第5話 危険な出発
出航までの数日、野村はミレイに父から受け継いだ瞑想技法をより深く理解させようとしていた。
「お父さんから聞いていた通り、お前にはニュータイプの素質がある。宇宙では、その能力が生死を分けることになる」
工場の奥の静かな部屋で、ミレイは毎日2時間の瞑想を行った。父から教わった呼吸法に加え、野村は独自の技法も教えていた。
「機械化された人間たちは、脳波を電子的に制御している。所詮、電子制御の範囲は超えられないんだ。だが、生身の人間の脳波は、宇宙の波動と自然に同調できる。それが、お前の、人類の忘れ去られた最大の武器だ!」
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2102年3月21日朝、銀河宇宙船出航の日
工場の片隅で一人座り込み、膝を抱えるミレイを見て、野村は声をかけた。
「ミレイちゃん、どうした?これから出発だぞ!」
「野村さん...お母さんに会いたいんです…」
ミレイの声は震えていた。涙をこらえているのが分かる。母への想いが抑えきれないほど募っていた。
「ミレイちゃん、お母さんには会わない方がいい。リスクが高すぎる!」
野村の声には深い心配が込められていた。
「でも...」
「政府の奴らは、タケシの残したパスポートの行方を追っている。ミレイがお母さんに近づけば、彼女まで危険にさらすことになるぞ!」
ミレイは顔を上げ、涙ぐんだ目で野村を見つめた。
「お母さんに『行ってきます』って言いたいんです。お父さんにもちゃんとお別れができなかった。お母さんまで...このまま会えないなんて...」
14歳の少女の素直な想いが、言葉となって溢れ出した。
「もしかしたら、これが最後になるかもしれないんでしょう?宇宙に行って、帰ってこられないかもしれないんでしょう?」
「ミレイちゃん...」
「私、怖いんです!一人で宇宙に行くの、すごく怖い!お母さんの顔を見て、声を聞いて、それで勇気をもらいたいんです!」
ミレイの声は次第に大きくなった。14歳の少女にとって、あまりにも重い使命と孤独感が押し寄せていた。
「お願いします、野村さん。お母さんに一度だけ会わせてください」
「だめだ!」野村は強く首を振った。
「お前の気持ちは分かる。だが、政府の監視の目を掻い潜るのは不可能に近い!タケシの遺言は『ミレイを宇宙に送る』ことだ。それを果たすのが俺の責任だ」
「でも、お母さんは?お母さんの気持ちは?」
ミレイは立ち上がり、野村の前に歩み寄った。
「お母さんだって、私に会いたいはずです。私だって、お母さんに会いたい。それがそんなに悪いことですか?」
「悪いことじゃない...だが...」
「野村さんだって、お父さんと最後にちゃんとお別れしたかったでしょう?」
その言葉に、野村は言葉を失った。確かに、タケシの死は突然すぎて、親友として最後の別れを交わすことができなかった。
「お父さんは、家族を愛していました。お母さんを愛していました。そのお父さんが、私に『お母さんに会うな』なんて言うはずがない」
「野村さん、お父さんなら何て言うと思いますか?」
長い沈黙が続いた。野村は深くため息をつき、頭を抱えた。
「...タケシの奴は、きっと『家族の絆を大切にしろ』って言うだろうな」
「はい!」ミレイの瞳に、父から受け継いだ強い意志が宿っている。
「だが、条件がある」野村は厳しい表情でミレイを見つめた。
「最大15分だけだ。それ以上は絶対にダメだ。そして、俺が『危険だ』と判断したら、即座に引き上げる。いいな?」
「はい!ありがとうございます、野村さん!」
ミレイの顔に、笑顔が戻った。
「本当にありがとう...」
「礼を言うのはまだ早い」野村は苦々しげに言った。
「俺たちは政府の追跡をかいくぐって、ジョセフ爺さんの隠れ家に向かうんだ。一歩間違えれば、全員捕まる」
しかし、野村の心の奥では、ミレイの純粋な想いに心を動かされていた。タケシの娘らしい、まっすぐな心だ。
「分かってるな、ミレイ。これは最後の我儘だぞ」
「はい...本当にありがとうございます」
野村は、薄手で軽量な銀色のスーツと赤い船外活動用のスーツを広げて見せた。
「一見すると普通の衣服だが、繊維の中には無数のナノファイバーが織り込まれている。生身の人間でも、宇宙船内の環境変化に対応できる。そして、これがEVAスーツだ。自己修復機能、温度調整、自己洗浄機能が備わっている。」
次に取り出したのは、絆創膏のように薄いパッチだ。
「そして、ナノメディックパッチと呼ばれている。傷や感染症を即座に修復する。生身の身体を持つお前には必需品だ」
さらに、彼は小さな枕のような装置を見せた。
「脳波誘導枕だ。宇宙船内での睡眠は困難だが、これがあれば深い瞑想状態に入れる。お前の能力を開発するのにも役立つだろう」
次に、カーボンファイバー製のケースを開けた。
「そして、船内では基本的な飲食は用意されていると聞くが…食品モジュールと合成調理装置、個人用再生水フィルターだ。どんな水でも安全な飲み水に変換する。お前のような『汚れた』生身の人間扱いされる可能性があるからな」
更に、野村は父の遺品から、いくつかの重要なアイテムを取り出した。
「これは、お父さんが大切にしていた瞑想用の道具だ」
古い木製の小さな箱の中には、水晶の数珠、小さな鈴、そして手作りの御守りが入っていた。どれも政府に見つかれば『危険思想の証拠品』として押収される禁制品だった。
最後に、野村はミレイの手に小さな袋を握らせた。
「お母さんから託かった。お前の生まれた時のへその緒と、初めて切った髪の毛だ。DNAサンプルとして、宇宙で身分を証明する時に必要になるかもしれない」
「お母さん…」
「さ、ジョセフの元へ行くぞ!」
間もなく、荷物を電動車に載せて二人は出発した。
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二人を載せる電動車は、自動運転で裏道を通り、難なくジョセフ長老の隠れ家へ到着した。
10キロ先の宇宙港では、巨大な銀河宇宙使節船777が威容を誇っていた。全長3キロメートルの船体が、朝陽を浴びて銀色に輝いている。その圧倒的な存在感に、ミレイは息を呑んだ。
あの船に、父の遺志を胸に乗り込むのだ。
地下の隠れ家へと向かう道中、ミレイの胸は高鳴っていた。ジョセフ長老の元で、母と最後の別れを交わすつもりだった。
しかし―
「ジョセフ爺さん!」
隠れ家の扉を開けた瞬間、ミレイの目に飛び込んできたのは、床に倒れているジョセフの姿だった。