第10話 分断された宇宙船
「ここが、宇宙船の一般区画なの...?」
立ち止まった目前には、地球の貧民街をそのまま宇宙船に移したような光景が広がっていた。大小様々な居住ユニットが無計画に積み重なり、ひしめき合っている。古いコンテナを改造したような住居、薄い金属板で仕切られただけの簡易な部屋、カプセル型の寝床。それらが狭い通路を挟んで雑然と並んでいる。
─空気さえ淀んでいる
各住居は、古びたカーテン、ビニールシート、時には段ボールで仕切られているだけの場所もある。配管から水滴がポタポタと落ち、どこからともなく生活音、料理の音、子供の泣き声、機械の修理音が響いてくる。まるで裏路地のように、住民たちが肩を寄せ合いながら、狭い隙間を縫って行き来している。
—いったい、どういうこと?この住人たちは、宇宙の法則を学びに来たのでは?…なぜ?
「あの...」誰かの声。
ミレイが振り返ると、同じ年齢位の少年が立っていた。
「僕はアキラ・サイトウ。初めて見る顔だね。君は?」
「私は綾羽ミレイ。この船に乗って…」
「三日目だろう?…噂で聞いたよ」アキラは手にしていた端末をポケットにしまった。
「何で知ってるの?」
「重要な情報は直ぐに回ってくるのさ。僕の父は環境システム管理責任者だからね…情報ネットワークっていうのは、そういうものなんだよ」アキラの口調には、さりげない自慢が混じっている。
ミレイの胸の奥に、微かな違和感が芽生えた。アキラの言葉には、まるで当然の権利であるかのような響きがある。
「…気味悪いわ。この区画は、何で地球とおんなじなの?」
「さあ、理由はわからないけど、そんなものじゃないかな。人間が作る社会なんて、どこでも同じだよ」アキラは肩をすくめた。
ミレイは眉をひそめた。
あまりにもあっけらかんとした口調。心情面の何か大切なものが欠けているような気がした。
「上の階層を見たことはあるかい?」
「まだ見てないわ...」
「じゃあ、案内するよ。でも…覚悟した方がいい」アキラの表情に、わずかな優越感が浮かぶ。
「君みたいな一般区画の子には、ちょっと刺激が強いかもしれないね」
二人は、エレベーターに向かった。古い金属製のドアが、重い音を立てて開く。
アキラが操作パネルに手を当てる。『上位階層へのアクセス許可』機械的な音声が響いた。
「僕の父は環境システム管理責任者なんだ。おかげで、僕も船内のほとんどの場所にアクセスできる」
「特権をもってるって事?…それは、お父さんでしょ。何故、アキラくんまで許されるの?」
アキラの瞳に、冷笑が交じる。
「君、世間知らずだね…」彼の声に明らかな侮蔑が込められている様だ。
「地球の法則ってさぁ、そういうもんでしょ?一部の人が支配して、その子どもが受け継いでいく。それって…当たり前じゃないのか?」
アキラの言葉の奥に潜む、生まれながらの優越感。最初から一般区画出身者を、格下の存在として見下している。
「なんか醜い!そういうのって…大っきらい!」
「醜い?」アキラが鼻で笑った。
「あなたは、人の苦しみも知らず、お父さんに守られた世界で生きてるだけ。富や力は、誰でも努力で勝ち取れる様になるべきだ、平等であるべきだと思わないの?」
「…それは理想論だよ。現実を見なよ。『利権』ってさ、そういうもんじゃん。昔から財界、政界も、芸能界も、どこもかしこもみんなそうやって世間は回ってるんだ。僕だって、生まれた時からこの恩恵を受けてるんだから、当然だろ!」
ミレイの胸の奥で、怒りと悲しみが渦巻いた。アキラの態度には、罪悪感のかけらもない。まるで既得権益を享受することが、自然な権利であるかのようだ。
「…吐き気してきたわ。アキラくん、降ろして!」
「まあ、まあ…現実を見ていきなよ。君みたいな綺麗事ばかり言ってても、世の中は変わらないんだから」アキラの口調は、まるで大人ぶった教師のようだ。
「実際、ミレイちゃんがここに居るのも運が良かっただけじゃん。それ、否定できないでしょ?」
「 … 」
エレベーターがゆっくりと上昇していく。ミレイの耳に、微妙な気圧の変化が感じられた。同時に、心の奥で言い知れぬ憤りも感じていた。
そして、ドアが開いた。
瞬間——空気さえも、違って感じられた。
「これが...富裕層エリアさ。どう?すごいでしょ?」アキラの声には、明らかな誇らしさが宿っている。
天井は高く、まるで大聖堂のような開放感がある。床は、地球から持ち込まれた様な大理石で豪華に敷き詰められている。壁には、ホログラフィックな芸術作品が投影され、まるで生きているかのように動き回っている。そして、人工庭園。巨大なドーム状の空間に、緑豊かな植物が茂っている。小川のせせらぎ、鳥のさえずり、風が葉を揺らす音——すべてが完璧にシミュレートされ、地球の自然を再現している。
