第17話 元地球防衛軍の兵士
ルミナス人とのコンタクトから数日経った。船内の空気は、明らかに変わっていた。
下層階の食堂に集まった生身の人間たちの表情は、以前とは違って輝いている。閉塞感が和らぎ、カチャ、カチャ、という食器の音も、なんだか明るく響く。
「おい、聞いたか?ルミナス星人の話し。生身の人間の方が、自然がいい。俺たちは癒しの力をみんな持ってるって言ってたらしいぞ」
「聞いたぜ。イエスキリストの話は本当らしいな」
「機械化なんてしなくても、俺たちは価値がある。宇宙の法則だって信じなきゃいけない」
「結局、自然に沿う方がいいみたいだな…争ってる場合なんかじゃないぞ!」
ざわざわ、という話し声の中に、希望が混じっている。ミレイはその光景を見ながら、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
—これが、お父さんが望んでいたことなのかな。
同時に、上層階からの視線が、より厳しくなる不安も感じていた。
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レディ・エリザベス・スターリングは、機械化された指で優雅にワイングラスを回している。彼女の体の70%を占める機械部分が、かすかにウィーン、と音を立てている。
「下層階の者たちが、調子に乗っているようですわね」
彼女の言葉に、周囲に集まった富裕層たちが頷く。みな、体の大部分を機械化した人々。永遠の命を追求してきた人々、政治家、資本家たち。
「あの少女が、何か勘違いをしているようです」
一人の男性が言った。彼の機械化された目が、ピッ、と光る。
「宇宙人が生身の人間を評価したなどと…我々が築いてきた秩序を、宇宙人が一人の少女を使って壊そうとしている」
レディ・スターリングは、静かに微笑んだ。その笑顔は優雅だが、底に冷たさを秘めている。
「安心なさい。私には、良い計画があります」
彼女の機械化された指が、テーブルの下で何かを操作する。ピピッ、という小さな電子音。
「皆さん、ザック・ブラックウッドという男を、ご存知でしょうか?」
スターリングがニヤリとして、告げた。
「ザック・ブラックウッド!入って!」
一人の男が入ってきた。
ザック・ブラックウッド。元地球防衛軍の兵士。左腕を失い、戦闘用サイボーグ化を受けた45歳の男だ。
スターリングの機械化された瞳が、冷たく光る。
「ブラックウッド、あなたは優秀な兵士だった。そして、今もカリスマ性がある」
彼女の指が、テーブルの上の端末を操作する。カチャ、ピッ、という機械音。
「資金は用意します。あなたに必要なだけ。そして、協力者も」
ザックの機械化された左腕が、興奮で小さく震えた。
「何をすればいいのです」
「まずは、人々に私たちのストーリーを伝えなさい。宇宙人の支配から、人類を解放すると」
スターリングの声は優雅だったが、その奥底には冷酷な決意があった。
「そして、あの少女を—」
「ミレイを、どうするのです」
「利用するのです。彼女を通じて、宇宙人を呼び出す。そして—」
スターリングの唇が、わずかに歪んだ。それは笑みとは呼べない、何か別の表情だ。
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1週間後の朝、上層階の大ホール。
普段は社交の場として使われるこの空間に、数百人の人々が集まっていた。 機械化された富裕層たち。部分的に機械化した中間層。そして、一部の下層階の人々も。
ステージに、ザック・ブラックウッドが立った。
スポットライトが彼を照らす。機械化された左腕が、その光を反射して輝いている。
「諸君!」ザックの声が、ホール全体に響いた。拡声器を通した声は、力強く、説得力があった。
「私たちは、長い間、宇宙人の支配下に置かれてきました」
ざわめきが起こる。でも、ザックは構わず続けた。
「二千百年二月十四日。あの日、私たちは自由を失った。地球の統治権を奪われた。そして今、この宇宙船に乗って、私たちは何をしている?」
