屋へ戻ろうとする。
「詩音!」
「何?」
「はい、これ。あなたも食べないと風邪もらっちゃうわよ。」
「別にいいよ。あいつが治るなら。」
「ふふっ。いいから食べなさい。」
詩音の母は、作ったうどんをテーブルに置いた。
「ありがとう。」
詩音は、椅子に座り箸を手に取った。
「はい、七味。」
「あぁ、やっぱりこれはいるよな。」
「早く食べて美琴ちゃんのそばにいてあげなさい。」
「うん。頂きます!」
スー。スー。スー。
詩音は、急いでうどんを食べ終え部屋に戻っていた。
(何でだろ?さっきもだけど、ずっと見ていられる。不思議な気持ちだな。)
美琴を見つめていると、目がゆっくりと開いた。
「詩音くん。帰ってたんだ。」
「うん。なんか欲しい物ある?」
「お水欲しい。」
「はい。」
起き上がった美琴に、ペットボトルの蓋をとり、手渡した。
「ありがとう。ごくごく。」
「他には?大丈夫か?」
「うん。ありがとう。
あとね、私は向こう向いて寝るから、ここに寝てぎゅして。」
「ん?」
「病人のお願い聞いてくれないの?」
美琴は、涙目で訴えるように詩音を見た。
「はいはい。」
詩音は仕方なさそうに、美琴の隣りに横になり、優しく抱きしめた。
「ありがとう。しんどくて不安で・・・落ち着く。」
「なら、もう少し寝ろ。」
「うん。おやすみなさい。」
「おやすみ。」
スースースー。
美琴は、すぐに眠った。
(俺はこの状況では寝れないぞ。
本当に!美琴は良く分からん。)
ガチャ。
「ちょ、ちょっと!詩音、あんた何してんの!」
部屋に入ってきた母は、驚きのあまり叫んだ。
「しっ!」
詩音は、母を睨んだ。
「しっって!あんた何してんの!」
「美琴がしんどくて不安だからこうしてって。」
頼むから静かにしてくれと、目で訴えながら、詩音は小さく呟いた。
「美琴ちゃんが?」
「そうだよ。嫌がる無抵抗の女子にこんな事する程、俺は落ちぶれてないぞ。」
「ごめんごめん。心配で見にきただけだから、お母さんは下にいるね。
何かあれば呼んでね。」
「うん。ありがとう。」
詩音は、美琴の方に向き直ると、優しく抱きしめた。
ガチャ。
ドアを閉めた母は、ニヤついていた。
(美琴ちゃん積極的ね〜。
詩音はまだ自分の気持ちに気づいてないみたいだけど。
美琴ちゃんがんばれー!)
母は一人、興奮していたのだった。




