草の匂いとメイド
高貴なる邸宅に、その魅力的な夜が訪れた。
レベッカはシャルルの伝手を使って、この特別なパーティーの招待を受けていた。
シャルルの旧い友人であるカミーユ侯爵は、富と権力の安定している家でしか育つことのできない種類の気っぷの良い貴族だ。全てに於いて満たされて育ったカミーユには人を陥れるようなところがなく、シャルルとは学院時代からの数少ない友人らしい。
紹介されたカミーユのふくよかで人の良さそうな顔は、レベッカに大きな犬を思い起こさせた。
レベッカがシャルルと夜会に参加した目的は、表面的にはあともうしばらくで正式にヴァレリアン公爵夫人となる彼女の立場を披露することだった。
が、実際にはそれだけではなかった。
レベッカは美しいドレスを身にまとって、まるで青い海のさざ波のように会場に現れた。
そのドレスは濃淡のある青色で、高級生地ラソワが彼女の肌に沿って流れ、優美な曲線を描いていた。
宝石が品良く散らされたこのドレスは、まるで星が夜空に輝くように、会場の明かりの下で輝いていた。 ラソワの下のふわりと膨れるパニエやレースの飾りの部分には、サフィール、エメロード、そして細かいディアマンが緻密に織り込まれ、その輝きはまるで夜の星座を思わせた。
レベッカの蜂蜜色の瞳は、侯爵邸の光に当たるとより一層輝きを増して、美貌に深みを与えた。
髪は同じく蜂蜜色で、繊細な巻き髪が肩に優雅に落ち、その髪が風になびく様子はまるで優雅な舞踏の一部のようだった。
「ねぇ見て。あの方が公爵夫人になるレベッカ・ラルエット様よ」
「聞いていた噂と全く違うわ」
「美しすぎて息が止まりそう。神話の中から飛び出てきたみたい」
「それに、あのドレス。美術品のようよ」
「いいえ、星空のようだわ。あんなに優雅なドレスは初めて見たもの」
レベッカがローラに頼んだのは、衣装担当のエレーヌに自分の素晴らしいドレスを準備させることだった。
もちろんエレーヌは狂喜乱舞し、期待以上の働きをした。
レベッカの美しさは多くの人々の心を打ったし、一見高飛車に見られがちなレベッカの外見は、その内面の優れた美徳と調和しているように見えていっそ神々しかった。
レベッカの側には、美貌のシャルルが控えていた。彼は紳士の風格を備え、その魅力的な顔にうっすらと微笑みさえ浮かべてレベッカを見つめていた。それは嗜虐的で冷酷な変態男ではなく、分別と理性のある紳士であることは紛れもない。
シャルルとレベッカが夜会の会場に足を踏み入れた途端、招待客たちは一瞬の間でその美しく若い公爵夫妻に引き込まれた。まるで絵画から抜け出てきたような二人の存在感は艶やかで新鮮だった。
賞賛の言葉や興奮の囁きが広がる中、パーティーのホストであるカミーユの挨拶が始まった。
そして、豪華な食事や飲み物が運ばれる中、余興が始まった。
この日のために雇われた、気の良い司会の男爵が声を張り上げる。
「さあ、紳士淑女の諸君! ここにある二つのグラスのどちらかには霊峰の聖水が入っています。そして、もう一つは町で汲んだうまい井戸水が入っている。いや、冷えていてこれはこれで美味いのですよ、ご婦人。といっても、私には酒の方が合っていますが! ほっほ! ささ、見事飲まずに当てられた方は、聖女試験を受けてみてください! いや、そこの紳士、冗談です。本気にしないで下さい。正解したら、こちらの幻の美酒、高級カンパニアをグラス1つ差し上げます! さて、水を見分けた後は、花、それが終われば最後は宝石。魔力を感知することのできる聖女様なら朝飯前のはずだが、我々だって負けてはいられない! さあ、どなた様からお試しされるか? 全部正解した強者には、豪華賞品進呈です! さあ、どうぞどうぞ……」
レベッカは辺りを見渡した。
(このために来たのよ。誰か、有力なご令嬢がきっといるわ)
この余興を準備したのはレベッカだった。
招待客たちの魔法の力――魔力を確かめるにはうってつけだ。
(何人かの有望な候補たちを見つけたら、ふさわしいかどうか検討。そして、聖女の対立候補として立てる。義妹の……エミリーの魔力は強いけれど、匹敵する子がいるかもしれない。いなければ育てるまで)
