すれ違う印象と現実
馬車が出てきた時点でおかしいと思うべきだった。
レベッカは後悔した。
そもそもが馬車に乗るなんてことが既に、私は貴族ですと周りに吹聴しているようなものだ。
伯爵家からろくに出たこともないレベッカは、戸惑っていた。城下に突然放り出されたものの、どうすれば良いのだろう。
店に入るでもなく、路上で顔色を白くしたり青くしたりしているレベッカを見兼ねて、ジャンが助け船を出してくれた。
「差し出がましいことを申しますが、シャルル様はレベッカ様に楽しんで頂きたいのです」
「楽しむ、というと…」
「私は馬車を停めて参ります。レベッカ様はそちらの店にお入りになられていて下さい」
ジャンの指ししめす方向にあるのは、流行にうといレベッカでさえ聞いたことのある一流の服飾店だった。
レストランの目玉焼きどころの騒ぎではない。
(これは無理だわ)
委縮しているレベッカは扉の隣に立ち尽くした。すると、内側からドアが開く。
気を利かせた店員に誘導されて、レベッカは足裏で赤いカーペットの弾むような、立派な店内に足を踏み入れた。
緊張のあまり、まともに声が出ない。
(ジャン! 早く戻ってきて!)
実際には店の隣に馬車置き場があったので、ほとんど時間はかかっていなかったが、ジャンは戻って来たときのレベッカの様子に少々驚いた。
レベッカは、店内の特別客専用の個室に入り、溢れんばかりの量のドレスやコートに囲まれていた。
店長の、恰幅のよい男がジャンを見て、少し足早に近寄ってくる。顔色が悪い。
「どうかされましたか」
「ああ、ジャン様。奥方の不興を買ってしまったかもしれません。当店のドレスをお勧めしたのですが、気に入ったものが見つからないようで」
極度の緊張を強いられたレベッカは硬直していた。一着で金貨がジャラジャラと動くようなドレスが次々と出され、さらには値があがっていく様子を見て、無になっている。
普段の屋敷での様子を見ているジャンにはレベッカがキャパオーバーになっていることを理解できる。
しかし、店員たちにとっては違う。
どれだけ高級な物や、流行りの物、最新の物を勧めても、心が動かされない様子の公爵夫人。
媚びるでもなく、我儘にふるまうでもなく、興味関心がないことが如実に見て取れる。
今や店内のスタッフ全員が、総出で太客、つまりはレベッカ一人の機嫌をとろうとやっきになっていた。
「奥様! こちらの毛皮はいかがですか? 希少な毛皮でして数年に一頭しかとれない白い個体を使用しております」
「結構です」
「失礼いたします! こちらのアンピールラインにこだわったカジュアルドレスはいかがでしょうか? 今季の流行りの最先端でして」
「私には似合わないかと」
崩れ落ちる店員の死屍累々を見兼ねて、ジャンは助け船を出した。
「奥様は着心地の良い、シンプルなドレスをご所望だ。普段使い用で、かつ飾りや装飾は少なく、質の良いものを」
レベッカがゆっくりと顔をあげた。
その時、全力疾走をしてきたかのような店長がちょうど呼吸困難になりながら、紺色のシンプルなカジュアルドレスをレベッカに差し出した。
「綺麗……」
星空の闇のような深みのある碧。
レベッカの呟きを聞いたジャンが、店長に購入の意を伝えると、静かな歓喜がスタッフに満ちた。あまりに辛い時間だったのか、新人スタッフは安堵で涙をぬぐっている。
レベッカは、何かを言いたげな恨めしい視線を送ってきたが、ジャンは気持ちよく無視した。
これで何も買わずに店を出たら、それこそ公爵家の恥だ。
ジャンは思う。
自分の主人は顔が良すぎるが、臨時とはいえ主人の伴侶は顔と身体が強すぎる。顔よしスタイルよし、美の化身のような淑女のレベッカは、可憐さよりも艶やかさが勝っている。自覚がないのが問題だが、明らかにレベッカはそこにいるだけで華のある種類の人間だ。
店を出るとき、
「あの……素敵な物をありがとうございました」
レベッカが微笑むと、店員たちは全員ハッと息を呑んだ。
「公爵夫人が我々にお言葉を……」
「微笑んでくださったわ」
「俺を見てた」
「私と目が合った」
「私に言ってくれた……」
飴と鞭とはよく言ったものだ。
レベッカは天性の魅力があるが、本人は全く自覚がない。
(シャルル様もド天然なところあるけど、それ以上かもな……)
この先、使用人として待ち受ける心労を想像して、ジャンは嘆息した。