レベッカ・ラルエットの苦難
話は数ヶ月前に遡る。
レベッカ・ラルエットは、多くの貴族によって『魔女』と噂されていた。
散財と浪費。
強欲で色情家の悪女。
百年に一度の宿命の魔女。
が、その評判は彼女の実際の姿とは、大きく異なっていた。
王都から馬車で暫く走れば、郊外の緑あふれるのどかな風景になる。小さな街では人目を引く、豪奢な貴族の館がラルエット家だ。
ラルエットの屋敷には、使用人もメイドも十人近くいる。しかし、レベッカの部屋のある北棟には、誰ひとりとして近付かなかった。少しでもレベッカの世話をすれば、ラルエット夫人に厳しく折檻されるのを分かっているのだ。
(今日は果物はないのね……)
レベッカは部屋の外の皿を見てがっかりした。
異母妹のエミリーに「餌皿」と揶揄されるものだ。
運が良ければ、野菜や果物がのっているのだが、今日は野菜屑のスープしかない。
代わりに質の悪いパンの端切れがこんもりと積み上げられていた。パンの何枚かにはサラミやソーセージの切れ端が申し訳無さそうに貼り付いていた。これではまるで、肥らせるためだけの家畜の餌だ。
レベッカはラルエット家の長女として生まれた。
しかし、流行り病に倒れた母が亡くなって、後妻が来た。その後、妹が誕生し、家庭の中での彼女の地位は変わり始めた。
血のつながりがあるからか、妹は父母の愛情をたっぷりと受けていた。欲しがるものはドレスでも玩具でもすぐに与えられる。一方でレベッカはというと、『姉なのだから我慢しなさい』と言われ続け、挙げ句の果てには自分のドレスやアクセサリーまで異母妹のエミリーに持っていかれた。
不幸なことに、頼りないながらも唯一の味方だった父親は、後妻に洗脳されてしまったようだった。そもそも仕事で視察に行っては長く帰らないような父だ。戻ってきても、後妻と異母妹を窘めるどころか、見て見ぬ振りを決め込んで黙っている。
レベッカがこの家で生きてこれたのは、折檻を恐れながらも、彼女の境遇に同情して自分の取り分から食料を時折分けてくれる昔からの使用人やメイドが何人かいるからだった。
中でも、メイドのサラは、何度か折檻を受けているにもかかわらず、夫人の目を盗んではレベッカに食料や衣服、生活に必要なものを用立ててくれる。
レベッカに魔力はない。
この国で暮らす者は、魔力がある者と無い者に二分される。魔力持ちは全人口の1割未満だ。だから珍重される。
魔力は全能ではなく、無から有を作り出すことはできない。
しかし、魔力のある者は多かれ少なかれ、魔力のある物質がオーラのように見える。魔力を持った物質は、普通のものと違った特殊な効果があることが多い。魔力持ちは、平民であれ貴族であれ、その力を生かした職業に就くことができるのだった。
残念なことに、レベッカには魔力はなかった。
生まれてすぐの魔力検査でも魔力無しだと判定されたし、何のオーラも見えたことはない。
それだけでも世間の評判とは乖離しているのだが、レベッカは自分がなぜ悪女、魔女と呼ばれているのかは分かっていた。
全ては義母のせいだった。
成長するにつれて、彼女からのレベッカへの嫌がらせはエスカレートしていった。
異母妹のエミリーが十二歳になったとき、魔力持ちだと分かり、余計に夫人の依怙贔屓には拍車がかかった。
レベッカをいびる格好の理由が見つかったのだろう。
「エミリーは神様に愛されているのだわ!」
と、狂喜乱舞した後妻は、レベッカをますます使用人のように扱った。
否、使用人のほうがまだましだった。
エミリーの引き立て役として、レベッカを使うことを思いついたのだ。
エミリーを聖女候補にするのだ、と後妻は息巻いた。
聖女は魔力のある貴族の娘から選ばれる特別な役職だ。民のために祈りをささげるという名目だが、その仕事は国との折衝のようなものから魔力のあるものを探知して国益に貢献するようなものなど、多岐にわたる。美しくも凜々しい聖女たちは、少女たちの憧れそのものだ。
