ラウンド1:我が理想の国家
(専門家解説が終わり、スタジオの空気が再び引き締まる。あすかが穏やかながらも力強い声で、最初のラウンドの開始を告げる)
あすか:「…さて、皆様。専門家の解説で、論点はより明確になりました。住民から直接選ばれる『首長』と『議会』。この二つの力がせめぎ合う舞台で、皆様ならばどのような物語を紡ぎますか?それでは、最初のラウンドに参りましょう!」
(中央のホログラムに、筆で書かれたようなダイナミックな文字で『ラウンド1:我が理想の国家』と表示される)
あすか:「まずは、皆様がどのような国づくりを目指したのか。その哲学の根幹にある、理想の物語をお聞かせください。トップバッターは…その存在そのものが国家の定義とも言えるお方。始皇帝陛下、お願いいたします」
(全員の視線が始皇帝に集まる。始皇帝は微動だにせず、他の論客たちを視界に入れることすらせず、虚空に向かって語り始める)
始皇帝:「理想、か。朕の歩んだ道、そのものが理想である。国とは、一つの意志によって動く巨大な機構。そこに二つ目の意志は不要。混乱と浪費を生むだけだ」
あすか:「陛下の『一つの意志』、それはつまり、法による統治、ということでございましょうか?」
始皇帝:「法は、朕の意志そのものだ。かつてこの地にあった七つの国は、それぞれ異なる文字を使い、異なる長さの基準を持ち、異なる重さの基準で商いをしていた。車輪の幅さえバラバラで、道は乱れ、物流は滞る。愚かなことだ。朕はそれを全て統一した。文字を、度量衡を、通貨を、そして思想を。朕の定めた法の下に、全ての民は等しくある。そこに身分も血筋もない。ただ、法に従うか、否か。それだけだ」
(始皇帝は淡々と語るが、その言葉には絶対的な自負が満ちている)
モンテスキュー:(我慢できないといった様子で)「失礼ながら、陛下!それは統治とは呼ばない!ただの抑圧です!思想まで統一するというのは、人間の精神そのものを否定するに等しい!民は、あなたの意のままに動く駒ではないはずだ!」
始皇帝:(初めてモンテスキューに冷たい視線を向け)「…駒ではない。機構を動かす歯車だ。一つでも欠ければ機構は乱れる。故に、全ての歯車は同じ形でなければならぬ。それが秩序というものだ。貴様が言う『精神』などという曖昧なもので、万里の長城が築けるか?北方の匈奴から民を守れるか?感傷で国は守れぬ」
カエサル:(腕を組み、面白そうに口を挟む)「まあ待て、理論家の先生。やり方は気に入らんな。民を歯車扱いとは、支配者としての魅力に欠ける。だが…結果は出している。国を統一し、外敵から守る。それは為政者の第一の仕事だ。その点において、始皇帝の功績は認めねばなるまい」
モンテスキュー:「結果さえ良ければ、手段は問わないと!?カエサル閣下、あなたまでそんなことを!その先に待つのは、市民の自由が完全に失われた、暗黒の世界なのですよ!」
あすか:「ありがとうございます。絶対的な法と効率こそが、民を守る秩序となる。それが始皇帝陛下の理想、ということですね。…では、次にお話を伺いましょう。海の向こうの日本では、全く違うアプローチで国の形を創り上げた方がいらっしゃいます。北条泰時殿、あなたの理想の国をお聞かせください」
(あすかに促され、北条泰時は居住まいを正し、静かに語り始める)
北条泰時:「某には、始皇帝陛下のような大それた理想はございませぬ。ただ、武士たちが己の所領を安堵され、安心して暮らせる世を作りたい。それだけを願っておりました。某が生きた時代は、力ある者が全てを奪うのが当たり前。しかし、それではいつまで経っても争いは絶えませぬ」
あすか:「その争いを収めるために、泰時殿が作られたのが『御成敗式目』ですね」
北条泰時:「はい。誰が見ても納得できる『道理』を、分かりやすい形で示したものでございます。例えば、親から受け継いだ土地の所有権、貸し借りや売買の決まり事。そういった武士たちの暮らしの根幹を、五十一条の条文に定めました。重要なのは、この式目は、幕府が一方的に押し付けたものではない、ということでございます」
モンテスキュー:「ほう、と申しますと?」
北条泰時:「式目を定めるにあたり、某は鎌倉中の経験豊かな武士や文官たちを集め、何度も評定…つまり、話し合いを重ねました。『この場合、どう裁くのが道理に敵うか』『こちらの武士の言い分も聞かねばなるまい』と。そうして、皆が『これならば』と頷けるものを作り上げたのです。執権たる某の一存で決めたものは、一つとしてございませぬ」
