ヴィオラの失態と夫の計画
途中から夫のターン。
そろそろ、スフェーン侯爵家の馬車が到着する。
上位貴族のお屋敷へ招かれることはあっても、末端貴族の男爵家へ招くことは殆ど無い。余程、当主同士の仲が良ければ別だろうが、上位貴族と男爵家では家格が違いすぎて、頻繁に屋敷を行き来するような交流はない。
変な汗が出てきた……。
隣に立つ夫の腕に軽く手を掛けていたが、いよいよ緊張で不味い。ドレスの下だから見えはしないが、実は、ガクガクと足が震えている。生まれたばかりの小鹿の方が上手く立っているかも知れない。
「大丈夫だよ。スフェーン侯爵も、こんな末端貴族の男爵家に、難しいことは期待していないよ。ご子息とアルトの縁繋ぎを兼ねて訪問されるだけだよ」
夫が、私の震える手を握り、声を掛けてくれる。
「君は、昔からバレていないつもりかも知れないけど、人見知りだものね」
え……私、人見知りだったの!?
確かに、コミュニケーション能力の低さには自信がある。そっか、人見知りだったのか。へー……
「お父様、お母様。僕、頑張ります!」
そ、そうよね!
子供のアルトの方が緊張しているはずなんだから、母親の私がしっかりしなくちゃいけないわ。
「あら、大丈夫よ。男爵家にはジョセフィーヌとヴィオラがいるんですもの。二人は、先日まで子爵家で暮らしていたのだから、ジョセフィーヌ達に任せれば十分なおもてなしが出来るわ」
えっ……お義母様は、本気でおっしゃっているの?
男爵家に迎え入れて数日で判明した二人の問題点。
引きこもりで子爵家のお荷物になったジョセフィーヌ様、愛情不足と偏った教育で我が儘令嬢となったヴィオラ様。
お義母様は、いつになったら、お二人が子爵家から追い出された理由が理解できるの?
やはり私がしっかりしなくては!
お義母様の勘違いも甚だしい話を聞いて、足の震えが止まった。今は頭もスッキリしている。
「ふふっ、サラは落ち着いたようだね」
「ええ」
遂に、侯爵家の馬車が到着した。
ちなみに、屋敷の前でスフェーン侯爵家の馬車を出迎えたのは、私達夫婦とアルト、ヴィオラ様、お義母様だ。
ちなみに、ヴィオラ様ほ、呼んでいないのに勝手に出てきた。だから、嫌な予感はしている。
スフェーン侯爵は、男爵家現当主の夫宛に手紙を出していたし、アルトに会うことを目的としていた。男爵家を訪問までしたのは、ご子息とアルトの親交を深めさせるか否かを、家庭環境や家族関係も含め、ご自身の目で見極めたいという思いがあるのだろう。
「お待ちしておりました、スフェーン侯爵」
「歓迎していただき感謝する」
「アルト、ご挨拶を──「ごきげんよう、侯爵様、クリスティアン様!昨日は、素敵なドレスを贈って頂き、ありがとうございます!」
おっとぉ、ヴィオラ様やっちゃいましたね。
夫も、流石に驚きを隠しきれていない。そうよね、まさか当主同士の挨拶を遮られるなんて……って、えっ……笑ってる?
「ヴィオラ、下がりなさい」
「私は、昨日のドレスのお礼を言っただけよ。何で叔父様に指図されなくてはならないの!」
夫の笑顔が怖い……
「下がれ、と言ったんだ」
やっと、ヴィオラ様も夫の様子に気付いたようだ。
口を開き掛けたが、黙ってお義母様の隣まで下がった。
「では、アルト。スフェーン侯爵へご挨拶しなさい」
「はい。初めまして、侯爵。ブラッドストーン男爵家 長男、アルト・ブラッドストーンです」
「初めまして、アルト君。今日はクリスティアンを頼むよ。そして、君の今後の活躍には期待しているよ」
「はい!」
挨拶を終えると、アルトはクリスティアン様を連れ、庭へ向かった。男爵家の庭には、お義父様の趣味の花壇と家庭菜園しかないのに、大丈夫かしら……?
