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恋に焦がれて本能寺 ~織田信子の受難~  作者: シラサキケージロウ
第二部 二話 答えは変わらないよね?
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話し合って決めたこと その6

宝塚男役顔負けの柴田さんの演技に、体育館に集まった全生徒からは惜しみない拍手が送られた。手を振って歓声に応えつつ舞台を降りてきた彼女は、舞台下にいた僕を見つけて歩み寄ってくると、「どうです」と言って胸を張った。


「素晴らしかったです。今からだって役者になれますよ」


「あら、ずいぶんベタ褒めですね。怖気づいたのならば降参してもよろしいのですよ?」


「そんなこと出来るわけがありません。僕は柴田さんに勝って、それで、織田さんの相手役に選ばれてみせます」


「そうですか」と嬉しそうに微笑んだ柴田さんは、僕の額を人差し指で軽く弾いた。言葉によるやり取りは無かったが、激励されているのだとわかった。「ありがとうございます」と頭を下げると、彼女はぐっと親指を立てて観客の波に消えていった。


 指に弾かれた感触の余韻が額から消える前に、僕の傍へ寄って来たのはダンジョーさんだ。彼女は「素敵な演技でしたーっ!」と言ってもう一度観客の拍手を煽ってから、僕に例のお題くじが入った箱を差し出した。


「さあ、お次はお兄ちゃんの番です! ドーンと引いちゃってくださいっ!」


 どんなお題が来ようが関係ない。どうせ元より演技経験なんて無いんだ。恥ずかしがらず、当たって砕けるつもりでやるしかないんだ。


 箱の穴に手を入れて、最初に指先に触れたくじを掴んで引く。開かないままダンジョーさんへそれを手渡すと、彼女は神妙な面持ちでそこに書いてあるお題を読み上げた。


「出ましたっ! 〝江戸城炎上! 命を賭して姫を助けよ、ダイ・ハード決戦!〟、です!」


 色々あったが、真っ先に言いたいことはこれだ。


 このお題を考えた人は今すぐ名乗り出て欲しい。どうか早急に。君には〝シンデレラ〟を熟読して貰う必要がある。





 目が覚めると、私は舞台袖の暗がりで椅子に座らされている状態になっていた。立ち上がろうとしたが、背もたれの後ろで両手が縛られておりそれも叶わない。


 こんな危機的な状況の中で私が声を上げなかったのは、舞台の上で秀成が無数の男子生徒を相手取り、竹刀一本で戦っている姿が見えたからだ。恐らく、現在舞台上では例の〝オーディション〟とやらの最中なのだろう。どんなお題を出されているのかは知る由も無いが、どうせ杏花の時と同じくわけのわからぬものに違いない。


 脳内の奥座敷は燃え尽き、言い争っていた三人の私は既に消えている。おかげで冷静になることが出来る。そもそも、「秀成が私を好いている」というのは杏花の勝手な意見である。本当かどうかはわからないし、十中八九本当ではない。奴の言葉に浮かれるだけならばまだしも、あまつさえ気を失うとはまったくうつけだ。自分で自分が嫌になる。


 戦う秀成を眺めていると、私の背後に誰かの気配が近づいた。「すごいですよねぇ、お兄ちゃん」といういかにも媚びたこの声はダンジョーだ。丁度いい、この女には聞きたいことがあった。


「ダンジョー。お前、どうしてこのようなことをした?」


「ああ、すいません。信子様は姫なものですから。お兄ちゃんの引いたお題の関係上、ここに縛られてもらわなくちゃいけなくて」


「そちらでない。今日に至る全てのことを訊いている。お前の行動のせいで秀成と杏花が争っているのだぞ」


「ああ、そちらですか」とあっさり言ったダンジョーは、スカートの裾をひらひらとそよがせながらひらりと私の正面に回り込んだ。


「別に、遊びでやってるわけじゃないですよ。任務ですよ、任務」


「ふざけるなよ。いつまでもその言葉に騙されるままだと思うか? 遊びでないというのならばそれを示せ、ダンジョー」


「ですから、極秘の任務なんですって。信子様といえどお話することは出来ないんですよ」


「ならばもう、これ以上は織田家としても黙っておれんぞ。せっかく〝倶楽部〟と〝会議〟が少しずつ互いに歩み寄り始めたこの関係を、お前やお前の上司の秘密主義がぶち壊すのだ。それでも良いのか?」


