犯人の告白
病院の白い廊下に靴音が響く。
険しい顔のレベッカは、シャルルの後ろから刺傷事件の犯人が入院している部屋に入った。
刃物は取り上げられたようでその場には無かったが、男がシャルルに怪我を負わせようとした事実は確かだった。
(許せない)
レベッカの心に沸々と怒りが込み上げてきた。
病室に入ると、犯人はベッドに横たわっていた。男の右腕には包帯が巻かれ、顔には傷跡があったが、表情には反省の色はなかった。
「なあ、看護師さん。タバコないのかよタバコ」
革命派の象徴でもあるタバコを欲しがるのは、王政への反骨心を示しているのかもしれない。
無精髭を伸ばした男は薄汚れていたが体格もよく、シャルルがもし杖を持っていなかったらと思ってレベッカはぞっとした。
シャルルが言葉を切り出した。
「なぜ俺を襲った」
犯人は沈黙し、顔を背けた。
近くにいた警官が声を張り上げた。
「答えろ!」
ピリッとした緊張が走った。
多くの人間ならばこれで音を上げる。
射殺されそうなシャルルの目付きや口ぶりは為政者のような響きさえあり、厳格だった。
しかし、犯人は再び言葉を避けた。
捨て身の人間にしか無い余裕があった。目を伏せて、にやにや笑っている。反省の気配は感じられない。死刑は免れ無いと踏んでいるのだろう。
「このやろう……」
警官は拳を震わせ、今にも殴りかかろうとしていた。シャルルが首を振り、やめるようにさとした。無駄だと察したのだろう。
態度から察するにおそらく犯人は黙秘を貫くつもりだろう。こちらが、正当防衛で怪我を負わせてしまったので、これ以上攻撃してこないことを知っているのかもしれない。
万事休すだ。
シャルルはほぼ、諦めていた。
その時、レベッカが犯人にすっと近付いた。
「あなたにはもう選択肢がありません。なぜシャルル様を襲ったのか、お話しなさって」
凛とした表情は高潔で、迷いがなかった。
犯人はレベッカの美貌を見て、ヒュウっと口笛を吹いた。
「よお、世間知らずのお嬢ちゃん。教えてやるよ、大人の世界は甘くないんだぜ。いくらあんたがお貴族様でも、そうやすやすと口を割るかよ」
「そうですか」
レベッカの言葉は静かだったが冷徹だった。犯人はその重みを感じた。彼女は続けた。
「私は公爵家に関わる者として、あなたの全てを暴く用意があります。あなたの家族、友人、秘密の過去。全てを」
不安と恐れが一瞬、男の顔に浮かんだ。
「へっ、それがどうした。こちとら職もない家族も友人もいない、足だってもうまともにゃ動かねぇ。その日暮らしの浮浪者だ。頼まれごとなら何だって金さえ持ってきてもらえりゃ、引き受けない理由なんてない。その日のおまんまにありつくので精一杯なんだよ。失うものなんかもう無いってんだ」
ローラが口を開いた。
「だからといって他人を傷つけていい訳がありません。悪人はそれ相応の罰を受けるのですよ」
「ありがてぇ。屋根のある場所で寝れるってことさね。こんなふかふかのベッドで寝かせてもらえるなら何だってやるさ。病院ってのはいいとこだな。牢獄に引っ越すのが惜しくなっちまう」
レベッカはじっと目の前の悪漢を見据えた。
「なんだぁ? 見たって何も喋りやしねぇぞ」
「私はあなたの命を守ることができます。仕事も差しあげましょう。しかし、私の条件を受け入れることが必要です。真実を話すこと、そして事件に関与したすべての人物を明かすこと」
「……なんだと?」
「レベッカ様」
普段感情を表に出さないローラが目を見開いた。
シャルルは黙って成り行きを見守っている。
「犯罪者ですよ。しかも公爵を狙った重罪です。死罪は免れません」
ローラが言った。
「だとしても、今この人は生きているのですもの」
レベッカは決意した面持ちで口を開いた。
そう、今、この男をなんとかしなければ、黒幕まではたどり着かない。
シャルルを襲った卑劣な極悪人は、別にいる。
「頼まれごとなら何だって、と貴方は言いました。誰かに頼まれたのですね?」
「……」
「話して下さい。私は、お、夫を守りたいのです。協力してくれるなら、私はどうにか手を回して、貴方の命を助けましょう。無罪というわけにはいかなくても、罪を償ったあなたを屋敷で雇うことはできます」
男はしばらくの間、無言のままだった。しかし、やがて深い溜息をついた。
男の表情は険しいままだったが、彼はにやけたうすら笑いをやめて、レベッカの目を見た。
「あんたは優しいんだな。わかった、話すよ。でも、聞いても何も変わらないだろう」
レベッカたちは静かに男が語り始めるのを待った。
男はゆっくりと語り始めた。
「俺は……俺は仕事を失って、やけになってた。これでも昔は腕のいいコックだったんだ。恋人だっていた。だが昔の戦争で足にけがを負って……戦争はすぐに終わった。でもそれからはもう絶望的だ。片足の悪い男なんざ誰も雇っちゃくれねぇ。後はお決まりの転落コースだ。それで、路地裏に転がってたら声をかけられたのさ。あの女に」
レベッカは彼の言葉を黙って聞き、厳しい表情で犯人に問い詰めた。
「その女はどんな人だったのです」
「赤茶色の髪の……結構きれいな顔をしていたが、いけすかなかったな。ずっと鼻をつまんでしゃべっていた。札束と宝石のついたブローチをぽんと投げて、最後にハンカチでくるんだナイフを渡された」
「名前は?」とレベッカは尋ねた。
男はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「知らねぇ。悪いが本当に知らないんだ。若かったがなるべく顔を見せないようにしていた。ヴァレリアン公爵を痛めつけるように頼まれた。足の悪い俺だったら殺すまでにはならないと踏んだんだろう。俺がその後撃ち殺されようが、殴り倒されようが構わねぇと思ってたんじゃないか」
「契約者が誰か、思い当たることはありませんか?」
「いや……ああ、だけど、もらった宝石がやけに上品でな。刻印がしてあった。……これだ」
男はレベッカにブローチを手渡した。
きらりと光る黄色い石が埋め込まれている。太陽の光を集めたような美しい宝石だ。
意匠の凝った花の刻印があり、裏にうっすらとRの刻印が見える。
レベッカはみるみるうちに顔を青くさせた。
心配したシャルルが尋ねた。
「どうしたんだ」
「これは……私の物です」
と、レベッカは言った。
「どういうことだ?」
シャルルが尋ねる。
レベッカは全てを察していた。
「私が生まれたとき、お母様が作って下さった特注のブローチです。それもずっと前に異母妹のエミリーに取り上げられ、持って行かれてしまったのです」
「すると、女というのは」
ローラが息を飲んだ。
レベッカはエミリーのこてでふわふわに巻き上げられた、赤茶色のつやのある髪を思い出していた。