(泰時の言葉に、モンテスキューは深く頷き、カエサルは少し退屈そうにしている)
あすか:「トップの独断ではなく、関係者の合議によってルールを作る。始皇帝陛下とは実に対照的なお考えです。陛下、泰時殿のやり方、どう思われますか?」
始皇帝:(目を閉じたまま、一言だけ吐き捨てる)「…甘い。故に、貴様たちの世は数百年で滅びた。朕の築いた礎は、今もこの国の形を留めている」
北条泰時:(その言葉に怒るでもなく、静かに受け止め)「…かもしれません。我らのやり方は、時間がかかり、脆いものだったやもしれませぬ。しかし、民が納得せぬ力だけの支配は、砂の城と同じ。いつかは崩れると信じておりまする」
モンテスキュー:「素晴らしい!泰時殿、あなたのやり方は、まさに『法の支配』の精神に通じるものがあります!権力者が自らの定めた法に縛られる。そして、その法が合議によって作られる。これは、権力分立の萌芽とさえ言えるでしょう!…しかし、一つ質問が。その『合議』に参加する者は、誰が選んだのですか?民の声は、そこに届いていたのでしょうか?」
北条泰時:「…鋭いご指摘。評定衆は、幕府がその見識を認めた者たちを選んでおりました。民百姓が直接、政に参加する道は…残念ながら、ございませんでした。それが、我らの時代の限界であったと認めましょう」
あすか:「ありがとうございます。一つの絶対的な法か、それとも皆で作り上げる道理か。東洋の二人の為政者から、全く異なる国家の理想像が示されました。対話はまだ始まったばかりです」
(あすかは一旦言葉を切り、テーブルの反対側に座る二人へと視線を移す)
あすか:「さて、西洋の二人の英雄にお聞きしましょう。まずは、国家という巨大な権力から、個人の『自由』を守るための精巧な設計図を描いた思想家。モンテスキュー男爵、あなたの理想の国家とは、どのようなものでしょうか?」
モンテスキュー:(待っていましたとばかりに、情熱的に語り始める)「私の理想は、実にシンプルです。それは『市民が何ものをも恐れることなく、安全に暮らせる国家』です。そして、市民が最も恐れるべきものとは何か…それは、隣国の軍隊でも、盗賊でもない。他ならぬ、自国の『権力』そのものなのです!」
(彼の断言に、カエサルは微かに眉をひそめ、始皇帝は変わらず無表情を貫いている)
モンテスキュー:「権力は、放置すれば必ず暴走し、市民の自由を喰らい尽くす猛獣と化します。始皇帝陛下のように、一人の人間に全ての権力が集中すれば、その人の気まぐれ一つで、全ての民の運命が左右されてしまう。これ以上の恐怖はありません!故に、権力という猛獣は、がんじがらめに縛り付けておかなければならないのです!」
あすか:「権力を縛る鎖、それこそが、男爵の提唱された『三権分立』ですね」
モンテスキュー:「その通り!国家の権力を、法を作る『立法権』、法を執行する『行政権』、そして法に基づいて争いを裁く『司法権』、この三つに完全に分離させるのです。議会が作った法に、王(行政)も裁判官(司法)も縛られる。王の決定が法に反していれば、裁判所がそれを無効にする。裁判所の判決が不当であれば、議会が新たな法を作ってそれを正す。この三つの権力が、互いに見張り、互いに牽制し合う『抑制と均衡』のメカニズム!これこそが、権力の暴走を防ぎ、市民の自由と安全を守る、唯一にして最高のシステムなのです!」
(モンテスキューは、自身の理論の完璧さに陶酔するように、熱っぽく語り終える)
始皇帝:「…臆病者の戯言だな。法とは、支配の道具だ。支配者が己の道具を恐れて、どうする。それでは国は動かぬ」
カエサル:「全く同感だ。男爵、君の言うその見事な国では、私が成し遂げたガリア平定に、一体何年かかるだろうな。議会に諮り、役人の許可を取り、裁判所の判断を待つ…その間に、敵は国境を越え、都市は灰燼に帰すだろう。決断の遅い国家は、ただ滅びるだけだ。歴史がそれを証明している」
モンテスキュー:「しかし、その迅速な決断が、誤っていた場合はどうするのですか!誰がその責任を取るのです!独裁者の過ちは、常に国家の破滅に直結する!」