庭園の中を、機械化された人々が優雅に歩いている。彼らの動きは、あまりにも完璧で、まるでバレエダンサーのよう。話し声も、電子的に調整され、不快な音は一切含まれていない。
一人の女性が通り過ぎた。その美しさは、人間の域を超えていた。肌は陶磁器のように滑らかで、瞳は宝石のように輝いている。
アキラが得意げに説明する。
「あれが、最新の機械人間さ!美しいだろ?…彼女の体は、現代の最高比率で70%機械なんだ。200歳以上は生きるらしいぜ!劣化しない永遠の美!人類の憧れさ!」
「人類の憧れ?…劣化しないのが美しいの?永遠に変わらないのが美しいの?」ミレイが問いかける。
「美しいに決まってるじゃん!劣化しないんだぜ!」アキラの目が輝く。
「…羨ましいだろ?僕だって、将来は機械化する予定なんだ。父のコネで、最高級の改造が受けられるからね!」
アキラにとって、歳を取るのは単なる「劣化」でしかないようだ。
「羨ましくないわ!…不自然で、醜い!」
「え?なんで?」アキラが本気で困惑したような顔をした。
「君、本当に変わってるね。普通の人間なら、誰だって永遠の美と若さを求めるでしょ?死ぬのが怖くないの?」
「死ぬのは怖いわ。でも、永遠の美、永遠の若さなんて…おかしいと思わない?限られた命だから精一杯生きる。…だからいいんじゃない?」
アキラが首を傾げた。
「何でだよ?永遠に生きるって、いいじゃん!すべてが計算し尽くされて、最高の環境が作られて、その中で計算通りに、長生きするんだよ。本当の自然なんか、死ぬことなんかより、ずっと優れてるさ!」
アキラには、人工的な完璧さが、価値があるように映っているようだ。
「いくら延命しても、生命は有限なのよ。有限さが持つ美しい儚さ、不完全さゆえの輝き。有限だからこその美しい!儚いから美しい!ずっと変わらないなんて…醜い!」
「儚さが美しいだって?」アキラが笑った。
「それって、ロマンチックな詩の世界の話でしょ?現実は違うんだよ!強い者が生き残り、弱い者が淘汰される。それが自然の法則なんだ!」
「あなたの家系は、そうやって代々『利権』を受け継いできたのね…強い者、勝者として。私の家系は、代々機械化を拒否して、『真実』を受け継いできた。自然を慈しむ事、譲り合う事、愛し合う事、地球とともに生きること。それら利他の精神が、人間を人間たらしめているって。それが、本当の勝者。現代の地球は利己主義、エゴが大手を振って罷り通っている。それを変えるのが、この宇宙船の役割なのよ」
「はあ?」アキラが眉をひそめた。
「権力を持たない者が、『本当の勝者』だって?君、本当にナイーブだね。権力を持つ者、力を、金を持つ者こそが、勝者なんだ!大人になれば分かるよ。格差や階級なんて、どこに行ったって存在するんだ。この宇宙船ですら、この格差だ!政府の取引で運航してるだけだっていう噂だぜ。地球を変えようなんて、ただの建前なんだよ!子供の夢物語さ!」
「あんたが、子供でしょ!地球を変える気もないのに、なんで宇宙船に乗ったのよ!行き過ぎた機械化を止める為じゃないの?」
ミレイが怒っていても、アキラはお構いなしのようだ。
「それって、ただの負け惜しみかい?機械化できない貧乏人の、ひがみじゃないの?」
アキラは立ち上がり、人工庭園を見回して、叫んだ。
「これが現実なんだ!」
彼は、未だ十四歳なのに現状を変えようとする意志など、微塵もない様だ。
ミレイの心の奥が疼き、呟く。
─誰か、本当の理由を知っている人はいないのかしら…?
その時、空気が変わった。
二人の周りに、柔らかい光が広がっていく。他の人々には見えないようだが、ミレイとアキラには、その光がはっきりと感じられた。
そして、光の中に半透明の人影が浮かび上がる。
セレスティアルが、二人の前に静かに現れた。
「私はセレスティアル。この船を見守る者の一人です」
セレスティアルは、二人に向けて手を差し伸べた。その手は、光でできているようで、触れることはできないが、温かい感覚が伝わってきた。
初めて、セレスティアルに会うアキラ。視覚的には認識したが、その心は激しく拒絶した。自分の信じる世界の根幹が揺らぐのを感じて…
一方、ミレイは懐かしい友人が現れた様に安堵した。
「ミレイ、あなたは深い疑問を抱いていますね。なぜこの船が、地球と同じような階層社会になっているのか?」
「はい...教えてください!」
セレスティアルは、壮麗な人工庭園を見渡して、言った。
「船内の階層社会を形作ったのは、あなたたち、地球人です」