彼の声が、だんだんと大きくなっていく。
「宇宙人の『進んだ文明』を学ぶ?従順に彼らの言いなりになる?…それが人類の未来なのか!?」
ホールの中で、先導する拍手が起こり始めた。パチ、パチ、パチ。最初は小さかったが、つられて、だんだんと大きくなっていく。
「私は第三次世界大戦で、この腕を失った!」
ザックは機械化された左腕を高く掲げた。
「仲間たちも、多くを失った。何のために?…人類の誇りのために!しかし、戦争が終わった時、私たちは何を得た?…今度は、宇宙人による支配だ!」
拍手が、喝采に変わっていく。
「そして今、この船で何が起きている?一人の少女が、宇宙人の言葉を伝えている。『生身の体に価値がある』?いや、違う!それは宇宙人による洗脳だ!我々は、騙されている!」
ざわっ、と会場が揺れた。
「宇宙人どもは、美しい言葉で我々を惑わそうとしている。しかし、真実を見ろ!彼らは我々の地球を支配し、我々の自由を奪ったのだ!」
ザックの機械化された左腕が、拳を作る。その瞬間、青い光が走った。
ミレイは隅でその光景を見つめながら、心臓がドクン、ドクンと早鐘を打つのを感じていた。
なんだろう、嫌な予感。
「宇宙人どもは、美しい言葉で我々を惑わそうとしている。しかし、真実を見ろ!彼らは我々の地球を支配し、我々の自由を奪ったのだ!」
ザックの機械化された左腕が、拳を作る。その瞬間、青い光が走った。
「今も地球では、他国の侵略に恐れる国々が沢山ある!国の平和を守るには、今後も力による統治が必要だ!他国に先んじて優位に経つ事、競争が必要なのだ!核兵器は、今も必要悪だ!核兵器の抑止を無くして、平和はありえない!…なのに!現実を考慮しない能天気なセレスティアル、宇宙人どもは、兵器を無力化し、おまけにこの宇宙船に地球人を乗せ、能天気に洗脳しようとしている!私たちの地球は、私たちのものだ!—皆さん、宇宙人に洗脳されるな!こないだの小娘の様に!—」
ザックの視線と指先が、会場の隅にいるミレイを捉えた。
会場から、怒号が上がった。ミレイの体が、恐怖で硬直する。
「我々は立ち上がらなければならない! 宇宙人との接触を阻止し、地球の独立を取り戻すのだ!」
聴衆が一斉に拍手喝采した。今、この場所にあるのは、扇動と憎悪だけだ。
うまくいったわ!会場の最前列で、レディ・スターリングは満足そうに微笑んでいた。彼女の機械化された指が、膝の上で何かを操作している。ブラックウッドへの送金を確認する画面が、小さく光る。
その夜、下層階の居住区で、それは起こった。
ミレイは自室で瞑想をしていた時、突然の悲鳴を聞いた。
キャーッ!ドタドタドタ、という足音。何かが壊れる音。ガシャーン!
ミレイは飛び起きて、ドアを開けた。
廊下は混乱していた。人々が逃げ惑い、そして——武装した集団が、下層階の人々に襲いかかっていた。
「お前たちも、宇宙人の影響を受けている! 浄化が必要だ!」
ザックの声が響く。彼の機械化された左腕から、青白いエネルギーが放たれる。ビシッ、という音と共に、一人の男性が倒れた。
「やめて!」ミレイは叫んだが、その声は混乱の中にかき消された。
パン、パン、パン、パン!乾いた銃声が響く。
ギャーー!悲鳴が響く。そして、血の匂いが廊下に広がっていく。
ミレイは呆然と立ち尽くしていた。
こんなことが、起こるなんて。こんなことが—
気づいたときには、ザックがミレイの前に立っていた。機械化された左腕が、ミレイののどに当てられる。冷たい金属の感触が、皮膚に伝わってくる。
「お前か、綾羽タケシの娘、綾羽美玲は?」
「…はい」
「来てもらおう。お前には、やってもらうことがある!」
ミレイは抵抗しようとしたが、機械化された腕の力は圧倒的だった。体が宙に浮き、引きずられていく。
周りでは、まだ虐殺が続いていた。下層階の人々が、次々と倒れていく。
パン、パン、パン、パン!
止めてぇ!!
ミレイの目から、涙が溢れた。




