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らくにいきたい

作者: 小津充

 ただ暑いだけで何もない七月、ぶっ飛んでる性能を持っている薬の割に出会いは案外まともだ。


 知らぬ名前のカンパニーから速達で届いた封筒には謎の瓶と不気味な色をした紙切れが入っていた。透明な瓶にチープに見える蓋、中に入っているのは水だろうか、この時点で既に相当な不審物だが加藤は紙切れに手を伸ばした。そこにはこう書いてあった、

【楽に死ねる薬です】

 その時、確実に心のどこかで胸騒ぎがした。


 嗚呼あの世へ行きたい、そう思っていた十二才の夏はあっという間に過去のものとなりどこか遠くへ消えていった。本当に消えた訳ではなく多分自分の死角に回っているから見えないのだろう、消えたように見える理由はあれからもう五年の月日が経ったからだ。


 五年も経てば日本一高いビルも変わっている、自分と同じように。だからもう今はそんなこと思わなくなった、今は頭の良くなる薬が欲しい、贅沢は言わないから暗記パンみたいな薬が欲しい。


 でもきっと一回死にたい思ってしまったからなのだろう、そのことが今、死薬をゲットしたことに直接関係しているかは分からないが無関係ではないはずだ。

 とはいえ人生あれこれ考えても無駄なことは自分が気づいていないだけで結構ある、そのひとつだと自分に言い聞かせて今日もまた平穏な一日を送ろうとしていた。 



 受験生に立ち止まる暇はない、今日も塾に徒歩で通う。だが流石に数時間では封筒の記憶は消えず、道中で立ち止まる。英単語はあんなにすぐに記憶から消えていくのに封筒のようにショッキングな出来事は全く記憶から消える素振りを見せない。


 普段からそんなに授業に集中している訳ではないが今日は特に集中出来なかった。原因はもちろんあの封筒、機嫌が悪い。


 塾から家に帰る途中、齊藤にばったり会った。齊藤は加藤が唯一世間話をする人だが闇を抱えていそうな不思議な男だ。


 本当は明るい友達とかわいい彼女が欲しい、しかし友達は磁石と違って同じ属性のやつがくっつく。ただ奴には彼女もいて頭もいい。違う属性なのかと勘ぐり始めたのは齊藤に彼女が出来た最近のことだ。


 話題は加藤の方から切り出した死薬の話だ。

「なぜビビってしまうのか、どう見てもイタズラではないか、ただの瓶と紙切れではないか」

 齊藤は呆れたように言ったが、加藤は気にすることもなくこうボヤいた

「人間の心理は想像以上に柔らかい」

「……」

「不幸の手紙のような指示もなくただ送られて来ただけ、飲めとも書いていないし飲んだらダメだとも書いていないそんなの卑怯者がやることだ」

 家に近づくと両者歩くスピードが落ちる、同じ家なのにもかかわらず。



 一旦家に帰ってよく考えるとどうしても拭えない疑問が出てきた。五年前の願いが今になって叶うなんてことはありうるのだろうかという疑問。


 仮に加藤にとっての神様が願いを叶えてくださったので有ればあまりにも遅すぎるし、いやまさか後回しにされたのではないか。加藤の信じる神様は皆を平等に見ていなくて何にも地球のために貢献していない加藤の優先順位が低いのではないか、な訳ない、ではやはり単なる偶然なのか。



 加藤は同窓会に行くことを嫌う、なぜなら過去を軽視している男だからである。未来に行くより過去に行きたい派の加藤だが、同窓会は過去に行ける訳ではない。ならば未来のために自分自身を見つめる時間を設けてもいいのではないか。


 それでも稀有な出会いが小さな同窓会を生むことがある、佐々木という旧友に家前で会った時の話だ。久しぶりに旧友と会うとなんかモゴっとした空気を感じる。


 なんの話題も出ないのでさっき届いた怪しい薬の話を切り出すと、齊藤とは全く違う反応だった。もう死にたいとか悲しいことばかり繰り返してその薬くれと言ってきたのだ。


 佐々木の家はあの頃から裕福とは言えなかったし不幸側の人間だ、佐々木に何があったのか知る権利もよしもない。


「死んだら終わり」


 そんなことを言っても意味ないことぐらいわかっていた。言葉で誰かの人生の価値観を変えることなど自分にはできない、けれども加藤は雰囲気で伝わりそうな言葉を無意識に選んでいた。


