第11話 階層社会の理由
セレスティアルが続けた。
「船内の階層も、人類自身の想念が、創り出したのものです。そして、想念とは、人間の心が思い描く意識です。『想念が現実化する』と地球においても古くから言われていますが、宇宙の法則では、至極当たり前のことです。人類が認識している3次元の物質は、即時的な可塑性が無いので、『想念が現実化する』事に、未だに懐疑的です。この宇宙船777は、単なる金属の塊ではなく、即時可塑性物質モルファリウムでできています。モルファリウムは、想念に反応します…」
その瞬間、周囲の空間が微かに波打ったような錯覚を覚えた。
人工庭園の花々が、まるで呼吸をしているかのように、ゆっくりと色調を変えていく。薄いピンクだった花びらが、深い紅色に変化し、緑の葉はより生命力にあふれた翠色に染まっていく。
「今、私の想念通りに変化しました」
セレスティアルの言葉とともに、さらに驚くべき変化が始まった。人工庭園の石畳が、まるで生きているかのように波打ち始める。硬い石の表面が柔らかく変形し、そこから新しい植物の芽が顔を出してくる。
アキラは後ずさった。彼の目に、恐怖が宿る。
「私たちは、この船の設計や運営に一切関与していません。乗船者の選定から、居住区画の割り当て、食事や娯楽の配分まで—すべて人類自身の想念が決めたことなのです。」
「そんな...。あ、そう言えば野村さんが言ってた…使節船の乗船者は富裕層とエージェントが大半を占めて、過激派も居て、低所得者層である生身の人間は1割にも満たない。って…」ミレイの声が震えた。
「そうです。上位階層の豪華さも、下位階層の貧しさも、乗船者層の割合も、すべては乗船者たちの集合的な意識、想念の投影です」
セレスティアルの言葉に呼応するように、人工庭園の変化は続いていた。豪華だった装飾が、より自然で温かみのあるものに変わっていく。人工的な完璧さが薄れ、代わりに生命的な美しさが現れてくる。
「もし乗船者たちの意識が変われば、船の現実も...根本的に変わります。…そして、階層社会も、格差も、すべてが変化するでしょう」
その言葉とともに、人工庭園の変化はさらに加速した。豪華だった装飾が自然な美しさに変わり、人工的な小川の音もより清らかになっていく。そして、庭園の向こうに見える富裕層エリアの構造そのものが、目に見えて変化し始めているのがわかった。
「『自分は上にいるべきだ』、『格差は当然だ』、『弱者は支配されるべきだ』—そうした想念が、物理的な現実として、宇宙船でも具現化されているのです」
「そ、そんな...そんなバカな話があるはずない...」
アキラの呼吸が早くなり、手が小刻みに震え始めた。彼の世界観の根幹が、静かに、しかし確実に揺らいでいく。これまで彼が「現実」と信じてきたすべて——階級制度、格差、既得権益——それらが実は固定的な事実ではないかもしれないという恐ろしい可能性が、心の隅に忍び込んでくる。彼の目は、まるで深い海の底に引きずり込まれているような恐怖が宿っている。
その時、さらに劇的な変化が起こった。ミレイの心に、船内のすべての人々が調和して暮らせる世界への純粋な願いが生まれると、人工庭園の境界そのものが拡張し始めた。これまで金属の壁だった部分から、新しい緑地が現れ始めている。
「やめろ…やめてくれ…現実を変えるな!やめろ!」悪夢の中で助けを求める子供のように叫んだ。
…この現象を認めることは、アキラの存在基盤を否定することでもあるのだ。
「僕は…僕は、帰る!」
アキラの声は震え、その足取りは定まらなかった。まるで酔っぱらったような千鳥足で、彼は人工庭園から逃げ出そうとする。
「アキラ、待って!」
「僕には…考えられない…もうこれ以上、考えられないんだ!」
ミレイが呼び止めても、アキラはもう聞く耳を持たない。彼は完全に混乱しているのか、人工庭園から逃げ、よろめきながら、エレベーターへ向かった。
そして、自分の区画へ向かう途中で、彼の歩みが突然止まった。
「このままじゃ...」
脳裏に父の顔が浮かんだ。権威に満ちた眼差し、期待の重み。そして地位、家族の名誉—それらすべてが、セレスティアルという得体の知れない存在によって崩れ去ろうとしている。
「く...くそっ!」
アキラの握り拳が震えた。アキラは船内コントロール端末を取り出した。
「セレスティアル...お前さえいなければ...!」
端末の画面に、船内の3D構造図が浮かび上がる。
エレベーター制御システム、気密扉の操作権限—父の地位を利用して得た特権アクセスコードがある事をアキラは思い出した。