魔力のある娘としてエミリーが社交界で評価されるようになると、レベッカはますます比較の対象とされた。レベッカの服や外見にまで、後妻は介入するようになった。それまでは忘れられていた食事が定期的に差し入れられるようになった。もちろんメイドや執事の食べ残しのようなものや、古くなったものが中心だったが、それなりに栄養がとれるようになったレベッカの身体は年相応に丸みを帯びていった。だが、それは後妻の術中だった。
レベッカが本来ならば好まないはずの派手な服や化粧。
そしてどこで調達したのか、古臭いデザインの華美なドレスを着せた。
「まるで娼婦ね」
と、蔑まれながら、レベッカは厚化粧をして年に何度か社交に出された。
元来豊満なプロポーションだった実母の血筋があだとなり、レベッカは成長すればするほど、後妻には疎んじられた。
社交から帰宅すればまた奴隷のように幽閉される日々が続く。
そして気付けば、レベッカは『魔女』としての評判を得ていた。
男を手玉にとる、下品で節操のない女、と。
エミリーは事ある毎に、レベッカに意地悪な笑みを浮かべ、からかった。
「姉さんって本当にダメね。もうどのご令嬢にも仲間に入れてもらえないわ」
「エミリー……いつもいつも、どうしてそんなことを言うの? 私が嫌なら見なきゃいいじゃない。喋りかけなきゃいいじゃない」
「どうしてって? すっとするのよ」
エミリーは心の底に湧き上がった心を隠すように、醜くにやりと笑った。
「別に理由なんかないわよ。私が流した噂を鵜呑みにして、みんながパーティーで着飾った姉さんを娼婦だとか魔女だとか言ってバカにしてるのを見ると、私、自分のことが幸せだって思えるのよ」
レベッカの、梳かせばサラサラと風になびく真っ直ぐな髪。
透明感のあるきめ細やかな肌。
長いまつ毛。金を帯びた蜂蜜色の瞳。
品のある優雅な所作。女性らしい胸元。
色気のある顔立ち。ほっそりとした肢体。
どれだけボロを着ていても隠れない高貴さ。
結局のところ、レベッカの持つそれらの全てに、エミリーは嫉妬していたのだった。
湧き上がる悔しさをエミリーは暴言としてレベッカにぶつけていただけなのだが、レベッカだけでなくエミリー本人さえもそれに気が付いていなかった。
夕暮れの屋敷の中で、レベッカは物置きのような自室に閉じこもっていた。遠くで妹の笑い声が聞こえてきた。レベッカは窓から外を見つめ、涙が溢れそうになった。
胸が痛み、虐げられた感情がレベッカを包み込んだ。自分がどんなに努力しても、父にも母にも妹にも愛されることはないという絶望感に襲われた。
(こんな思いまでして、生きていってこの先に何があるのかしら)
レベッカは部屋の片隅に積まれている木箱に寄りかかった。古びた木箱が滑り、下に落ちた。中身が飛び出る。
手にとってみて、レベッカは驚いた。
(美しい本……)
誰のものかは分からないが、それらは古びてはいたものの箱に入れてきちんと保管してあった。劣化は少なく、彩色が鮮やかだ。
美しい木々や花々の挿絵。
幼いレベッカの心は震えた。
そして、レベッカは初めて禁じられていた北棟の裏口から外に出た。本にあった野草が本当に生えていた。それはさほど珍しい物ではなかったが、レベッカは感動していた。
植物は言葉を持たないが、その美しい花と香りは彼女を癒し、安心させてくれた。
こうして、十七歳になったレベッカは、植物との出会いを果たした。
そして、一年の月日が経った。
レベッカの待ち望んだ日が訪れた。
レベッカは花やハーブに情熱を注ぎ続け、自分でも草花の絵を描いていた。
箱いっぱいの本は何箱かあった。どれも擦り切れるほど読んだし、どの本のどの辺りに何が載っているかは空で言える。
そして、今日はレベッカの十八の誕生日だった。
メイド一人としてやって来ない質素な部屋で、自分で身支度を整える。
(よし、今日こそお父様にお話するわ!)