北条泰時:(静かに、しかし鋭く問いかける)「モンテスキュー殿。その見事な仕組み、確かに感服いたしました。ですが、一つお聞きしたい。その仕組みを動かすのは、結局は『人』にございます。人の心が堕落し、私欲に走れば、いかなる仕組みもまた腐りましょう。議会も、役人も、裁き手も、皆が馴れ合ってしまえば、その『抑制』とやらは働かなくなるのでは?その点、いかがお考えか?」
モンテスキュー:(泰時の問いに、少し言葉に詰まるが、すぐに気を取り直して)「…泰時殿、それこそが重要な点です!人の心は弱い。だからこそ、人の善意に期待するのではなく、悪意や欲望が暴走しないための『制度』が必要なのです!人が堕落することを見越した上で、それでも国家が破滅しないための安全装置。それが、私の理想とする国家なのです!」
あすか:「人の心を信じないからこそ、制度を信じる…。ありがとうございます、モンテスキュー男爵。では、いよいよ最後の一人となりました。理論や制度を、その圧倒的な実践力で乗り越えてきた英雄。カエサル閣下。あなたの理想の国家とは?」
(カエサルは、それまでの議論を全て嘲笑うかのように、ゆっくりと立ち上がる。そして、スタジオの向こうにいるであろう民衆に語りかけるかのように、演説を始めた)
カエサル:「理想の国家、か。始皇帝は『法』だと言った。泰時殿は『道理』。モンテスキュー男爵は『制度』。どれも違うな。私の答えは、ただ一つ…『民意』だ!」
(その言葉には、絶対的な自信が満ちている)
カエサル:「私がルビコンを渡った時、元老院の老人共は私を『国賊』と呼んだ。法を破った、と。制度を壊した、と。だが、ローマの市民たちはどうだった?彼らは私を熱狂的に歓迎した!なぜか!私がガリアを平定し、莫大な富をローマにもたらし、それを市民に還元したからだ!腐敗し、己の私腹を肥やすことしか考えぬ元老院よりも、このカエサル一人が、よほど民の心を掴んでいたからだ!」
あすか:「つまり、議会よりも、あなた個人の方が、より民意を正しく代表している、と?」
カエサル:「そうだ!民意とは、議論の果てにあるものではない。民の熱狂そのものだ!指導者とは、その熱狂を一身に背負い、結果で応える者のことだ。民が私を支持する限り、私の行動は全て正義となる。元老院の承認など、もはや不要なのだ!民が直接選んだ指導者が、民のために迅速に決断を下す。これ以上に理想的な国家がどこにある!」
モンテスキュー:(顔を真っ赤にして立ち上がり、激しく非難する)「それこそが民主主義の破壊です!独裁への最も危険な道だ!熱狂した民衆が、自らの手で自由の首を絞める行為だ!歴史上、全ての独裁者は、あなたのように『民意』を騙るのです!その熱狂が、どれほど移ろいやすく、危険なものか、あなたほどのお方が分からぬはずがない!」
カエサル:(モンテスキューを冷ややかに見下ろし)「自由、自由と、先ほどからやかましいな、男爵。君たちが守ろうとする『自由』とは、一体何だ?民には、まず食うためのパンが必要だ。安全に暮らせる家が必要だ。私はそれを与えた。飢えた民に『議論の自由』を与えて、何になるというのだね?」
北条泰時:「カエサル閣下。民の心が、閣下を支持する熱狂が、もし冷めてしまった時には、閣下は何を頼みに国を治められるおつもりか。熱は、いつか必ず冷めるものでございます」
カエサル:「その時は、また新たな熱狂を生み出すまでのこと。勝利こそが、指導者の存在理由だ」
始皇帝:(それまで黙っていたが、カエサルを軽蔑したように一瞥し)「…民に媚び、その支持を頼みにするとはな。まるで犬のようだ。朕は、民を従える。犬の機嫌を取るような真似はせぬ」
カエサル:(始皇帝の言葉に、初めて不快な表情を見せるが、すぐに不遜な笑みに戻す)「ふん、やり方は違えど、目指す頂は同じ、ということか…」
あすか:(白熱する議論を制するように、静かに、しかし凛とした声で)「皆様、ありがとうございました。これで、四者四様の『理想の国家』が出揃いました」
(あすかは立ち上がり、スタジオ全体を見渡す)
あすか:「絶対的な『法』か。皆で探す『道理』か。個人の『自由』を守る制度か。あるいは、民衆の『熱狂』そのものか。…掲げる正義は、見事なまでに、何一つ重なりませんでした。ラウンド1は、ここまでといたします」
(中央のホログラムの文字が消える)
あすか:「次のラウンドでは、この全く異なる思想が、『首長と議会』という現代のテーマの上で、いかに激突するのか。いよいよ、物語は核心へと迫ります」