選抜、決する
次で最終話です。
聖女選抜の最終の課題が発表された。
「この中で最も癒やしを求めている人間に施しなさい」
と、試験官の女性は言った。
神殿の大広間に、新たな人間が入ってきた。
手の汚れた農夫の老人。
貧しい身なりの痩せた子ども。
ざっくりと胸元の開いた女。
片手を失っている騎士。
「さあ、貴方たちのそれぞれの決断を見せて下さい」
荷物を預かられなかったのはこのためだったのか。
聖女候補たちは察した。
自分の持つものの中から、誰に何を施すのか?
それでもエミリーは勝ち誇ったように微笑んでいた。
余裕があった。
だって、エミリーの勝利はもう、確定している。
この中にエミリーの敵はいない。
これで晴れて聖女の仲間入りだ。
令嬢の憧れの頂点の聖女!
(あのレベッカが知ったらどう思うかしら)
変態公爵に嫁いだから、悪いうわさが流れると思ったのに、最近はレベッカが高級服店で美貌を見せつけただとか、いけすかない話になっていた。
(レベッカは私の引き立て役じゃないといけないのよ)
だから、少しばかり、懲らしめてやった。
調子にのっているだろうレベッカに警告してやった。
あれから何の噂も流れてこないので、あの浮浪者はうまくやったのだろう。
ヴァレリアン公爵の顔に傷一つでもついていれば儲けものだ。何しろ、夜な夜な小部屋で人に言えない趣味をしているという変態だ。裁判官の名声もどうせ美貌で保っているのだろう。レベッカもこれに懲りたら目立たずに、聖女エミリーの引き立て役として、きちんと大人しくしていればいい。
「では、前へ」
と、試験官が言った。
最初に指名された令嬢は、農夫に香水を渡した。
農夫は言った。
「おいおい。冗談言うなよ。人間、何日か水を浴びなくったって死なねぇよ」
次の令嬢は、痩せた子供に首飾りをかけた。
「おなかがすいたよ……こんなのいらない。それよりパンが欲しいよ」
次の令嬢は胸元が開いた女に、ハンカチを渡した。
「何? これで涙をふけって? お貴族様のお嬢様からもらったハンカチでかい? 人を馬鹿にするのもたいがいにおしよ。あたしは泣いてうずくまるような人生送ってないんだ」
その後も令嬢たちは数々の試みをしたが、すげなく突っ返されるものが殆どだった。
返されなくとも、嫌みや嫉妬、貴族への羨望をあてこするような言い方をされて、令嬢たちはがっくりと肩を落とした。
そして、エミリーの番が来た。
この日のために準備した、パールをちりばめたドレスでエミリーはしずしずと歩み出た。
試験官にはまるで天使のように映っているだろう。
エミリーは舞台役者のように、騎士の前でカーテシーをした。
「わたくしが祈りを捧げるのは、騎士のあなた様だけですわ」
「ほう。それはなぜかな」
と、片腕の騎士は尋ねた。
「まずはそこの老人。働けなくなったとしても、農夫は代わりの者がたくさんいますわ。子供もそう。飢えるのが嫌ならば働きなさい。そしてそこの……ああ、口にするのもはばかられるのですが……男を手玉にとる商売をしている女性の方? あちらは一人でもたくましく生きていけそうですもの、わたくしが何かするまでもありませんわ」
「うっせぇな。あんたも似たようなもんじゃないのか」
と罵った女に、エミリーは激高した。
「おだまりなさい!無礼よ!私はあなたとは違う生き物なの!」
エミリーは女に身に着けていたブローチを投げつけた。
「ですがこちらの騎士様は、この国のために進んでこの身を犠牲にされたお方。なんと気高いお心でしょうか! そしてなんとお可哀想なことでしょうか! ですから、私は騎士様に施しますわ」
エミリーは金貨三十枚を騎士の前に置いた。
事前に母親が試験の内容を買っていたのだ。
ここからどう言うかまでリハーサル済みだ。
エミリーは胸を張った。
「これだけあれば義手を作れます。どうか性能の良い義手をお作りになって、また国のために働いて下さいませ」
騎士はじっと革袋を見ていた。
エミリーは反応が無いことを不思議に思う。
そろそろ泣き出して感謝を述べながらすがりついてくる頃合いじゃないのか。
騎士は地を這うような声で言った。
「ふざけるな」
その場の空気が凍る。
「手が無きゃ国のためには働けないっていうのか? 可哀想だっていうのか? お前になんでそんなことを決めつけられなきゃいけないんだ? 代わりがいるなんて、一人で生きていけるなんて、どうしてそんなことが今日初めて会っただけのお前に分かる?」
農夫と子供と婦人もいっせいにエミリーを見ていた。
「あんたは誰よりも傲慢な娘だ」
騎士はまっすぐにエミリーを見て、固い声で言った。
その瞬間、試験官の女性は判断した。
エミリー・ラルエットは、不合格……。
最悪の空気の中、最後のアデルの番が来た。
アデルは後ろ髪につけていた花を引き抜いた。
その拍子にまとめていた髪がほどけて解ける。
髪型を気にしない聖女などいるわけがないと思っていた試験官は、しばし瞠目した。
「あー、あったあった。はい、これ、どうぞ」
アデルが渡したのはつぼみのついた小さな花だった。
「花?」
と、老人は言い、子供は素直に「つぼみだ」と言った。