 極まりの悪そうな表情を浮かべたダンジョーは、小さく息を吐くと再び私の背後に周った。それからしばらく沈黙した後、奴は「ここからはボクの独り言です」と前置きしてからぽつぽつと語りだした。


「……信子様や秀成殿の傍に、〝会〟の手の者がいると情報が入りました。ボクの任務はその人物を炙りだすことです。男共をたぶらかし、剣で試合をさせたのも、全てはこのため。剣を握った時の体捌き、歩き方、戦い方……それらを見て、〝仕事慣れ〟している人物がいるかどうかを探るためです」


「……して、結果は?」


「信子様のクラスにも、秀成殿のクラスにも、そういった輩はいませんでした。あるいは、その人物は女性なのかもしれませんが……ともあれ、〝会〟に通じる人間は別にいる」


「ならば始めからそう言えばよかっただろう。そうすれば、私達が協力してやることも出来た。何故言わなかった?」


「〝会〟にとって、恐らくボクは晴海様の命によって信子様と秀成殿の仲を引き裂こうとするお邪魔虫に映っているハズです。そう見えるように動いてきました。そして、奴らにはどうかその認識はそのままでいて貰いたい。誰かに話したその時点で情報が洩れ、ボクの目的が別にあると悟られたら厄介なのです」


 洛中の会に送り込まれた刺客の存在――なるほど、ダンジョーの目的はわかった。そして、それを話さなかった理由も。


「……悪かったな、ダンジョー。私はお前を疑っていた」


「仕方ありませんよ。そうするように動いていたのはボクですから」


 ダンジョーは「独り言終わります」と締めて、私の前に回り込んだ。奴の顔には笑みが戻っていた。


「……さて、ボクはいつもの〝小悪魔〟に戻ります。ご了承ください、信子様」



 ――ここは江戸城無血開城が実現しなかった世界。江戸城下は戦火に包まれ、そしてその炎は江戸城までも呑み込もうとしていた。


 燃えゆく城の中へと飛び込む者がひとりいる。徳川家に仕える身でありながら、密かに姫と将来を誓い合った男である。彼は城から逃げ遅れた姫を救うべく、無謀な賭けに出たのだ。


 彼の行く手を阻むのは燃え盛る炎ばかりではない。姫の暗殺を企む者、ふたりが結ばれるのを阻止しようとする者、火事場泥棒、果ては恋敵まで……。


 果たして男は、襲い来る障害全てを乗り越え、姫を救うことは出来るのか?


 ……これが、『江戸城炎上! 命を賭して姫を助けよ、ダイ・ハード決戦!』というお題を聞いて、なんとか僕が捻り出したシナリオである。すると必然、僕は暗殺者や政敵、泥棒や恋敵と戦うことになるわけで。試されるのは演技力というよりも戦闘力になるわけで……。


 果たしてこれで正当な評価が得られるのかと思えば疑問だが、しかし始まってしまったものはやり遂げるしかない。僕は向かってくる男子生徒をがむしゃらに打ち、突き、そして跳ね除けた。オーディションというよりも、これでは戦隊モノのヒーローショーだ。


 激しく身体を動かしているのに加えて照明が当てられているせいもあって全身が熱い。頭、額、首筋、背中。全身から汗が噴き出している。腕が怠い。脚が重い。脳が揺れる。


 ――負けない。


「――姫っ! 絶対に助けてみせますっ!」


 最後のひとりを抜き胴で仕留め、舞台上には僕の鼓動と荒い呼吸が聞こえるばかりになった。深く息を吸って呼吸を整え、額の汗を手の甲で拭った僕は、乾いた喉を震わせて力いっぱい「姫!」と叫んだ。


「いたら返事をしてください! 姫!」


「――五月蠅いですね、さっきから」


 舞台袖からゆらりと歩いて現れたのはダンジョーさんだ。二刀流用の短い竹刀を二本持つ彼女は、ハーフパンツと白いシャツに着替えている。詳しくはわからないが、舞台上にいるということは彼女もまた何かしらの役柄を演じているのだろう。頼んだ覚えはないが、出てきたものは仕方がない。


 ダンジョーさんの登場に館内は一気に湧いた。つい先ほどまで僕に送られていた声援は、今は全て彼女に向けられている。一応、僕が主役のはずなのに、これでは立場があべこべだ。


