アデル、疑念を抱く
アデルは貧乏伯爵の四人目の娘だった。
爵位を売れば金になる。
あの年の領地の飢饉を凌ぐにはそうするしかなかった。
領地の小麦と引き換えに、伯爵家は一家仲良く没落し、今では平和に平民として生きている。
今では殆ど農民となった父母は、昔の伝手をたどって貴族の屋敷に息子と娘たちを奉公に出した。
そういうわけで、今や平民となったアデルがこのカミーユ侯爵の屋敷でメイドとして働いているわけである。
暮らし向きは悪くない。
主人のカミーユは筋金入りのボンボンだが、お人好しで情に厚く、使用人を大事にしてくれる。
本来ならば身分を失ってこんなところにいられないアデルを、友人の友人のそのまた友人の娘だからという理由で雇ってくれているのだ。
贅沢をしなければ生きていける。
食事も出れば、衣服も支給される。
宝石だのドレスだの、生まれたときから貧乏伯爵だったアデルには縁遠い物で、そういう類いの物に対しての執着は無かった。それを抜いても、性格もあるのかアデルはどうにも男勝りで、じっとしているのは性に合わなかった。
ただ、元伯爵領地の気の良い農民たちが飢えてはいないだろうかとアデルは時折心配になった。
もう自分一人の身を守ることで精一杯で、彼らに何もしてあげられない。
せめて祈りを捧げるくらいはしよう、と、アデルは毎朝毎晩、天に祈っていた。
(今年こそ豊作になりますように。せめてひどい凶作になりませんように)
アデルが好きなのは『生き物』だ。
犬でも馬でも自分と違う個体というのは単純に見ていて面白い。
農民に交じって作業をすることもあったが、アデルは植物も好きだった。
畑の野菜なんて、アデルが世話をすると、思ってもいない形に育ったりする。
それが難しく、また面白くもあった。
(この奉公が終わったら、実家の畑を手伝おうか)
アデルはいびつな形に曲がったニンジンや芋を思い出した。
なぜかセクシーな女性のように足のように分かれる野菜もあって面白かった。
それに、アデルは魔力持ちだ。
世界には魔力がいたるところにあって、魔力のある人間は多かれ少なかれそれを感知できる。
同じ種類の物質でも、魔力が濃い個体と弱い個体では、使用したときや摂取したときに結果や効能が変わるのだ。
(魔力の強い野菜だけ選んで、富裕層に売りつけたらもうかるんじゃないか!?)
これまで領民と一緒に苦心惨憺した日々をアデルは忘れていない。
つまり、金銭にがめつかった。
こんなに元伯爵令嬢という言葉が似合わない娘もそういないだろう。
日焼けした健康的な肌。
紐で簡単に結んでいる父親譲りの緑豆色の髪と、くるくると動く悪戯っぽい瞳。
いつも微笑んでいるように見える陽気な口元。
やせぎすの体には余分な脂肪がなく、化粧っ気がまるで無い。
少年といっても通るような見た目だった。
そんなアデルが聖女試験を受けることになるなんて、本人さえも想像だにしていなかった。
*
誰かにプロポーズされた方が、まだ現実感があったかもしれない。
もちろんアデルに彼氏なんていたことはないけれど、それよりも想像できないことが起こってしまった。
「あなた、聖女になって下さい」
と、美女が裸足で逃げ出すような女神、あと数十日でヴァレリアン公爵夫人になるレベッカ様に懇願されたのが昨日のこと。
アデルは自分に起こった不思議な出来事について、紅茶のポットを磨きながらメイド仲間に話していた。
「ねぇ、サラ。どう思う? ありえないと思わない? あたし、かつがれてるのかな」
背中の傷の癒えたサラは、今日から初めて厨房に出仕している。湿布が効いたのならよかった、とアデルは思った。
サラは前の屋敷で何かやらかして追い出されたのだ。女主人に折檻されたらしい。美人だから旦那様に言い寄られたのかもしれない。同室になったアデルは、訳アリのサラを歓迎した。
サラはティーカップを磨きながら、
「そんなことをする人ではないわ」
とアデルに言った。
「ん? 知り合い?」
「前の屋敷で仕えていたの」
サラは何でも無いことのように言った。
「え、それって前の主人ってこと?」
「違うわ。そうだったらどんなによかったか……私はあくまでもラルエット夫人の侍女だった。お嬢様が苦しんでいたのを知りながら、見殺しにしたのよ。パンだってハムだって、使用人の私たちの方がずっと良い物を食べていたわ。分け与えようとすれば仕置きをされるのが怖くて……私はお嬢様を助けることができなかった。合わせる顔が無いわ」
「ふぅん。でもさ、サラ。サラのお嬢様、めちゃくちゃ綺麗だったよ。ドレスも星空みたいにキレイだったけど、ほんとに気高くて。女神様かって思ったもん」
「そう、お嬢様が……」
サラはそっと涙を拭っていた。
情が厚い人なんだなあ、とアデルはサラを好ましく思った。
だけど、それにしてもこのサラという使用人は美人で頭も良さそうなのに、どうして女主人に八つ当たりして解雇されるようなへまをしたんだろう?
「お嬢……レベッカ様は本当に、あなたを聖女にすると言ったのね?」
「へ? あ、うん、そうだけど……」
「ねぇ、アデル。あなたに頼みがあるの」
「ん? シフトの交代?」
「そうじゃないわ。ここに来て、あなたに会えたのは最高に嬉しい誤算だった。やっぱり運命はあるのね」
サラはまぶしそうにアデルを見た。
きちんとした美人にじっと見られると居た堪れなくなる。
「そうね……あなたが聖女になったら、レベッカ様に渡して欲しい物があるの」
「ふん? いいよー。というか聖女……うーん、やっぱり人違いじゃないか…?」
「いいえ。レベッカ様が言うなら、あなたはきっと聖女になるわ」
サラの磨くティーカップが光を反射してピカッと光った。