アデルの修行
突然、自分とさほど年齢の違わない父母ができたアデルは、屋敷に迎え入れられて驚愕していた。
豪奢な屋敷の内装は感心するばかりだった。
が、それにも増して、ヴァレリアン公爵夫妻たちの艶やかさ。
(うーん。絵画か?)
と、アデルが思っていると、その絵画のような夫人が口を開いた。
「来てくれてありがとう。アデル」
(しゃべった! 生きてた!)
と、当然のような感想を抱いたアデルは、そこからまさに神の託宣を聴くように、夫妻のこれまでのいきさつを聴いた。
「……と、いうわけで私たちは夫婦といっても書類上のものであって、実際にはこの計画がうまくいってからは他人になるのだけれど、あなたにとって不都合があるようにはしません。これはあなたの協力なしには、実行することはできないの、アデル」
「ずびっ、……う、お話はよく分かりました……そ、そんなことがあったなんて……うっ」
「どうしたの? アデル、何か悲しいことが?」
「ち、違いますよ……あまりにレベッカ様がシャルル様を想っていらっしゃって……だって他人を自分の戸籍に入れるってそんな……私みたいなどこの馬の骨か分からないようなやつを養子にしてまでシャルル様を守ろうとする……レベッカ様のお心に思わず涙が……」
「えっ」
口もとを隠すレベッカと、無表情に目線を逸らすシャルル。
(えっ……って、何それ、好きじゃん。もう、好きじゃん。えっ? 夫婦でしょ? ん? 違うの? 書類上とか言ってるけどこれ絶対お互い好きなやつじゃん? 既成事実的なことじゃ)
動揺したアデルは傍に控えている使用人たちを見る。
全員が寒さに耐える狐のような諦念を感じさせる表情をしていた。
(これ通常運転? 嘘だろ?)
アデルは使用人を見て、さらに再びヴァレリアン夫妻を見た。
これまでの人生で感じたことのない衝動がこみ上げてきた。
そして、賢い彼女は察した。
(あっ……これが尊いってことか……)
アデルに『推しカプ』という概念が生まれた記念すべき瞬間だった。
そんな『推しカプ』たちに励まされながら、アデルは住み込みで聖女としての基本的なことを学び続けた。試験の具体的な対策は普通ならば一年、もしくは数年かけて行われる。それを一月でやってのけようというのだから無茶もはなはだしい。
だが、運命はレベッカに味方した。
アデルはものすごく飲み込みが早く、本人曰く『根性で』やり遂げていった。
淑女らしい見た目や立ち居振る舞い、しゃべり方。
レベッカは、メイド長のクロエに事情を話して、アデルを見てもらった。クロエは大聖堂の人間と親交があるらしく、聖女についての知識も豊富だった。「背筋は伸ばします!」「ヒッ」「返事はヒッではございません!」「はいッ」
と、いった具合に、アデルはクロエの指導により、正しい姿勢や振る舞いを学んだ。
腐っても元伯爵令嬢、ということもあってか、貴族としての基本的なマナーはアデルには身に付いていたのも良かった。
その後、レベッカはアデルに魔力の基本を教え始めることにした。といっても魔力の無いレベッカには具体的なことを教えることはできない。
そこで先生となったのは意外な人物だった。
「こんな老いぼれにもまだできることがあったのですねえ」
クレマンは穏やかに微笑んだ。
ヴァレリアン公爵家には多くの使用人がいる。
その中の筆頭を務めるクレマンは、確かにそれに相応しい能力を持っていた。
レベッカは同席して、クレマンとアデルを見守った。
「私のような平民の中にも魔力のある人間はおります。上手に使えば良い物にもなります」
と、クレマンは言った。
「ええっと……魔力ってどういうものかよく知らないんだ。もしかしてよく目をこらすと物のまわりにぼんやり見えるこの白い空気みたいなやつ?」
「おそらく、そうですね。ではアデル様、私をじっと見て下さいますか」
「分かった。んっ……え? う、わあああああぁ!?」
アデルが飛んでさがる。
レベッカは何も見えないが、アデルには何か見えてはいけないものが見えたのかもしれない。
「……」
「では、この魔力というものを使っていきましょう。応用でございます」
「ハイ」
借りてきた猫のようにアデルがおとなしくなったのを見て、レベッカはクレマンさんには逆らわない方がいいなと思っていた。
そして、運命の日が来る。