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公爵の秘密

公爵は夕食の時間になっても帰らなかった。


週末の夜こそは、主人は帰ってくると思っていたのに肩すかしをくらって、メイドのエレーヌは露骨にがっかりしていた。


「今日こそは、女神レフロディーテのような奥様のお姿をお見せできると思いましたのに…」


夕食の給仕をしながら言ったエレーヌを窘めるように、メイド長のクロエがぴしゃりと言った。

「シャルル様はお忙しいのですよ。領地の経営計画だけでなく、内外の主要な裁判を引き受けてらっしゃるのですから」


確かに公爵は忙しい。

婚姻についての事務的な話をしたあの日から、レベッカとはほとんど顔を合わせていない。


しかし、レベッカは公爵家での日常生活の中で、ヴァレリアン公爵がちまたで言われるような邪知暴虐の残忍な男ではないのではないか、と思うようになっていた。


あの見る者全てを力づくで魅了する美貌や冷静な話しぶり、力強い風格ばかりが目立つ。でも、銀のナイフと形容されるような公爵には、違う一面があるのではないか。


(そうでなければ、庭をこんなに繊細に整えるわけがない)


レオ爺の弟子を自称する、常駐の庭師はここにはたくさんいた。レベッカが話しかけるうちに分かったことだが、彼らは毎月どのように庭を作るか、公爵に指示をされていた。

執事に任せることもできるのに、わざわざ指示をするなんて、公爵は庭に並々ならない執着があるようだ。


そして、レベッカはもう一つ気付いた。

メイドや使用人たちの態度から察するに、ヴァレリアン公爵には世間に知られていない何らかの秘密がある。

彼らはレベッカの周りで言葉を慎重に選び、公爵の要望に対して特別な配慮を払っているようだった。


公爵の秘密とは何なのか?

まさか本当に、嗜虐癖があるのだろうか?

美貌の若い女性の生き血を飲むという噂をレベッカは思い出した。


(まさか、とは思うけれど。私が生け贄にされる、ということ?)


逃げ出すべきか。

レベッカは少しばかり心に迷いが生じた。


(いや、護衛がつくまでの間……という話だったじゃない。それに、使用人たちの様子は……)





誰も公爵を怖れているようではない。

むしろ、この屋敷で働く使用人の誰もかれもが公爵に進んで仕えている。

誰も主人の愚痴を言っているところを見たことがないし、レベッカに対しても丁重に振る舞う。


(でも、何かあるわ)


