最終話 穏やかな断罪
その日、宮殿の大広間は華やかに飾られ、多くの貴族や社交界の人々が集まっていた。
期待と興奮が空気を支配していた。
聖女就任のパーティーだ。
今日はあの噂のヴァレリアン公爵夫妻が来るのだ。
邪知暴虐の裁判官、嗜虐趣味と噂される公爵、シャルル。
色情的な魔女と言われるヴァレリアン公爵夫人、レベッカ。
(どんなに悪趣味な夫妻だろうか?)
人々は好き勝手に想像をして、噂し合った。
公爵夫人の美しさはまるで夢の中に迷い込んだようだった。彼女の肌は透明かと思うほど美しく、純白の肌は艶やかな輝きを放っていた。いっそ透明にみまごうほどの肌は、ほんのりと桃色がかかっており、完璧に整った顔立ちとの対比が美しさを一層際立たせた。
彼女の瞳は深い森の朝霧のようで、光の中で輝き、その奥には知識と優しさが宿っているように見えた。その瞳は相手に見つめられるだけで、まるで心を解読されてしまうかのようだった。
まるで秋の木の実のようにこっくりと色づいた唇は、彼女の色気を上品に匂い立たせていた。
ドレスは軽やかなラソワでできており、身体にぴったりとフィットしていた。細やかな刺繍と宝石が施され、まるで星座のようだった。彼女の姿はまるで宮廷画の中から飛び出してきたようで、周囲の人々はその美しさに圧倒された。
「あの娼婦のような下品で不格好な少女はどこにいってしまったのだろう?」
と会場の貴族たちはささやきあった。
「まるで魔法だわ」
過去の無様な姿が夢のように思えるほど、レベッカの美しさは圧倒的だった。
途方もなく魅力的で、まるで宝石のように煌めく肌や髪の輝きが会場に満ちる空気を一変させた。
誰かが、
「美の女神だ……」
と呆然とつぶやいた。
もしもレベッカが一人きりであれば、多くの紳士たちが彼女にアプローチし、彼女の手を求めただろう。
しかし、そうはならなかった。レベッカが至高の宝石のようであれば、夫も同様だった。
ヴァレリアン公爵はその存在自体が異質で、加虐的な雰囲気を纏っていた。彼は生まれながらの強者であり、支配者の風格があった。普段であれば周囲を威圧するような彼の美貌は、レベッカが腕をとっていることで、猛禽類が止まり木に収まっているような印象を受けた。
呆然と遠巻きに見ていた淑女たちを、ふとレベッカは見やった。
「ごきげんよう」
と、レベッカはにっこりと微笑んだ。
多くの人々が彼女の美しさや優雅さに感銘を受けたことは広く広がり、レベッカは社交界において新たな評判を築くことに成功した。
レベッカの美貌と内面の魅力は、その日確かに悪女としての噂を遥かに超えたのだった。
「公爵夫妻? ああ、ここにいらっしゃった。ご機嫌いかがでしたか」
と、話しかけたのは新たに聖女に就任したアデルだった。今日の主役だ。
「あら、アデル。おめでとう」
レベッカはアデルの手を取った。
アデルはどぎまぎして言い淀んだ。
「本当に……何と言ったらいいか……まだ実感がなくて」
「全ては頑張ったあなたの成果よ」
「そうですかねぇ」
「新しい生活にはもう慣れて?」
「ええ。とはいっても神殿の探索ばかりして一日が終わります」
レベッカの表情の下半分は虹色の貝殻を薄く切ったような扇子に隠れて見えなくなっていたが、人々をひきつけるには十分だった。
「ごきげんよう、レベッカ様」
「公爵夫人、ご機嫌いかがですか」
「なんと美しいドレスでしょう」
「私ともお話を」
「レベッカ様!」
「公爵夫人!」
そんな声に紛れて、雄牛のように突撃してくる者があった。
「この性悪魔女!」
殴りかかってこようとする何か。
レベッカとアデルをシャルルは背中に隠すように立ちはだかった。
それは血走った目のエミリーだった。
「あんたでしょ!この平民を送り込んだのは!どんな手を使ったのよ!」
「確かにアデルに声をかけたのは私です」
と、シャルルの隣から一歩進み出て、レベッカは言った。
「ですがあくまでもこの結果は彼女の実力。あなたにとやかく言われる筋合いはありません」
「またその体で審査員をたらしこんだんでしょう!」
「あるわけないでしょう。また、と言われても一度もそんなことしたことないわ。ねぇ、エミリー。私、もう我慢しないようにしたの」
レベッカは周りで様子を窺っている貴族たちが興味津津で耳をそばだてているのを見て、言った。
「私の夫、シャルルを暴漢に襲わせようとしたわね。そして、私の私物を勝手に奪って人に渡した。さらに、今ここで私に殴りかかろうとした。三つの罪であなたを訴えます」
「なっ……!」
エミリーはワナワナと震えた。
こんなはずじゃなかった。
姉はいつも自信なさげで気弱だったはずだ。法に訴えるなんて想像もつかないような人だったのに。
利口な鷹のようにレベッカに寄り添う美貌の公爵をエミリーは睨んだ。
こいつのせいで、レベッカは変わってしまった。
