37.目的が変わる
マートレ湖の源流まで歩くこと二時間。
距離的には湖と各都市と同じくらいだが、平たんな道ではないため時間がかかる。
上へ行くほど急勾配になっていき、進みが遅くなる。
俺たちは平気だけど、姫様には辛いだろう。
必然、姫様のペースに合わせて登っていくことになる。
「ごめんなさいね。私に合わせてもらって」
「気にしないでください。いきなりこんな道を歩いたら誰だってそうです」
本来なら姫様をこんな場所に連れ出すことはない。
命を狙われている身だ。
城の安全なところで、帝国の騎士たちに任せたほうがよかったかもしれない。
当然、その提案もしたのだけど……。
「戻る気なんてないわよ?」
「わかっていますよ」
という感じに断られてしまった。
姫様はあまり、お城という場所が好きじゃないらしい。
彼女が持つスキルのせいか。
それとも、会いたくない相手でもいるのだろうか。
疑問はあるが、余計な詮索はしない。
理由はどうあれ、姫様が頼ってくれたのは俺なんだ。
だったら、その期待に応えられるように精一杯頑張ろうじゃないか。
「そういうところ、私は好きよ」
「からかわないでくださいよ」
「本心よ」
「え……」
姫様は俺の顔を見て、クスリと笑う。
正直ずるいと思った。
俺には彼女が本当のことを言っているのかわからないのに、彼女には俺の心が筒抜けなのだから。
もちろん動揺していることだって伝わる。
恥ずかしくて顔が赤くなる。
「ラスト様」
そんな俺の名をアルファが呼ぶ。
振り返ると彼女はイライラした様子で言う。
「集中してください」
「あ、ごめん」
「姉上が怒ってるぞ」
「やきもちだねぇ~」
ヒソヒソ話をするデルタとシータを、アルファがギロっとにらむ。
二人はすぐそっぽを向いて、何も言ってませんアピールをした。
緊張感のないやり取りをしながらも、俺は周囲を警戒している。
今のところ驚くほど何もない。
魔物の気配もなく、盗賊たちが待機しているわけでもない。
あの影での移動にも注意して、自分たちや周囲にできる影も観察しているが、何も起こらない。
失敗して一旦引いたのか?
人数を集めて再度襲撃しに来るか、それとも人員を手練れに変えるか。
昼間を過ぎて、夜になったら襲ってくる可能性もある。
マートレ湖の問題は、できるだけ早く解決したいが……。
「幻灯団の襲撃と、マートレ湖の異変……この二つに因果関係がないとは思えないわね」
俺が頭の中で思ったことを、姫様が代わりに口にした。
そう思っている。
マートレ湖の異変に、幻灯団が関わっている可能性があると。
だとすればこの先に奴らが待ち構えている。
姫様に聞いた限り、幻灯団は巨大な組織だ。
現時点で、帝国と単独で戦争ができる兵力を有しているとも言われている。
今さらながら、そんな相手の討伐を俺たちに頼んだのか……。
「無茶苦茶ですよ」
「それくらい手が回っていないのよ」
本来ならば帝国が総力を挙げて対処しなければならない問題だ。
下手をすれば帝国が乗っ取られる。
今のところ大きな争いが起きていないのは幸運か、嵐の前の静けさか。
帝国は未だ動かない。
本来彼らの討伐に向ける兵力を、何かを探すために使っているらしい。
「一体何を探しているんでしょうね」
「お父様しか知らないわ」
「……姫様は聞いていないんですか?」
「ええ。私は……避けられているから」
姫様は悲しい目をして切なげに笑う。
話題を間違えたと、今さら後悔した。
姫様は笑って、気にしなくていいわと言ってくれたけど。
「すみません」
「いいのよ。ずっと前からだもの……この力があるとわかった日から、お父様とは話していないわ」
「そんなに長く……」
「仕方がないわ。気持ちはわかるもの」
自分の心を覗かれたくない。
誰だってそう思う。
肉親だから大丈夫だとか、そんな優しい世界じゃない。
姫様はそう語った。
仕方がないことだと彼女は言うけど、俺はそうは思わない。
家族なら、父親なら、娘である彼女と向き合うべきだ。
心が覗かれたくない。
それは結局、後ろめたい何かを抱えているからじゃないのか?
そう考えると苛立って、無性に陛下の前に出て文句を言いたくなった。
ハッと気づく。
この怒りも、姫様には筒抜けだった。
姫様の前で陛下を悪く思うなんて、不敬なことこの上ない。
だけど姫様は怒らない。
「いいのよ。むしろ……怒ってくれて嬉しいくらいだわ」
「姫様……」
「私は怒れないから」
そう言って彼女は笑う。
肉親に怒りを向けられない……それは彼女の優しさだ。
きっと彼女は、陛下を疑ったりしていないんだ。
ずっと待っているのかもしれない。
陛下が自ら、自分の前に現れて、語り掛けてくれることを。
それはもどかしく、切ない。
願わくば、彼女が後ろめたさを感じることなく、陛下と話せるようになってほしい。
そのためにも――
「ラスト様」
「ああ」
俺たちの行く手を阻むは、大量の魔物たち。
数種類の魔物が列を作り、源流へ向かう道を塞いでいた。
本来異なる種類の魔物が一か所に集まり、群れを成しているなんてありえない。
つまりこれは、人為的。
作為的な妨害だと断定できる。
まず間違いなく、この先に何かあるのだろう。
「突破するぞ、みんな」
「はい!」
「おうよ!」
「はーい」
幻灯団を捕らえて、必ず姫様のスキルを制御する方法を見つけ出す。
そのついでに湖の問題も解決しよう。
いつの間にか俺の中で、主たる目的がすり替わっていた。