レベッカは、調査をしてみようと決意した。








その夜、メイドのエレーヌの目を盗んで、レベッカはガウンを羽織り庭園に出た。

夜の風がすうと体を冷やす。

レベッカは見当をつけていた。

それは、庭園の反対側にある裏庭だった。

こちらは主な庭ではなく、厨房の裏手の道から続く小さな庭だ。

使用人たちの勝手口は別の方向にあるので、通常は誰も来ないような場所だ。


それにしては、この裏庭は美しすぎた。



足を踏み入れてすぐ飛び込んでくるのは、豊かな花々の香りだ。

ロゼッタ。リラ。ジャスマ。

夜の暗がりの中でも、多彩な花々の香りは心を静め、一瞬にして日常の喧騒を忘れさせる。


ランプの橙色の灯りが、虫の声に交じって独特の静けさを醸し出している。

厨房の大きな建物が目隠しをするようにある裏手。

一見してそれとは分からない場所に、灯りの点った東屋がひっそりと佇んでいた。


円い小さな窓から灯りが漏れている。

レベッカはろうそくを吹き消し、そっと身を隠して近付いた。

重厚そうな生地のカーテンは全く光を通しはしなさそうだが、幸運なことにそれは一部だけ開いていた。

そこから灯りがもれている。

積み重なっている木箱に乗ったレベッカは、そっと伸び上がって、室内を覗いてみた。


「ッ……」


レベッカは動揺した。

そこには思ってもみなかった光景が広がっていた。



東屋の中は、花であふれていた。

もちろん花瓶に入れられた花もあったが、正確には『花のモチーフの美しい雑貨』の数々だ。

ケーキによく載っている赤い実のフレーズや、さっぱりした香りの緑や黄色が鮮やかなシトロンの実が載ったスイーツがキャンバスから零れんばかりに描写されている。繊細なタッチで描かれた絵はいくつかあり、どれも額に入れて飾られていた。小さい絵だが、あの独特のタッチはデイジー派の先鋭メルティの作品に違いなかった。花や美しい食品への造形は神がかっており、その優美さに貴族の婦人・子女がこぞって心酔していた。妹のエミリーが欲しがっていたが、結局値段の高さ故に諦めて模写を買っていた。レベッカもその値段を聞いて、絵というのは国宝に等しいものなのだと遠い目になったのを覚えている。


(いや、模写……よね)


本物であればこんな裏庭の警備体制が脆弱なところに置いておいて良い作品ではない。

レベッカは深く考えないように決めた。

じっと観察すると毛足の長い絨毯は雲のようにふわふわだ。

部屋の中央にはくつろげる椅子やテーブルが配置されていた。

テーブルの上には、手のひらにのるほどの小ぶりなクリスタルグラスが一つ置かれていた。

その隣には金色のケーキスタンドがあり、甘い香りが漂ってきそうなペイストリー、色とりどりの果物のタルティが入っていた。タルティは薄いクリスピーな生地で覆われ、その上には果物がまるで宝石のようにきらめいている。飴のような一口サイズのつやつやした菓子の上には金箔で飾られたミントの葉や砕いたキャンディードフルーツが飾られている。


飾り棚にはぬいぐるみや木の玩具が綺麗に整列させられて置いてあった。

本棚にはぎっしりと本が詰め込まれているが、合間に木彫りの動物の愛らしい彫刻が置かれている。

小さい暖炉の周りにはレースやフリルに覆われたクッションが置かれ、そのどれもが花の刺繍で飾られていた。

そして、そんな部屋の中央にある大きなソファー。

ベッドとみまごうようなサイズのそれに、夜着をまとったシャルルがリラックスして腰掛けていた。


(これは)


前公爵夫人の私室と言われれば、まあ納得する。

しかし、この屋敷に滞在していたレベッカは知っていた。

屋敷内にシャルルの母君の部屋は既にある。

いつ滞在をしても良いように、使用人が毎日掃除をしているのだ。

しかも、その部屋はモスグリーンを基調とし、荘厳としたインテリアが置かれていた。

こんな国中の乙女たちが好むような、夢見心地なパステル癒やし部屋ではない。




(となると、これはどういうこと?)




レベッカは疑問を感じたが、答えは出なかった。

その時、足下の木箱がぐらっと崩れた。



(あっ、まずい)



と思う間もなく、レベッカは思い切り尻餅をついた。

ガタンという音が裏庭の宵闇に鳴り響く。

逃げるという考えが頭の中にひらめくよりも先に、シャルルが飛び出してきた。

灯りで照らされるレベッカの顔を見たシャルルは、じっとレベッカを見つめる。


猛禽類に睨まれた、は虫類のような気持ちで、レベッカは縮こまった。


「申し訳ありません……」


「中を見たな?」


「……はい」



隠し立てしても仕方ない。

状況証拠が物語っている。




シャルルはじっと黙っていた。




鞭打ちか。

それとも火あぶりにされるだろうか。


レベッカは決まり切らない覚悟を投げ捨てるように頭を下げた。





「もう自分の部屋に戻れ。俺はもう少しここにいる」




公爵はそう言うと、きびすを返して扉を閉めた。

そして彼はカーテンを閉め、裏庭は完全な宵闇となった。



こんなことをしなければよかった。


おとなしく部屋で寝ていればよかった。



レベッカはなんともいえずやりきれない気持ちで、火が消えてすっかり冷たくなった、ろうの固まりきったろうそくを片手に持って、元来た道をとぼとぼと歩いて戻った。


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