「消してやる…」
今この瞬間、悪魔の囁きとなった。
「消えろ...!」
アキラの指先が、光る操作パネルを滑る。
エレベーター呼び出し、特別ルート設定、そして—船外排出プログラムの起動。
セレスティアルの青白い光が微かに揺らめく。まるで何かを感じ取っているかのようだったが、それでも光の存在はエレベーターへと向かった。
扉が閉まる瞬間、アキラの指が最終実行ボタンを押した。
「さようなら!」
エレベーターは一気に上昇し、最上階で止まった。気密扉が開き、宇宙の冷たい闇が待ち受けている。
だが、アキラの勝利の笑みは一瞬で凍りついた。
「な...なんだと?」
セレスティアルの光が、まだ船内にあった。実態を持たない存在—そんな基本的なことを、パニックの中で見落としていたのだ。
「バレた...ヤバい、このままじゃ僕が...!」
アキラの震える指が再び端末を操作し、今度は、ミレイをエレベーターに閉じ込める。
「きゃああー!」
「やめて!」ミレイの声がエレベーター内から響く。
その時、セレスティアルの光が温かく脈動した。哀れみ—それは確かに哀れみの光だった。実態を持たぬ存在が、封じ込められた少女を静かに解放した。
「そんな...!」
アキラは必死に端末を操作し続けた。指が滑り、コマンドが混乱し、そして—致命的なエラーが発生した。
アキラ自身がエレベーターに吸い込まれ、一気に最上階へと運ばれていく。
「あああああああ!」
上昇する度に重力が軽くなり、胃が浮き上がるような感覚が襲った。
「わあああー!」
それぞれの悲鳴が船内に響き渡る中、エレベーターが最上階で静止した。
一瞬の沈黙。そして—
ガシャン!
気密扉が無慈悲に開いた。
瞬間、アキラの身体は宇宙の真空に吸い出された。
「お父さん...助けて...」声にならない叫びが、真空の闇に呑み込まれた。
最初に奪われたのは音だった。自分の悲鳴すら聞こえない。既に手遅れだった。
絶対零度の裁きが始まり、体温は急速に奪われた。指先から始まった凍結が、腕を伝い、心臓に、脳に達した…。
アキラの瞳に、皮肉にも、宇宙の壮大さが映り込んだ。
周りには無数の星々が瞬いていた。美しく、冷たく、永遠に手の届かない光たち。
意識が無くなったアキラの身体は、船から遠ざかりながら回転を始めた…
銀河宇宙使節船777の最上階では、開いたままの気密扉が自動的に閉じられた。
警告音が鳴り響き、緊急事態を告げて明滅していた赤いランプが消えた。
「わ、私の前で…また一人、死んでいった…」
未だ、恐怖に震えて…泣き崩れているミレイ。
「人には、それぞれの道があります…」セレスティアルが、慰める様に話し続けた。
ミレイはセレスティアルを睨んだ。
「綺麗事を言わないで!私の回りの人が、一体何人死んだと思ってるのよ!これでも平然としろ。とでも言うつもり?お父さん、ジョセフ長老、野村さん、警備隊長…そして、アキラ…。ねえ!セレスティアル!私を…この私を地球に戻して!」
「本当に?本当に、地球に戻りたいのですか?変わらない、あの地球に?」
「…」ミレイが黙り込む。
「あなたには、人類の未来がかかっています…」
「もう止めて!!…私は、ただの…」嗚咽して頭を振るミレイ。
「ミレイ、これからも険しい道のりになるでしょう…」ミレイが淡々と続ける。
「宇宙の法則は、『持たざる者』にとっては『福音』。しかし、アキラの様に、『持つ者』にとっては凶報です。既得権益者層、非支配者層にも真実を受け入れることを拒む人が、非常に多いのです。人は自ら変わること、不確かさを敬遠します…しかし、諦めてはいけません!」
未だ嗚咽しているミレイの心に、直接セレスティアルの話しが響く。
「戦争も、貧困も、すべての争いも...終わらせることができます。ただし、それには多くの人の意識の変革が必要です。しかし…たった一人の純粋な想念でも、現実を変える力があるのです!そして、変化は地球にも波及していくのです。意識の変革は、距離や時間を超えて伝播します。この船で目覚めた人々が、地球に帰還する頃には、地球の集合意識も変化し始めているかもしれません」
セレスティアル、揺るぎなく輝き続けていた。
一方、ミレイの心は、引き裂かれそうになっていた。
恐怖に怯えながら…呟いた。
「お父さん、お母さん…これが、私の運命なの?教えて!」
宇宙の遺志を継ぐ者 The Heir to the Cosmic Legacy 〜ミレイのテーマ曲 環 弦
https://youtu.be/HagqyYw4nqA?si=qW9-0VcKrwijHBSD




