第2話 分断された世界
建物の裏口から滑り出たミレイは、母から教わった通りの道筋を辿った。
貧民街の迷路のような路地を抜け、古い地下道を通り、やがて郊外の小さな工場地帯に辿り着く。そこに、父の友人である野村が営む小さな機械修理工場があった。
「ミレイちゃん!...タケシが言っていた通りだな」
五十代半ばの野村は、ミレイを見るなり深くうなずいた。
彼もまた、人工的な改造を一切施していない、数少ない「生身の人間」の一人だった。工場の奥の隠し部屋に案内されたミレイは、そこで初めて安堵の息をついた。
「お父さんは、どんな人だったんですか?仕事のことは、あまり話してくれなかったんです」
野村は古いコーヒーを淹れながら、重い口を開いた。
「タケシは本当に優秀なエージェントだった。だが、同時に誰よりも人間らしい心を持っていた」
野村の話によると、タケシは当初、国家の命令に従順に従い、他国との諜報戦や妨害工作に従事していた。しかし、任務を重ねるうちに、人間の有限性の美しさ、生命の尊さに目覚めていったという。
「特に、ミレイちゃんが生まれてからだな。タケシは変わった。『子供たちのために、本当に必要な世界とは何か』ってよく言ってたよ。人類の在り方を考えるようになったんだろう…」
機械化が進み、永遠の生命を求める人々が増える中で、タケシは逆に死の意味、限りある時間の価値を深く理解するようになった。そして、国の方針に疑問を抱き始めた。
「最後の頃は、『人類は地球にとって、自己が生きる事のみを目的として増殖するガン細胞のようになってしまった』とよく言っていた。そして、同時に『永遠の命は死に、命は循環しなければならない。』とも言ってたんだ。その思想が…政府から危険分子と見做されたんだろう」
ミレイが工場の窓から外を眺めると、遥か彼方に巨大なタワーマンション群がそびえ立っていた。高さ200階を超える銀色の建造物は、まるで天に向かって伸びる針のように空を突き刺している。その最上層では、完全に機械化された富裕層が永遠の生命を謳歌していた。
「あの建物の住人たちは、もはや人間とは呼べないかもしれない」野村が苦々しげに呟いた。
「皮膚は人工素材に置き換えられ、記憶は電子チップで拡張され、老化は停止され、生は延長された。しかし…死は必ず訪れる。彼らにとって老化や死は、より恐怖の概念になり、忌み嫌われ、禁句にさえなっている」
中層階には部分的な機械化を施した中産階級が住み、地上近くには生身の人間である貧困層が密集して暮らしている。
この三層構造こそが、2101年の人類社会の現実だった。
街を歩く人々の多くは、見た目は二十代だが実際には百歳を超えている者も珍しくない。若さへの執着は病的なレベルに達し、自然な老化をも恥ずべきものとして忌み嫌われている。AIによる知能拡張も当たり前となり、人間本来の直感や感情は「非効率」として軽視されている。
直感や感情こそが、人間らしさなのに…
しかし、そんな技術進歩の裏で、世界各地では相変わらず紛争が絶えない。アジアでは資源をめぐる争いが激化し、ヨーロッパでは移民問題から内戦状態に陥った地域もある。アフリカと南米では、宇宙技術の利権をめぐって新たな代理戦争が始まっていた。
「昨夜も、南米で新たな代理戦争が始まったというニュースがあった」野村は古いラジオの音量を上げた。
「宇宙技術の情報を巡って、各国のエージェントたちが暗躍している。アフリカでは希少金属の採掘権を巡る紛争が激化し、アジア太平洋では海底資源の利権争いが続いている」
工場の外では、今日も小さな暴動が起きていた。
食料配給をめぐって貧民街の住民たちが争っている。一方、タワーマンションの住人たちは空中庭園で優雅に、ダイエットに配慮され栄養補完された人工的な美食を楽しんでいるのだろう。
「結局、技術が進歩しても人間のエゴは変わらない…」野村は拳を握りしめた。
「それどころか、永遠の生命を手に入れた権力者たちの欲望は、以前にも増して強くなった。彼らは宇宙人との条約など、いずれ破棄できると本気で考えているんだ!」
『父の死』は、人類のエゴ、争いのせいなんだ…14歳のミレイは朧気ながら理解し、健気にも心に誓う。
お父さん!もう直ぐ、お父さんが乗りたかった銀河宇宙使節が出発するわ…
私、必ず地球に帰ってくるね!そして、お父さんが願っていた未来を、生きる!