レベッカは心に決めていた。
この国では十八になれば一人前の成人女性だ。
(王都の植物園の係員か、花売りになるわ)
貴族の身分を捨ててでも、ここから出て行く。
それはレベッカの覚悟だった。
それでも今の鳥籠の暮らしよりはましなはずだ。なんせ、今でも十分には食事が足りず、『食べられる実』を裏山に探しに行っているくらいなのだ。
(本の内容は全て暗記した。経験はないけど知識だけはある。係員には試験の結果が良ければなれる。花売りならきっと私でもできるわ。いえ、やるのよレベッカ。今の暮らしから逃げ出すの)
そう思いながらレベッカが髪を結いあげたとき、部屋のドアを誰かが叩いた。
めったにないことだ。
古いドアの向こうに立っていたのは、メイドのサラだった。
「サラ!」
「お嬢様! おはようございます」
「どうしたの、あなた」
こんなところでも見られようものならば、ラルエット夫人の張り手は避けられない。
レベッカは自分によくしてくれるからこそ、サラと関わりたくなかった。
「レベッカお嬢様。旦那様がお呼びです」
サラは複雑そうに言った。
父親に呼ばれるなんて、ここ何年かで一度あったかどうかだ。
レベッカは首をひねった。
(何の用事かしら?)
レベッカは何となく嫌な予感がした。
そして、こういうときの嫌な予感はことごとく当たるものである。
「ヴァレリアン公爵に……?」
「ああ。公爵家との縁談だ。裁判官として名高い方だ。お前にはもったいない相手だ」
レベッカは目の前が暗くなった。
(ヴァレリアン公爵家って、あの)
邪知暴虐の裁判官。
流れる血は青く、もはや氷だとかいう噂まである。
その判決には一切の情は無く、王や神官でさえも恐れるという鬼の司法官だ。
更には、嗜虐癖があるらしい。
嗜虐、というのは文字通り、『相手を痛めつけて喜び、それで快感を感じる』という類のものである。
「なぜ……です」
消え入りそうなレベッカの声に、覆いかぶさるように後妻が言った。
「あら。なぜも何も、うちみたいな伯爵家が公爵家と縁故を結べるなら良いじゃない。私のツテで紹介して頂いたご縁なのよ。もっと感謝して欲しいわ」
「あの……私は」
「いいなーお姉様、変態性欲の男っていっても、あの公爵様でしょう? あんなイケメンに鞭打たれるなら幸せなんじゃない? まあ、私は絶対嫌だけど! いくつか宝石送ってよね。高いのがいっぱいありそう」
と、エミリーがにやにやしながら言った。
「あっ! でもお、ヴァレリアン公爵って乙女の生き血をすするって本当かしら? だからお年を取らないのですって」
(そんな、馬鹿なことあるわけないわ……でも、)
「公爵様は変な趣味もあるらしいわよ! 公爵家には使用人にも立入禁止の場所があって、ヴァレリアン公爵は夜な夜な、その中で秘密の儀式を行ってらっしゃるとか。ああ、それに! 嗜虐的な方らしいわ! 夫になんてなったらどんなことになるやら。お母様、噂を聞いているだけで恐ろしいわ。お姉様は大丈夫かしら」
「大丈夫よ、レベッカは鈍いから」
レベッカは父を見た。
(お父様、助けて下さい)
父は後妻の後を追いかけるように、まあ大丈夫だろうと口にした。
レベッカはその瞬間、この空間に自分の味方は一人もいないことを悟った。
まさに最悪の誕生日だった。
書面が届いたのはちょうど、それから3日目の晩だった。
「断ってきたですって……!?」
ヴァレリアン公爵家が縁談を断る書面を送りつけてきたという。
レベッカは当事者ではあるものの、
(それも当然だわ……家の格も、人間の格も釣り合わないもの……)
