公爵家にて
くしゃみをしたレベッカを気遣って、使用人は温かいハーブティーを出してくれた。
(んッ……これは! 良いシノフドゥの香り……さすが公爵家だわ)
美容にも良いとされるハーブの一種だ。
日々、メイドたちは公爵の美しい髪を梳き、彼の肌を健康的に保ち、洗練された服を着せているであろうことが窺える。
確かに、あれは磨けば磨くほど光る宝石であろう。
レベッカは玄関ホールの傍の応接間で大人しく待っていた。
見たことのないような豪奢な刺繍のソファーだ。
(ふ、ふかふか!)
座り心地の良さにおしりが溶けてしまうのでは、とレベッカは心配になる。
扉の近くに、先程の背の高い使用人が立って控えている。
すっとした顔立ちの精悍な若者だ。
不審者として警戒されているのかもしれないけれど、こんな薄布のようなドレスを着ていたならそう思われても仕方が無い。
(せめて少しでも露出を減らしたい……)
レベッカは借りてきた猫のように静かに、客間にでんとおかれたソファの隅に小さくなっていた。
暫く後、公爵が戻って来た。
扉の横に立っていた男の肩を軽く叩く。
「ジャンに手はつけなかったか。噂の悪女ならつまみ食いしそうなものだが」
「なっ……」
逃走防止用ではなかったのか。
まさかの悪女相手の釣り餌だった。
(つ、つまみ食いって? エビフライみたいに、そんな……)
意味は深く分からずとも、何となく怪しい響きだったのを察して、レベッカは話を変えた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。夜明けと共に出ていきますので」
「その格好でか?」
公爵はつい、と形のよい指で、レベッカの無惨なドレスを示した。
(忘れてた……!)
レベッカは考えなしだった自分を呪った。
「……あ、あの、大変申し訳ないのですが、古着を1枚頂けませんか。あと、かかとの低い靴を……あの! お給料が入ればきちんとお返しいたします!」
「どうするつもりだ?」
「えっ……着ますけど……」
「そうではない、どこへ行くつもりだと言っている。ラルエット家に帰るだけならば馬車を呼べば良い話だろう。給料というと、どこかで働くつもりなのか?」
公爵の感情の無い瞳に見据えられたレベッカは、居住まいを正した。
この人が味方かは分からない。
父や母と繋がっていて、もしかしたらすぐに実家に連絡されてしまうかもしれない。
だけど、公爵の真っ直ぐな瞳は、中立に見えた。
ごまかさずにきちんと話をしなければ。
レベッカは口を開いた。
「平民になろうと思ったのです」
「平民?」
公爵はハーブティーのカップを優雅に傾けた。
「もうあの家からは離れたいのです。何もできない私ですが、花売りならばできるかと」
「花売り……」
公爵はまじまじとレベッカを見た。
「いえ、こう見えて花や植物については、それなりに学んで参りました。本を読むくらいしかやることが無かったので……」
「そうか」
短く返答した公爵は、
「ジャン」
と声をかけた。
「何人かメイドを呼んでくれ。このご婦人を客間に泊めて差し上げろ」
「承知しました」
ジャンが答えると、すぐに応接間にメイドが3人入ってきた。
「では、失礼いたします」
「え、あっ、ちょっ」
「さ、ラルエット様。こちらでございます」
急かされるように、レベッカは退出する。
メイドたちは皆表情が無く、淡々とレベッカの世話をした。
「湯浴みはいかがなされますか」
「軽食はいかがでございますか」
「お召し物をこちらにおかせていただきます」
世話をされることに慣れないレベッカは、どぎまぎして
「はっ、はい」
「ありがとうございます」
「それはさすがに申し訳なく」
を繰り返すのみだった。
こちらへ、とうながされて寝た寝台は、信じられないことに先ほどのソファよりも柔らかかった。
(全身が溶けてしまうっ……!)
と、思った瞬間、今日の疲れがどっと襲ってきて、レベッカは眠りについていた。