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青いロゼッタ




夕陽が西の空に深く沈む中、レベッカの呼び出しに従って、シャルルは裏庭へ向かった。

急ぎ足になるたびに手元のランタンが揺れる。

厨房の裏手に位置する、秘密の隠れ家。この東屋は彼にとって、日常の喧騒から逃れ、静寂と自然に触れるための特別な場所だった。

シャルルは内心で、少しばかり心配をしていた。


かつて、この東屋に無断で入り込んでしまった若い女性のメイドがいた。

ある日、東屋の存在に気付いたその使用人は、シャルルに無断で立ち入り、掃除をしてしまった。

まだ若かったシャルルはその女性を容赦なく叱責し、辞めさせてしまったのである。

自分の特別な場所への侵入は、どうしても許せなかった。

今であれば、彼女にも悪気がなかったのも理解ができる。ただ、当時はそうではなかった。

あれから使用人たちはシャルルの東屋に対して距離を保っている。

クレマンやクロエのような古株の使用人だけは掃除のために立ち入りを許可しているが、それ以外はどうしても嫌だった。自分だけの落ち着ける空間を守りたかった。


(しかし、もしも今回、東屋がレベッカによって片付けられていたとしたら)

シャルルはふと想像してみた。


彼女に対しては許容できるかもしれない。

万が一、あの小部屋に入って焦げた手作りクッキーが置かれてあったとしても、怒りどころかいっそ嬉しいと思うかもしれない。


(ん?)


歩いていたシャルルは立ち止まり首をひねった。


いや、それでは話の筋が通らない。

辞めさせてしまったあの若い女に申し訳がたたない。

それではレベッカが特別のようではないか。


(特別)


そう思ってまた顔があつくなった。

シャルルは熱を冷ますように肩で風を切ってずんずんと歩いた。


裏庭に到着すると、そこには美しいレベッカが微笑みながら立っていた。

屋敷に来たときと違って上品かつ洗練されたドレスを身にまとい、仕立ての良いシンプルなショールを羽織っている。飾り気の無い姿なのに、それがやけにしっとりと水をはらんでいるように見えて、シャルルはわざと強くまばたきをした。


「待たせてしまったな」

「いいえ。お気になさらず」


レベッカは誇らしげにシャルルに笑いかけた。


「シャルル様、これを見て下さい」

「これ、は……」


レベッカが指さしたのは、裏庭の一角だった。

ランタンを近づけてよく見てみると、それは鉢に植えられた青いロゼッタだった。


「青だと?」


シャルルはまじまじと見つめる。

紛れもなく青のロゼッタだった。

普通であれば赤や白、品種改良をしたものでも黄色や桃色が主流だ。

「ありえない。初めて見た」

「私がこのお屋敷に初めて来たあのとき、接ぎ木をしていたのが育ったのです」

シャルルはその美しい花に見入った。

まだ小ぶりではあるが、しっかりと茎を伸ばし、瑞々しい葉を保っている。



「これは新種のロゼッタだ」

と、シャルルは静かに指摘した。

その青い花びらは、他のどの花とも異なり、まるで夢の中から飛び出てきたようだった。

レベッカは微笑みながら青いロゼッタの花弁にそっと触れた。

そして、その触れ方と同じくらい優しく言葉を紡いだ。

「私とシャルル様との発見ですね」


突然変異なのかもしれない。

大発見であることは間違いがないし、愛好家に売れば信じられない値がつくだろう。


「このロゼッタ、まだ小さいのですが、うまく育ったらこちらに植えようと思っています」

レベッカは東屋の窓から見える庭の一部分を指さした。


「石を積み上げて少し高くして。少しスペースを空けて、周囲を白のロゼッタで目隠しするのです。そうすると、道を通ったときには見えませんが……」


そこまで言われてシャルルは気が付いた。

東屋のあの窓からは、歩いているときよりも庭が広く見える。


「うまくいくと、東屋のあの高さからだけは、この青色が見えるようにできるのでは、と……なんだかこのロゼッタも、隠れ家を欲しているような気がして。差し出がましいことを言ってしまったかもしれませんが……よろしければ、そんな配置で植えてみてもいいでしょうか?」



貴女は庭師なのか、とか、名目上は公爵夫人なのだからとか、色々な言葉が喉まで出かかった。

が、しかし、実際シャルルの口から出たのは、



「ありがとう」



という小さなつぶやき一つだった。





レベッカの香りが風に乗って彼にふわりと届いた。

それは花々とハーブの香りと、何か特別なものが混ざり合った、魅力的な香りだった。宵闇にランタンの光がほどけるように差し込む中、シャルルは胸の奥で高鳴る感情に従って、レベッカに近づいた。


「ラルエット嬢……いや、レベッカ」


月の光に照らされる彼女が、本気で女神に見えた。

青いロゼッタがかすむほどの勢いで流れ込んでくる、新しい気持ちにシャルルは感じたことの無い高揚感を抱いていた。


「本当に魅力的だ。この庭も、この香りも、どれも素晴らしくて」

「青いロゼッタ、気に入って下さって良かったです」

はにかむようにレベッカが笑って、その白い歯を見たときに、何故だか分からないけれど心臓がぎゅうときしんだ。


シャルルはレベッカに近づき、そっと手を取った。


(ロゼッタばかり見ないで、俺を見て欲しい)


ひんやりとした手に触れた。

シャルルの心臓はその一瞬で速く脈打ち始めた。


「いや。ロゼッタじゃない。貴女の――」


驚いたような蜂蜜色の瞳に自分が映っている。

その神秘的な美しさに圧倒される。


もう一言何かを言わなければいけない。

あと少しで何かが分かるような気がする。


しかし、それよりも先にレベッカは微笑んだ。

そしてぎゅっとシャルルの手を握り返したのだった。


「シャルル様、それはきっとハーブの香りです! モンポワヴィリという種類のハーブを調合したオイルをつけているのです。虫よけのために私が作ったのですよ」


彼女は誇り高く、知識に裏打ちされた自信を持って言った。


「幾つかのハーブをブレンドして作ったのです! 気付いて下さって嬉しいです」

レベッカの言葉に敬意を払いながら、シャルルは笑顔を保ってそっと手を離した。

「この香りは特別だ」

「ええ。私のオリジナルですから」


レベッカは胸を張る。

豊満なプロポーションが窮屈そうに夜着の中でうごめく。

シャルルはサッと青いロゼッタに目を逸らした。


二人は庭の中で、月の光が彼らを包む中で、静かに立ち尽くした。

本能的な試みの言葉は虚しく終わったけれど、この特別な瞬間、シャルルは確かに新しい感情を知った。


「できればまた花を見せて欲しい。こうして庭でもいいし、あの東屋でもいい」


シャルルの言葉をレベッカは快諾した。

東屋に入って良いという許可が、シャルルの中でどれほどの重みを持っているのかも知らないままに。


その日から二人のささやかな交流が始まった。

レベッカはシャルルを待ち、遅いときはクレマンに頼んで花瓶に花を生けてもらった。



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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公が鈍感すぎるぅ
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