今回だって大人しくみんなの前で笑われる役はレベッカのはずなのだ。
こんなの、自分が引き立て役のようだ。
警らが飛んできてエミリーを抱えていった。
「アデル嬢!」
走ってきた巻き毛の子供に気付き、アデルは笑いかけた。
聖女試験のときの貧乏な子供。
「どうしてこんなところに?」
「あの、その、実は……今は、僕も貴族で」
「養子になれたの!? よかった」
アデルはほっとした。
「しっかり食べられている? 大きくなったら君が領民をお腹いっぱい食べさせてやれるように頑張るんだよ」
「……うん」
巻き毛の子供はまぶしそうにアデルを見た。
「アデル。僕、ミシェルっていうんだ。5年! 5年待ってて。アデルをちゃんと迎えにいけるように、僕は強くなるから」
「ふふ? ミシェルが迎えに来てくれるの。それは楽しみだわ」
「本気だよ。ちゃんと待っていて、アデル。僕が君を守れるくらい、この国の誰よりも強くなったら……僕と結婚して」
「結婚」
この可愛らしいお坊ちゃんは、そんな言葉を何で知ったのだろう。
小説や戯曲を見せてもらえたのだろうか。
それとも、寝物語に聞かせてもらったのだろうか。
どちらにしても、良かったじゃないの。
アデルは改善されたであろう少年の境遇を想像し、嬉しくなって言った。
「あっはっは! それはいい。そのときはこの聖女アデルが、君のお姫様になろうじゃない」
「本当! 絶対だからね」
アデルは知らなかった。
この少年がこの国の第三王子ミシェルであることを。そして18歳になって、『本当にこの国の誰よりも強くなった』ミシェルが、彼女を迎えに来るつもりであることを。
平穏を取り戻しかけていた社交の場に、ガラスの割れる音がパリンと響いた。
狙いをはずしたシャンパングラスが、レベッカの足元に落ちて砕けた。
ヒステリックに突撃してきたのは、義母のイザベラだった。
「レベッカは血も涙もない娼婦のような女だわ!」
「お義母様。貴方は私を飾り立てて娼婦娼婦と罵っていましたが、父と結婚する前、あなたは娼婦だったようですね?」
「なっ……何を証拠に」
「『親切な方』が教えて下さったのです」
ミシェルの脳裏に「あたくしに物を投げつけたことを後悔させてやるわ」と悠然と微笑んでいた叔母の顔が浮かんだ。
レベッカにも予想外だったのだが。
「聖女試験の後、その方が我が家に書状を送ってきました。それによると貴方は父の他にも多くのパトロンがいましたね? いえ、私はそれをどうこう言うつもりはありません」
「何を証拠に……そうよ、これは不当な言いがかりだわ!尊厳を貶められた!」
「すみません、証拠はあるんです」
義母があんぐりと口を開けた。
「あなたは記録をつけていた。誰からどれだけの支援をもらっていたのか。その出納帳を私が持っています」
「なぜそれを……」
義母は、察した。
(辞めさせた、メイドのサラだ)
宝石を盗むなんて違和感はあった。
だが、まさか記録を持ち去っていたなんて。
「お義母様。もう止めませんか? 貴方が私を罵るたびに、貴方は貴方を傷つけているんです」
「うるさぁああああい」
義母は発狂寸前だった。
レベッカは穏やかに言った。
「私はあなたを恨んではいませんわ、お義母様。貴方も必死だったのでしょう。貴方の虐待のおかげで、私は夫と出会えたのです」
「だまれだまれだまれだまれえっ」
「黙るのは貴方の方だ、夫人」
公爵の凜とした声が響く。
「レベッカに対する不当な扱い。食事を与えない、殴る蹴るの暴行を加える、本人が嫌がる服や化粧をさせて夜会に行かせる、使用人を買収しレベッカへの助力を奪う、事実と異なる噂を流す。これら全ての事実に関して、私は夫として徹底的に戦うつもりだ。法の場で」
「そんな」
「レベッカがこれほど賢くなければすぐに死んでしまっただろう。それほどの劣悪な環境の中にレベッカを置きながら、のうのうと自分は優雅に暮らしていた。これが罪でなくて何なのだ? また、ラルエット伯爵に横領疑惑が生じている。それは別の場で裁いてもらおう。さあ、連れて行け」
ラルエット伯爵は横領。
義母と異母妹は牢獄へ。
「それでは本当の悪女は、レベッカ様ではなくて……」
パーティーの参加者は騒然となった。
アデルは言った。
「さっきから聞いていれば何なんです? レベッカ様が悪女? シャルル様が暴虐? ありえません」
養子、アデルは憤慨していた。
「いいのよアデル。世間に何を言われようとも私たちは愉しく暮らしているのだから」
「よくありません! レベッカ様は誰よりぼろの服を着て麦わら帽子なんか穴が空いてるし、シャルル様はいつもお優しくて、にこにこしながらいつもレベッカ様によしよしされて膝枕ムグッ」
「アデル。そこまでだ」
膝枕? とささやき合う有象無象の貴族の前で、邪知暴虐の裁判官はその美しい頬をほんのりと紅く染めた。
END
これにて完結です。読んでくださりありがとうございました!