お義母様とヴィオラ様は、夫による簡単な紹介と挨拶を終えると、そそくさと屋敷の中へ移動した。まあ……『これから令嬢としての教育を始める姪のヴィオラと、私の産みの母です』と、当主による突き放した紹介をされたら……普通は逃げるわよね。
「サラ、私達も移動しよう。侯爵、当家の屋敷は大きくありませんが、使用人達が少ない人数ながらも頑張ってくれています。当家自慢の焼き菓子をお出ししますよ」
「ああ、楽しみにしているよ」
私達は、屋敷の中で一番高価な調度品を揃えた応接室へ移動した。
夫が男爵になった時に、昔から男爵家にあった高価なだけで使い勝手の悪い調度品は売られ、実用的で落ち着いた調度品に揃えられた。使用人からは、掃除がしやすくなったと好評だ。
「この部屋だけ、調度品の趣が異なりますね」
「そうなんですよ。応接室の模様替えだけは、母が譲らなかったので、そのままにしています」
「成る程、以前は屋敷中がこんな様子だったんですね」
「お恥ずかしながら」
母親や姉親子への嫌悪感を隠さず、夫が当たり前のようにお義母様をディスっている。
「切り捨てられますか?」
侯爵が男爵である夫に、お義母様達と男爵家の縁を切らせることが可能か尋ねた。まぁ、アルトを皇太子殿下の側近とした場合に、あんなのがオマケで付いてきたら……変な噂が立つ。
「そうですね。でも、せっかくなので試したいことがあるんです。聞いてもらえますか?」
夫がニヤリと笑った。
「実は、ブラッドストーン男爵家で家庭教師派遣事業を始めようと考えています」
「上位貴族の良い人材が囲い込めたのですか?」
「いえ、囲い込んだのは怪我などが理由で退役した元軍人です」
「ほう……」
「そして派遣先は、ヴィオラのような令嬢、子息がいる貴族家です」
「成る程、追放ではなく矯正ですか」
え、初耳なんだけど!
夫は、退役した軍人さん達を囲い込んでるの?まあ、ヴィオラ様のような方の矯正をしようと思えば、スパルタな教師が必要だとは思っていたけど、そっかぁ……軍隊の訓練を模した教育かぁ。
「将来、アルトが皇太子殿下の側近となるのなら、いざというときに殿下の盾となれるよう教育しておこうと思いまして。それで、武術の教師を探したのですが、現役で実力のある方だと、恥ずかしいことに男爵家では継続して給金を払えなくて……」
「ああ、それで退役した方に?」
「ええ」
へー、アルトに武術を……って、危ないじゃない!
アルトは怪我をしたりしないように、城で働く文官にする予定だったのよ!百歩譲って、皇太子殿下の側近になったとしても、文官よりの仕事をさせてもらえるように教養をって……夫ぉ……
「男爵家で、退役した方達の仕事を継続的に斡旋しようと考えています。その手始めに、当家で引き取ったヴィオラを再教育します」
「ほう……では、私は『男爵家で引き取った令嬢は、基本的なマナーすら理解していなかった』とでも、触れ回れば良いのですか?失敗した時のリスクは?」
「勿論、リスクは背負います」
スフェーン侯爵が夫を見つめ、スッと目を細めた。
「良いでしょう。矯正に成功した場合は、スフェーン侯爵家からも上位貴族の派遣先を紹介します」
「ありがとうございます」
──コンコン
使用人がお菓子を運んできてくれたようだ。
「出来立ての焼き菓子です」
夫が紹介したのは、煎餅のような見た目をしていた。
この世界に餅米なんてあったかしら?んー……小麦粉?
私と侯爵が一口かじる。
「あ、煎餅!」
「ふむ……(ポリポリ)」
さっぱり塩味で食べやすい。
でも、餃子の皮を焼いて加工したみたいな感じ。
ザラメも捨てがたい。あとは醤油があれば……
その後、私達は煎餅を食べながら情報交換を含めた雑談をした。
次の話から、2、3日に1回の更新となります。
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