「ハッ。こんなもん生きてくのに何の役に立つんだ」
と、女はすぐに投げ捨ててふみにじった。
「お貴族様の、お涙頂戴の三文芝居か? あたしたちも馬鹿にされにくるなんて良い仕事だよなぁ」
騎士も無言でそれに倣った。
じっと花を見ていた子どもと農夫も、床に捨てた。
アデルはじっとそれを見た。
「では何なら生きていくのに役に立つのでしょう?」
アデルが尋ねた。
「家が欲しいな。雨風の防げる家が。それに薬も」
と農夫が言った。
「食料が欲しい。おなかいっぱい食べたいんだ。これからずっと。家族みんな」
と子供が言った。
「そうだねぇ、浮気も博打も暴力もしない旦那様かね? 金をたんまり持ってるといいねぇ」
と女が言った。
騎士は無言を貫いている。
アデルは言った。
「私はこの課題をすることはできません」
試験官が眉をあげた。
アデルは続けた。
「なぜなら私はこのかたがたに『施す』ということができないからです。私は政治家でも裁判官でもなく、食料を倍増させたり悪を成敗したり、そのような実質的な力はありません。ただ、もし哀しみの中にいるのだとしたら、この人たちを少しでも励ましたかった」
アデルは花を拾った。
大切に胸に抱え、祈りを込めると花は開いた。
「ほう」
「うわあ」
老人と子供が微笑む。
だが、女が踏みつけて折ってしまった一輪が咲かなかった。
女がばつが悪そうに言った。
「あたしもこの花のようなもんだよ。どれだけの男に踏みつけられたかしれやしない」
「そうですか。それならよかったです」
アデルは折れた花の茎を持ち、祈りをささげた。
クレマンが教えてくれたのだ。
――練習さえすれば、自分の魔力を対象物に流すこともできるのだ、と。
「嘘でしょう?」
女が目を見開いた。
折れた茎は完全に修復されていた。
「膨大な魔力だ」
「ありえない」
「嘘だ」
老人と子供と騎士が呟いた。
アデルは女につぼみの咲いた花を渡す。
「あんなに踏みつけられたのに、こうして咲きました。綺麗なお花です」
女はもう花を捨てなかった。
代わりに大切そうに両手で胸に当て、何かを考えるように黙り込んでいた。
試験は終わり、面々は退室した。
「ああ、今年も終わりましたわね。顔がべたべたしますわ」
「ミシェルは初めてじゃったな」
「緊張しました、お爺さま」
「お見事でした、ミシェル殿下。それにずいぶんとお痩せになって。驚きましたよ」
「いやあ、少しでも臨場感があったほうがいいからさ。二週間かかったよ」
「カトリーヌは途中で素になっておったぞ。まだまだじゃな」
「難しいですわ……お父様のようにはとても。演技の練習が必要ですね」
そして、先代王レオポール。
第三王子ミシェル。
王妹カトリーヌ。
白騎士団副隊長、マティアス。
それが、老人と子供と女と騎士の正体だった。
「どうなることかと思いましたけれど、もうアデル嬢に決まりですわね」
「アデル、と言うのか……」
「ミシェル様? お熱があるのでは、お顔が赤いですよ」
「こらマティアス、落ち着け。そなた新婚だというのに全く、男女の心の機微というものが分かっておらぬ」
「え、男女……あっ? え、そういうことですかミシェル様」
「ねえ、お父様。あのアデル嬢の魔力をどうお思いになりまして?」
「修復が可能となると、もしや植物以外にも効果があるのかもしれんな」
「あの日、あの闘いで、漆黒のドラゴンに喰われた俺の腕も元に戻りますかね」
「あの日っていつのことです? そういう冗談は笑えませんよ。マティアスの腕は生まれつきでしょうに。あなたはそれをものともせずに騎士になったでしょう?」
「は、そうですね、すみません。いやー、それにしてもあの女もすごかったですね」
「エミリー嬢はまさか、ふ、ふふ、このあたくしに物を投げつけるだなんて」
「おばさま、お顔が怖いです……」
「いけすかない女でしたわ、本当に。もうずっと、入場してきたときからずっと上から目線で」
「マティアスも演技を忘れておったな」
「すみません……いや、つい」
「マティアスの義手なんかたくさんあるのにね。しかも剣仕様になってる特注のやつ」
「稀代の義手の製作士と騎士団の副団長が恋仲になるなんて、熱烈ラブロマンスですわねぇ」
「いや~、お恥ずかしい。ですが、つ、つ、つ、妻、ふふっ、もう俺の妻なんだな……妻の作る物しか俺は生涯使わないと決めています!」
「新婚の浮かれた者どもの戯言ってあたくし不快だわ」
「す、すみません」
「おばさま、またお顔が怖くなってます……」
「聖女たるもの、癒やしについてよく考えておらねばなるまい。その点ではアデル嬢は満点も満点じゃ」
「まさか『施し』の違和感を指摘するだけでなく、あんな魔力まで見せてくれるなんて、期待以上でしたわね」
本来試験はどちらかで合格だった。
下々の者に『施す』という課題の違和感を指摘できる理知的な者。
あるいは、圧倒的な魔力で対象者たちの心をつかむ魅力を持つ者。
そのどちらもを有する聖女が現れるなんて前代未聞だ。
レオ爺こと、先代王レオポールは厳かに言った。
「アデル嬢を聖女とすることで、諸君、異論はないな?」