第9話 セレスティアルの伝言
乗船から三日目。
ミレイは、船内の奥深くにある区画で目を覚ました。そこは、セレスティアル専用のエリアだった。壁は半透明の物質で構成され、中を流れる光の粒子が、まるで生きているかのように脈動している。
「目覚めましたね、ミレイ」
振り返ると、あの光の存在——セレスティアルが静かに佇んでいた。
地球の宇宙港で初めて出会った時と同じく、その姿は半透明で、内側から優しい光を放っている。人の形をしているが、どこか浮遊感があり、重力に縛られていないかのようだった。
「私は...なぜここに?」
「あなたは、地球人の中でも、宇宙の法則と自然に調和できる数少ない魂の一人。だからです」セレスティアルの声は、音として聞こえるというより、直接心に響いてくる。
ミレイは瞑想の記憶を辿った。静寂の中で感じていた、宇宙との一体感。それが、この存在と何らかの共鳴を起こしているのかもしれない。
「この船での私の役割は、観察と指導です」セレスティアルが続けた。
「人類は今、重要な岐路に立っています。機械化による永遠の命を求める者たち、生身の人間としての尊厳を守ろうとする者たち、そして武力で問題を解決しようとする者たち。この使節船は、人類の縮図なのです」
「それで、私に何ができるというの?」
「あなたには、架け橋となる力があります」セレスティアルの光が、わずかに強くなった。
「異なる価値観を持つ人々を繋げ、真の調和をもたらす力が。ただし、それは簡単な道のりではありません」
セレスティアルは、壁の向こうを指差した。半透明の壁を通して、船内の様子が透けて見える。上の階層では機械化された富裕層が優雅に過ごし、下の階層では生身の人間たちが窮屈な生活を送っている。
「この船での体験は、あなたの使命への準備となります」セレスティアルは言った。
「やがて我々は、様々な宇宙文明と出会うでしょう。その時、人類を代表して交流するのは、機械化された完璧な存在ではなく、生命の持つ不完全さと美しさを理解している者でなければならないのです」
「でも、私はまだ14歳よ。そんな大きな責任を...」
「年齢は関係ありません」セレスティアルの光が温かく脈動した。
「あなたの父、タケシも気づいていました。真の知恵は、経験の長さではなく、心の純粋さから生まれるということを」
ミレイは、父の最後の言葉を思い出した。『宇宙の法則は愛だ』。その意味が、少しずつ理解できるような気がしてきた。
「今は、船内で多くの人々と出会い、学んでください」セレスティアルが立ち上がった。
「特に、あなたと同じく生身の人間としてのプライドを持つ者たちと。彼らとの出会いが、あなたの力を育てていくでしょう」
セレスティアルの姿が薄くなり始めた。
「私は常にあなたを見守っています。困った時は、心を静めて内なる声に耳を傾けてください。そこに、宇宙からの導きがあります…。さあ、そろそろ第三居住区画に戻って下さい」
光の存在が消えると、すべてが夢だったかのような感覚になった。だが、心の奥深くに、確かな使命感が芽生えていた。
父の遺志を継ぎ、人類の真の未来を切り開くこと。それは、一人の14歳の少女には重すぎる責任かもしれない。しかし、セレスティアルの言葉が心に響いている
─真の知恵は、心の純粋さから生まれる。
静寂の中で、ミレイは深呼吸をして宇宙の無限の智慧に心を開いていく。そして、これから始まる船内での体験への準備を整えた。
早速、ミレイはセレスティアルから教わった、自らの一般居住区画である第三居住区画に向けて、巨大な船内を彷徨うように歩きだした。
宇宙船777の内部は、音の迷宮だった。
ミレイの足音が、金属の廊下に響く。カツン、カツンと、生身の靴底が奏でる生々しいリズム。周囲では、機械化された人々の足音が、まったく異なる音色を響かせている——ウィーン、カチャカチャ、ピシッ。まるでシンフォニーの中に、一つだけアコースティックな楽器が混じり込んだかのよう。
廊下の両側に並ぶ照明パネルが、彼女の顔を青白く照らし出す。14歳の少女の肌に、人工の光が冷たく反射する。父から受け継いだ瞑想の習慣で培われた静寂への感受性が、この巨大な金属の箱船に満ちる無数の音を拾い上げていく。
空調システムの低い唸り声。配管を流れる液体の微かな音。どこかで響く機械的な警告音。そして、人の声——だが、その多くが不自然に調整され、電子的に加工された響きを持っている。
「やっと…ここが、一般区画ね...」
20分歩き続けたところで、ミレイは立ち止まった。目の前に広がる第三区画の光景に、心臓が止まりそうになる。