と、冷静に分析していた。
公爵家ならば普通、同じ公爵や王族の血筋、もしくは勢力のある貴族の子女を娶る。それに、ヴァレリアン公爵は裁判官だ。王と神と法を分けて、権力を分立させるこの国において、裁判官とはある種の最高権力だ。
悪女という醜聞を撒き散らしている伯爵令嬢レベッカを嫁がせるメリットは何もない。
だが、義母は激高した。
「うちが伯爵家とはいえ貴族の婚姻を、こんな書面一つで終わらそうなんて愚弄だわ! 私の立場ってものがないじゃない!」
「いえ、お義母様、これは公爵様のお立場を考えれば当然なのでは……」
「黙りなさい!」
義母に頬をピシャリと叩かれて、レベッカは床に崩れ落ちた。
いつもそうだ。
義母はヒステリーを起こせば何とかなると思っている。
「……そうだわ。貴方、抗議に行ってらっしゃい」
「えっ? もう夜ですが……」
「ちょうどいいじゃない。社交界の悪女という評判を活かして、公爵を篭絡していらっしゃいな」
義母の決断は早かった。
レベッカは抵抗もむなしく、露出度の高い衣装を身にまとい、派手な化粧を施されて、公爵家の門前に置き去りにされた。
(寒い……)
秋の冷たい風が肌を切り裂く。
義母の目論見は、おそらくレベッカが自ら公爵家との縁談を望んだという事実を作りたいのだろう。
仮に断られたとしても、レベッカが勝手に暴走したことになる。裸同然の格好で迫り、公爵家に突撃していったと。
義母はレベッカに脅されて公爵家との縁談を取り繋ごうとしたとでも吹聴するに違いない。
もしかするとこれも全て計算された嫌がらせなのかもしれない。
でも、それが仮に事実だったとしても、もはやどうでもよかった。
レベッカはあたたかい場所に帰りたい気持ちと、公爵家に行くことを拒絶する気持ちとの間で葛藤した。
門にはレベッカの頭くらいはありそうなかんぬきがかけられていた。
呼び鈴などない。
執事が控えていて、用事のないものは取りつがないようになっているはずだ。
そうだとしても、この宵闇だ。
暗い中森を抜けて実家には帰れない。
門前に立ってしばらく所在なげに立っていたレベッカは、門の傍に咲く白い花を見つけた。
「あなた、土も少ないこんな場所で咲いてるのね。たくましいわ」
レベッカはそっと小さな花に触れた。これはロゼッタという種類の珍しい花だ。茎に棘があるものの花は優美で、繊細だ。人が手入れをしなければすぐに傷み、花は枯れてしまう。
「あら?」
白のロゼッタの中に、青みがかった物が一輪だけある。
初めて見る色だ。
写し絵の本にも載っていなかった。
しかし、その青いロゼッタは茎の部分からポッキリと折れていた。
レベッカは、ロゼッタの茎をそっと触り、しばし考えた。
そして自分のドレスの裾を破った。
ロゼッタの茎の周りにぐるりと一周させ、固く結ぶ。
それを、元気なロゼッタと継ぎ合わせる。
「これで、いいかしら……」
その時、重厚な門がキイッと音を立てて開いた。
白いガウンの上から、つややかな布を羽織った男が姿を現した。
「ここで何をしている」
レベッカはその男の美しさに驚いた。
夜の闇から抜け出してきたかのようなその人は、白い夜着が羽のように見えて、大きな天使か妖精のように見えた。
(きれいだわ……)
「おい、聴こえているのか?」
銀を思わせる青味がかった瞳。
さっきのロゼッタの青と似ている。
こちらを射抜く真っ直ぐな視線を受け、硬直したレベッカはその瞬間に悟っていた。
この男こそが、邪知暴虐と名高い、あのヴァレリアン公爵その人だと。