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守るべきものと緩やかな復讐

暴漢がシャルルに刃物を持って襲いかかったらしい。


ジャンは居らず、クレマンが屋敷の一切を指示していた。

「行きますよ」

レベッカを馬車に押し込めるようにして、ローラが飛び乗る。

「急いで!」

ローラが急かした。


知らせが入って、レベッカは恐怖と心配の中、すぐに馬車に乗って公爵のもとへ向かった。

レベッカは居ても立っても居られず、忙しなく馬車の窓枠を掴んだ。


(まさか、最悪のことになっていたら)


全身の血がザッと引いた。

レベッカは唇を噛みしめた。


(言えばよかった。もっと一緒に居たいって……)


もっとたくさん話せばよかった。

ありがとうって言えばよかった。

本当はもっと貴方と過ごしたいって伝えればよかった。


後悔が哀しみになって胸を締め付ける。

レベッカの目に涙が滲んだ。

同乗していたローラがレベッカの背をさすってくれた。


「大丈夫です、きっと」


その無責任な慰めの言葉が、今は有り難かった。

万が一でもシャルルが居なくなってしまったら……。


(好きだって言えばよかった)


レベッカは思った。

もう会えなくなるなら、拒絶されても拒否されても、伝えればよかった。


(好きだったんだわ。シャルル様のことが)


こんなに胸をかきむしりたくなるくらい。

苦しくなるくらい好きだったのに、一つも伝えずにシャルルが居なくなってしまうなんて。

ローラは何も聞かずに傍に居てくれた。


馬車はきしむような音をたてて、街の診療所に到着した。

レベッカは吐きそうになりながら、ローラに手を取られて馬車を降りた。

シャルルが居なくなってしまうなんて。

鋭利な凶器で傷ついているなんて。

もうあの柔らかな微笑みが見られないなんて。

そんなこととても受け入れられない。


どんな現実が待っているのか分からずに、目も耳もふさいでしまいたい気分だった。

診療所の看護師が飛び出してきた。


「ヴァレリアン公爵の婚約者のレベッカ様ですね!?」

「シャルル様は? 刺されたと」

「ええ。こちらです。ですが……」


その後は聞きたくない。

知りたくない。

レベッカは看護師が指さす方へ走った。

ローラが止める声が聞こえた。

淑女なら走るべきではない。

だけど、もしもシャルルに会えなくなってしまったら。

その恐怖に耐えられるわけがなかった。


淑女じゃなくていい。

令嬢らしくなくていい。

シャルルが生きてさえくれれば、そんな体裁はどうだっていい。


(貴方に一言でも好きと言いたい。待って。待ってシャルル様。逝ってはいけない)


脳裏に青白い顔で目を閉じる、血だらけのシャルルが浮かぶ。

泣いている場合ではなかった。

診療所は貸し切り状態で他の患者は居らず、人払いがしてあった。

だからこそすぐに分かった。

奥の部屋の大きく開かれている扉。

そこにしか使用人や看護師たちは入っていかない。


(どれだけ傷ついていても、怪我をしても、意識が無くても、どうか生きていて)


縋るような気持ちでレベッカは部屋に入った。

そこにはシャルルは居らず、難しい顔をした医者が椅子に座って。

看護師がべっとりと血のついた布を持って、レベッカの後ろを通っていった。

ふと香る鉄の匂い。


間に合わなかったのだろうか?


レベッカの手足から力が抜けた。


「おや」

白いひげを長く伸ばした医者がレベッカに気付いて片眉を上げた。

「公爵夫人……いや、まだレベッカ様じゃったかな」

「シャルル様はどこです」

「ああ、シャルル様は……」

「まさか、まさか」


レベッカの蜂蜜色の目から大粒の涙がぼろっと零れた。

認めたくなかった。

だが、診療室にいないとなると、その身体は『安置されている』に違いない。

でも、そうではないと言って欲しくて、レベッカは医者を見た。

医者が首を振る。


「シャルル様は、ここにはおりませんよ。今は……」

「ああ!」


間に合わなかった。

レベッカは崩れ落ちた。


「どうした。……レベッカ?」


そのとき、頭上から聞こえた声にレベッカは勢いよく顔をあげた。

シャルルが驚いたような顔で入り口に立っていた。


「レベッカ様。お聞きくだされ。大丈夫です、シャルル様は。小用に行っておられたのですよ」

医者が言う。

「いやあ、奇跡ですな」


「でも、血が……」

レベッカが呆然と言うと、医者が答えた。

「あれは全部、相手の血ですじゃ」

「正当防衛だ」

シャルルが付け足す。



シャルルは無傷だった。

むしろ、悪人の方が重傷を負っていた。


シャルルは巧みに敵を躱し、ステッキを駆使して返り討ちにしたというのだった。

幼い頃から誘拐だの何だのと事件性の高い少年時代を過ごしていたシャルルは、自衛への意識と能力が人一倍高かった。外出時は仕込み杖を持っているのだと、シャルルは壁に立てかけてあるステッキを指さして説明した。確かに杖の真ん中に血液の跡がある。


「それにしても、そんなに騒ぎになっていたのか。ジャンが伝えたのだろうが、きちんと無傷だと知らせてくれればよかったものを」


レベッカはもう堪えきれずに、涙を流しながらシャルルに飛びついた。


「うおっ!?」

「ご無事でよかった……!」


シャルルは一瞬硬直したが、ぎこちなくレベッカの背に手をまわして抱きしめた。


「もっ……もう会えないかと……」

「大丈夫だ。心配させてすまなかった」



しくしくと泣くレベッカを慰めるシャルルが二人の世界を作っているのをよそに、ローラはさっさと医師の元へ行くと尋ねた。


「それで、シャルル様を刺そうとした極悪人はどちらに?」

「ああ。意識を失っていたが、先ほど回復した」


隣の部屋から語気の荒い憲兵と、低い男の笑い声が聞こえてきた。

反省などしていそうにない声だ。


ローラはキッと顔をあげて、隣室を見た。

ヴァレリアン公爵家の名を汚されて、このままにしてはおけない。


一歩踏み出そうとしたローラの横を、仕立ての良い最高級の背広と、モスリンの優雅な青いドレスが通り過ぎていった。



「シャルル様と、レベッカ様……?」



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