「何者ですか、あなたは」と僕が役に沿って訊ねると、彼女は「姫を殺す者です」と答えた。


「姫はこの先にいます。彼女を助けたいのなら、ボクを倒していくんですね」


 何故姫を殺したいのかとか、殺したいというのなら何故僕が助けに来る前に殺さなかったのかとか、不思議なところはたくさんあるが、この空気ではそれを指摘するのも野暮である。荒唐無稽上等の展開に流されることを心に決めた僕は、竹刀の先端を彼女に向けて見得を切った。


「僕は姫を助けます。必ず。たとえあなたを倒すことになろうとも」


「威勢ばっかり良いってわけじゃないことを期待してますよ?」


 数メートル先にいるダンジョーさんのみに意識を集中させる。周りの雑音が遠のいて、視界に映る彼女以外の像がぼやけていく。


 姫、姫――織田さん。あなたを助けます、助けてみせます。


 一瞬の沈黙――先んじて動いたのはダンジョーさんだ。顔の前で二本の竹刀を十字に構えながら突撃してきたダンジョーさんは、素早い連撃を仕掛けてきた。


 少しずつ後ろに下がりながらなんとか攻撃を捌き、つばぜり合いになった拍子にぐっと力を込めて押し返す。流石に力はこちらの方が上で、ダンジョーさんはいとも容易くその場にすとんと尻もちを突いた。篭って聞こえる大きな声は、きっと僕へのブーイングだ。


「やりますね」と呟いた彼女は後転しながら立ち上がると、竹刀を逆手に持ち替えてだらりと両腕を垂らした。構えを変えただけなのに、彼女が少し大きくなった気がした。


 来る――と、気づいたころには既に彼女は僕の眼前だった。彼女の竹刀が僕の喉元を襲おうとしている。辛うじて竹刀で軌道を変えて直撃は免れたが、続けざまに放たれたもう一撃が僕のこめかみへと迫っている。


 身をかがめてその一撃もなんとか躱したが――既に鼻先の甘皮に触れるところにあった彼女の膝は、どうやったって避けようがなかった。


 背中から床に倒れる。顔の中心が熱くて痛い。鼻の奥から鉄の味が込み上げてくる。ダンジョーさんを応援する声が塊となって僕を押し潰そうとしている。



「ダンジョー!」「ダンジョー!」「ダンジョー!」「ダンジョー!」



 負けない、負けたくないのに――立ち上がれない。



「――立て秀成ッ! 負けたら許さんッ! 許さんからなッ!」



 織田さんの声が耳を貫く。館内が一転して静かになる。ぼやけていた視界に色が戻る。舞台袖には彼女が椅子に縛られた姿が見える。




 ――ありがとうございます、織田さん。あなたのおかげで、今の僕は無敵です。




 なんとか立ち上がり竹刀を構える。「まだやる気ですか?」というダンジョーさんの問いかけに「勝ちます」とだけ答える。


「やれるものならどうぞ」と言って、ダンジョーさんはだらりと両腕を垂らした。


 あれだ、あの後だ。来る、来る、来るッ――。


 大きく竹刀を振りかぶる。一歩前へ踏み込む。足裏の着地と打突は同時であるように。


 理想的な形で打ち下ろされた面は――ダンジョーさんの脳天にぶつかる直前でぴたりと止まった。


 竹刀を止めた僕を見て、それから止まった竹刀を見て、最後にふっと小さく吹き出したダンジョーさんは「ボクの負けです」と呟くと、ご機嫌なスキップで舞台袖へと消えていった。


 それと入れ替わるような形で現れたのは織田さんだ。どうやらダンジョーさんが縄をほどいたらしい。心配そうに眉を下げる彼女は「大事ないか?」と言いながら、持っていたハンカチを僕の鼻の穴にぎゅっと詰めた。


「ええ」と答えたものの、実のところ僕の頭はかなりぼんやりとしている。朦朧、酩酊、混濁、曖昧。頭の中で様々な言葉がシャボン玉のように弾けて消えて、最後に「ねむい」という単純な言葉ばかりが残った。


 脳内には辛うじて、とりあえずこの即興劇を円満に終わらせなければという考えが踏みとどまっているものの、しかしここからどうやって大団円に持っていけばいいのかわからない。本家〝ダイ・ハード〟のようなハリウッド映画ならば、ふたりのハグから熱烈なキスで終わるのだが、さすがにそういうわけにもいかない。



 ハッピーエンド。



 ただそれのみを目指した僕の頭はひとつの台詞を導き出し、それをそのまま声にして発した。





「愛しています、織田さん」






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