レベッカはシャルルと視線を合わせた。
エスコートするシャルルが微笑む。
「どうかしたか、レベッカ」
レベッカは黙って『余興』に興じている人々をじっと見た。
幕で仕切られた回答の場所に行き、挑戦者は客に見えないように答えを言う。
出てきたときに正解であればシャンパンの入ったグラスを持っている。
シャルルは軽くうなずき、近くのカウチにレベッカを誘った。
何人かは『余興』の第一関門を正解し、次に進んでいた。
魔力があってもなくても、半々の確率で正解できるが、次は花びらをあてる問題だ。
『さっきまで咲いていた花びら、地面に散っていた花びら』
これには参加者の全てが苦戦しているようだった。
まだ正解者は数えるほどで、最終問題の正解者は出ていない。
そして、最終の問題は意地の悪いものを仕込んでいた。
『どちらが金銭的に価値のある石か』
大きく輝いている白いディアマンと、くすんだ白がところどころ赤くなっている石。
これに正解する者はいない。
公爵家に代々伝わるディアマンが見事過ぎるのだ。
皆、迷って結局ディアマンを選ぶのだろう。
レベッカはため息をついた。
まだだ。
きっとこの中にいるはずだ。
そうでなければ、
(エミリーが聖女になってしまう)
必死の面持ちになって指を握りしめていたのがばれていたのか、シャルルはレベッカに声をかけた。
「まだパーティーは続く。ここは俺が見ているから、君は少し外の風にでも当たるといい」
「ですが」
「ここの庭はうちとちがって田舎風なんだ。わざと非対称に作ってある。カミーユ侯爵家はそういうところが凝っているんだ、独特というか」
非対称でユニークな庭。
見たくないわけがない。
レベッカは素直に席を立った。
レベッカはパーティーの華やかさから離れ、邸宅の庭に足を運んだ。
確かに田舎風で、素朴な印象だ。
だが、所々にベンチが置いてあったり、曲がりくねった小道に小さな花々が道しるべのように咲いていたり、細かな造りがレベッカの気に入った。
小道を抜け、中庭を歩き、奥まで行って満足したレベッカは帰ろうときびすを返そうとした。
そのときだった。
そこには、誰もいないはずだったが、意外な光景が広がっていた。
メイドが一人、ランタンの小さな灯りを頼りに野草を摘んでいた。
「何をしているの?」
思わずレベッカは尋ねた。
小柄なメイドは肩をはねさせて心底驚いた。
「わあ! ああ、申し訳ありません。お客様がこんなところまでいらっしゃるとは思わなくて」
「大丈夫なの? こんなに暗い中で……お仕事?」
「いえ。現在は非番なのですが、実はメイド仲間が怪我をしていて、力のある野草が必要だったのです。薬を買う金は無くて……主人に許可はもらっております」
「力のある……」
「ええ。良く効く草とそうでないのがございますから」
「魔力が多い草ってことね」
「へぇ……? 魔力というんですか。まあ、力のあるなしってのは見分けないといけませんね」
「あなたはわかるの?」
何の気なしにレベッカは尋ねた。
「はい。見れば分かります」
プチプチと葉っぱをちぎりながら少女は答えた。
レベッカは不思議に思って尋ねる。
「見れば……? どこを見ればいいの? どれも同じに見えるわ。それにこんな暗闇の中」
「ええ。私みたいなメイドたち下働きは、根性で働いてるところがありますので。よく見ると見えます。葉っぱの周りにぼんやり白いのが出てきて、それが多いほど力があります」
レベッカはおかしい、と思った。
この娘は当然のように言っているが、根性があろうとなかろうと、見える人間には見えて、見えない人間にはずっと見えない。つまりそれは、魔力の有無――。
そう思い至った瞬間、レベッカは雷に打たれたように立ちすくんだ。
(この子だ)
「ちょっと、あなたお名前は」
「ええ……アデルと申します。申し訳ありませんが、私はこれでも非番でして、ご用事がありましたらまた後ほど」
「ごめんなさいね」
人生で初めて、レベッカは貴族として平民に命令をした。
「私と一緒に来て頂戴」
アデルは草の匂いがするバスケットを抱えたまま、土と草の汁に汚れた指先を拭う暇もなく、美しいご婦人に訳も分からずついていかされたのだった。