家庭教師の育成計画
夫の両親を乗せた馬車が、アベンチュリンへ向けて出発した。
お義母様は、特に不満を言うこともなく、私に『体を大事にね』と言ってくれた。
フロント様のことがあるまでは、気遣いもできる優しい人だった。ただ、思い込みが激しいのが欠点なだけで……。
お義父様は、凄く嬉しそうに花々の鉢や種をまとめ、アベンチュリンへの引っ越しを喜んでいた。
一昨日、私が声を掛けた時には『これからは、人目を気にせず好きなことができるよ』と、自分で肥料を荷馬車まで運んでいた。
私達は、次第に見えなくなる馬車を見つめていた。
お義母様達と共にアベンチュリンへ向かう男爵家の使用人はいない。一緒に出発したのは、体格のいい男女4人だ。怪我を理由に退役したと聞いていたが、彼らは私より素早く動いていた。
「さて、これで環境は整った」
「ジョセフィーヌ様、大丈夫ですか?」
「ええ……」
青い顔をしたジョセフィーヌ様。
急に、誰よりも自分を甘やかしてくれる祖母がいなくなり、困惑した様子のヴィオラ様。
特に何も考えていなさそうなアルト。
そして、もっと考えの読めない夫。
「では、移動しましょう」
夫の声に、アルトが動こうとしないヴィオラ様の背を押す。
普段は互いに無視しているのに、こういう時には優しいのね。
ん?アルトがヴィオラ様の耳元で何かを囁いた瞬間、ヴィオラ様の顔色が変化したわ。いったい何を話したのかしら?
「ヴィオラとアルトは各自の部屋へ」
「「はい」」
二人とも返事をして、夫の指示に従った。
「エリオット。まずは、ジョセフィーヌ様を座らせましょう」
夫はジョセフィーヌ様を一瞥すると、軽く頷いた。
私達が向かったのは、夫の執務室だった。
簡易の応接セットのソファへジョセフィーヌ様を座らせると、私は向かいに、夫は間にある一人掛けのソファに座った。
すぐに温かいミルクティーが運ばれてきた。
あ、今回も美味しい茶葉だ。
「サラ……」
高級茶葉で入れたであろうミルクティーを全力で堪能する私を見た夫が、少し困った表情で声を掛けてきた。
「しばらくは、どの部屋で飲んでも美味しい茶葉だよ。勿論、サラの部屋でも同じものが飲めるからね」
「本当に?嬉しい!」
お義母様がジョセフィーヌ様のために取り寄せた茶葉で、しばらくは美味しいミルクティーが飲める。個人的には、カフェオレが一番だけど、ミルクティーも美味しいものね。
「ちなみに……姉上が先日から今朝まで飲んでいたお茶は、使用人達が食事の時に入れたお茶の、出涸らしの茶葉で入れたお茶だ」
「え……?」
「そう……ね。私が、お母様にハッキリと言わなかった、から、お母様は高級茶葉を大量に仕入れてしまった……の、だもの。弟からの、その程度の嫌がらせなら、甘んじて受けるわ……。むしろ、この程度で許してもらえて……良かったわ……」
え……この姉弟、これで良いの?
「では、こちらが明日から教育訓練を始める者達の情報をまとめたものだ」
夫から、私とジョセフィーヌ様へ資料が渡された。
「基本的に、体を動かすことしか出来ない筋肉の塊だ。彼らは」
え……言い方。
夫の口から『筋肉の塊』と聞くことになるなんて。
他の表現の仕方は無かったのかしら?
「何度か護衛の任務を受けたことがあったようで、貴族対応の『き』の字くらいは理解している。が、そのまま知識だけを与えて送り出すには、不安しかない残念さだ」
「えっ……と、字の読み書きはできるの?」
「ああ。彼らは、始末書を書き慣れているから大丈夫だ」
え……大丈夫?
始末書を書き慣れているのは、大丈夫ではないわよね?
何が大丈夫なのかしら?ああ、字の読み書きね。
「簡単な計算については?」
「おそらく……出来ない……と思う」
珍しく、夫が私から目を逸らした。
「彼らは簡単な計算も出来なかったようで、酒場や娼館、賭場、ありとあらゆるものに定期的に騙されていた。請求されるままに過払い金も、支払っていた」
「「……まぁ……」」
私もジョセフィーヌ様も、何と言っていいのか、言葉を失った。
これは、夫も言いづらいわね。
「でも、雇ってしまったのでしょう?」
「あぁ……」
「私の娘、ヴィオラのような令嬢の、再教育に使えると……考えたのよね?その、退役した方達を……」
「えぇ……」
夫が、膝に肘を付き、額の前で手を組み、俯いている。
こんな夫の姿を見るのは初めてだ。
今まで高圧的に接していたジョセフィーヌ様に対しても、かなりの低姿勢だ。
「学ぶべき内容を絞って、気合いと反復練習で何とか身に付けてもらいましょう!」
「そ、そうね!私も、サラさんと一緒に頑張るわ」
人間だもの。そういうこともあるわ。
私は、ジョセフィーヌ様と夫と、三人で今後の学習カリキュラムを作った。
取り敢えず『計算』は必須。また何度も騙されたり、必要以上に金銭の支払いをさせられたり、一応は教育者となる者達が詐欺被害者になり続けるのは醜聞になる。
『ダンス』も練習させる。体を動かすことが得意な彼らなら、すぐに覚えるだろう。
あとは、適正があるものを各自が学ぶ。1人につき1つの分野なら、基本は覚えられるのではないだろうか?
よし。方向性は決まった!
あとは実践あるのみだ。
家族が寝静まった夜中に書くので、最近は眠さに負け気味です。続きが気になる方は、ブックマークをしてもらえると、少し早く更新されるかも?です。
皆様、コロナウイルスに負けないよう、お体をご自愛くださいね!