 死んだら終わりなんて迷信を加藤は信じようと思わなかった。この世に本当に正しいものは存在しない、こんなことを五年前はいつも思っていた、でも今はちょっと違う。


 佐々木はポケットから薬を取り出すと俺にも薬が届いたと言い始めた。同じように封筒の中に瓶と紙切れが入っていたらしい。紙切れにはこう書いてあるらしい

【偏差値が20上がる薬】


 そんな薬あったらマーチが狙えるではないかと心の中で思いながらもそんなの信じるわけねーだろと加藤は我に変えるのである。


 しかしなぜこうも都合よく進むのだろうか、今ちょうど言おうとしていたのに、頭良くなる薬の方が欲しかったと冗談交じりに。なんか見たことあるなとか思うデジャブ的な感覚が心を揺さぶる。


 マジで変なのがイタズラしているのならば最初から加藤のところに頭良くなる薬を送りつければいいのに、なぜそうしないのか、考えても全く理解できない。となるとやはり単なるを超えた超偶然なのか。


「この薬とその薬、交換してくれねぇかな」

 なんとなく予想はついていたが佐々木はこんな提案をしてきた、佐々木の言葉はとてつもなく重かった。二人以外が見れば薬と薬の交換は瓶と瓶の交換のように見えるがそれは違う、その瓶には人生が乗っている。


 偏差値の高い大学に合格すればこの人生が変わる、そう出来るチャンスが舞い込めば掴むに決まっている。加藤は迷うことなく交換の提示を受けた。

 受け取った瓶はやはりとても重かった。齊藤はただの水だろと言っていたが無理もない、どう見てもただの水だ。


 しかしながら我々のような側の人間にはそんな当たり前のことが当たり前で無くなることがある。当たり前のことに満たされている側の人間は苦しみや悲しみに悩むこともなく水が入った瓶は水が入った瓶に見える。


 その水が何かはわからないし毒薬かもしれない、色々な可能性がある中でありえないという常識的価値観と必要ないという恣意的な心情がその水をただの水と決めてしまう。ならば加藤のような側の人間はその逆で、必要という心の背景が常識的価値観を打ち消しその水を毒薬と思うのである。


 だからこそもし佐々木が死んだらどうなるのだろうと言葉に表せない気持ちにかられるのである。



 薬を持って家に帰ると不安が募る。いくら考えても致死量の毒薬と頭良くなる薬の交換なのかただの水と水の交換なのか飲んでみなきゃ分からない、だから飲む。


 もしかしたら自分がまだ知らない水みたいな毒薬なのかもしれない、そう思うと飲めない。普通に勉強するのが一番なことに今更気づいても一度つまずいてしまった人生はやり直せない。恋心を持った人が花びらをちぎる無意味なおまじないのように小心者の加藤は躊躇が止まらなかった。


 数分後決心がついて結局飲んだことには飲んだ、ただ何も起こらず虚無感に襲われただけだった、しかし佐々木は死んだ。


 そんなことに一喜一憂している余裕など加藤にはない、他人の死を哀れむのはいいが悲しむ必要は受験生にはないからだ。それに死にたい人が死んで何がダメなのか、あの時出会っていなければそんなこと考えている暇がどこにあるのか、そう自分に言うしかなかった。



 不思議の不思議さんだったあの薬は結局本物だったようだがそうなると欲が出てくる。例えば死んでも生きてかえれる薬が有れば正直欲しい、十万までなら余裕で出せる。たとえその薬に生きてかえれる保証が無かったとしても今の加藤なら買うだろう。



 夏が終わりほぼ無いに等しい秋も終われば冬が来る、正確に言えば来年だが今年の冬はいつもとは一味違った寒さを感じない季節になるだろう、こうして高校最後の何もない七月は終わりを告げた。


 そしてやってきた夏の模試、偏差値は何故か上がるどころか下がった。

多分あなたがこの地球で私の作品を初めて読んだ人だ。濃度の濃い【読んでくれてありがとう】をあなたに贈る、以上。

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