第1話 地上の星
2101年3月、日本。
タワーマンション群の影に隠れた貧民街で、十四歳の少女・綾羽ミレイは朝の瞑想を終えようとしていた。窓際に座り、汚れた空の向こうに見える銀色の建物群を見つめながら、父から教わった呼吸法を静かに続けている。
「今日という日、今を精一杯生きること!」
父・タケシがよく口にしていた言葉が、心の奥で響いた。
もう二ヶ月も前に、父・綾羽タケシは何者かに撃たれて亡くなった。国のエージェントとして働いていた父が、なぜ命を狙われなければならなかったのか。ミレイには殆ど理解できなかったが、父の最後の言葉は忘れていなかった。
「ミレイ、お前は地球にとらわれてはいけない。もっと大きな世界がある!」
瞑想から意識を戻した綾羽ミレイが立ち上がると、母・綾羽ユキが静かに部屋に入ってきた。42歳の母は、この機械化された社会にあって珍しく自然な容姿を保っている。整形も人工的な機能移植も一切行わず、時の流れとともに刻まれた皺さえも美しく見えた。
「おはよう、ミレイ。今日もフリースクールね」
「はい、お母さん」
二人は質素な朝食を囲んだ。人工的に作られた栄養食品が主流となった時代にあって、ユキは可能な限り自然の食材を探し、手作りの食事を用意していた。それは父が大切にしていた価値観を守るためでもあった。
「最近、学校はどう?」
「相変わらず、古い日本の心を学んでいます。昨日は合気道で、相手の力を利用して技をかける練習をしました」
ミレイが通うフリースクールは、政府の監視下にありながらも、古来からの日本精神、神道、合気道を教える貴重な場所だった。機械化や人工知能に頼る教育が主流となった中で、人間本来の力を信じる教育を行っていた。しかし、最近政府からの教育内容に関して圧力がかけられていた。
そんな時、外から重いエンジン音が響いてきた。ミレイは窓辺に駆け寄ると、見慣れない黒い車両が数台、彼女たちの住む建物の前に停まっているのが見えた。
「お母さん...!」
ユキの表情が一瞬強張った。
タケシが亡くなってから、二人は常に監視されているような感覚があった。父の遺志を継ぐ者として、政府にとって危険な存在と見なされている可能性があった。
「大丈夫よ、ミレイ。お父さんが残してくれたものがある」
ユキは奥の部屋から小さな箱を取り出した。その中には、銀色に光る特殊なパスポートと、丁寧に書かれた親書が入っていた。
「これは...」
「宇宙銀河使節船777への乗船許可証よ。お父さんが命をかけて手に入れてくれた」
ミレイの心臓が高鳴った。春分の日、3月21日に竣工予定の最新宇宙船。地球人の自立計画の一環として、宇宙の進んだ文明を学びに行く船だった。基本的には富裕層やエージェントが乗船を許可されるが、平等性を保つため、一部の低所得者層にも席が用意されていたのだ。
「でも、お母さんはどうするの?」
「私はここに残って、お父さんの想いを守り続ける。でもあなたは違う。あなたには、未来がある。もっと大きな使命がある!」
外の車両から、武装した人々が降りてくるのが見えた。時間がない。
「お父さんの遺言よ。『地球の未来のために、宇宙の真理を学んでこい』って!」
ミレイは震える手でパスポートを受け取った。父が自分の命と引き換えに用意してくれた、未来への切符だった。
その時、建物の入り口で激しい音がした。誰かが無理やり扉を破ろうとしている。
「急いで、裏口から出るのよ!」
ユキはミレイの肩に手を置いた。
「覚えておきなさい。機械に頼らなくても、人間には素晴らしい力がある。お父さんが教えてくれた瞑想、意識の力と、自然との調和を忘れないで!」
「お母さん...!」
「私たちはいつでも心で繋がっているのよ!それを忘れないで!」
ミレイは母を抱きしめた。そして、父が愛した古い日本の精神を胸に、未知なる宇宙への旅立ちを決意した。
外では、機械化された人々が完璧な肉体と永遠の命を求めて生きている。だが、有限だからこそ美しい命の輝きを、ミレイは決して忘れない。
父の遺志を継ぎ、地球の未来のために。
銀河宇宙使節船777への旅が、今、始まろうとしていた。