話し合って決めたこと その4
気づけば体育館はいつの間にか満杯である。話こそ聞いてはいないが、全員の目当ては恐らく一致しているはずだ。ダンジョーさんである。それにしても、彼女が歌ったり踊ったりするわけでもないのにここまで人が集まるとは……彼女の天職はくノ一ではなく、アイドルか何かなのではなかろうか。
クーラーも無い場所にこうまで人が集まると、まったく蒸し暑くてしょうがない。熱気から逃れるために体育館を一旦出た僕は、自動販売機でパック牛乳を買ってその場で飲んだ。
柴田さんとの決勝戦はもう間もなくである。剣道の経験が活きたおかげもあって、なんとかここまで勝ち上がれたが、柴田さんが相手ではそうはいかないだろう。しかし、相手も同じ人間なんだ。一万回に一度くらいは勝てるかもしれないし、その〝一度〟が最初にくる可能性だってある。やる前から諦めるわけにはいかない。
弱気になりそうな自分を心中で鼓舞していると、ひどく慌てた様子の織田さんがこちらへ駆け寄ってきた。「どうされましたか?」と言いながら迎えると、彼女は「どうされましたも何もあるかッ!」と言って、弱々しく眉を下げた表情で僕を睨んだ。
「何故お前は杏花に『本気でやろう』などと言ったのだ!」
「まあ、勝負事ですし。お互い本気の方が気持ちいいじゃないですか」
「そういう問題ではない! 元より秀成が殿になる予定だったのだから、この勝負に意味は無いだろう!」
「確かにそうなのかもしれません。でも、そうじゃないんですよ、これは」
「何を面倒なことを言っている、お前はッ!」
面倒なことを言っているということは自分でもわかっている。でも、仕方がないだろう。〝可愛い女子〟の前でカッコつけようとする男子高校生ほど、無謀で無鉄砲な生き物は存在しないのだから。
「……勝たせて貰った勝負で織田さんの隣には並べません。だから勝ちます、きっと」
僕を睨んだまましばらく下唇を噛んでいた織田さんは――やがて「勝手にしろ」と呟くと、ふらふらした足取りで去って行った。僕の頭の悪い発言に頭が痛くなったのかもしれない。
牛乳を飲み終えたところで、京太郎が僕を呼びにやって来た。時計を見れば、もう決勝まで数分である。彼と共に急いで体育館へ向かうと、中央の舞台に柴田さんが仁王立ちしているのが見えた。頭に白い鉢巻を巻き、まぶたを閉じながら腕組みをしてじっと待つ姿は、さながら巌流、佐々木小次郎だ。
京太郎は「お前が怪我したら俺は奥様にクビ斬られるんだ。ほどほどにな」と僕の背中を叩いて見送った。それに「死なない程度にやってくるよ」と答えた僕は、ぐっと親指を立ててみせた。
人垣を掻き分けて舞台へ上がると同時に、拍手と歓声が同時に巻き起こり体育館の天井にわんわんと響いた。ダンジョーさんがステージに立っているのだろうかと思ったがそうではない。
一段高いところから館内を眺めて初めてわかった。みんなの視線は全てこちらに注がれている。さすがに決勝というだけあって、それなりに試合を楽しみにしているようだ。注目を浴びるのは慣れてはいないが――この感覚は嫌いじゃない。心臓は高鳴り、否応なしに気分が高揚する。
その時、僕の視界の端に織田さんの姿が映った。試しに手を振ってみると、彼女は手を振る代わりに深く頷き、「がんばれよ」とゆっくり唇を動かした。みんなからの声援よりも彼女ひとりからの視線の方を嬉しく思ってしまうのは、男子高校生としての悲しい性だ。
和太鼓の音がひとつ鳴る。それを合図に一切の音がその場から消える。
静寂の中、眼を見開いた柴田さんは、「待ちくたびれましたよ」と言って持っていた剣を上段に構える。
「てっきり、本気のあたしに怖気づいて逃げたのかと」
「怖気づいているのは間違いありません。ですが逃げはしませんよ。男ですから」
「……このような場合は、その意気やよし、でよろしいんですかね?」
「骨は拾ってやる、でもいいかもしれませんね」
僕はそう返して足元に落ちていた剣を拾って構えた。
柴田さんがゾウだとすれば、僕はアリだ。柴田さんが台風だとすれば、僕はそよ風だ。柴田さんが刀だとすれば、僕は大根だ。
でも、諦めない。奇襲、急戦、奇策、秘策。あらゆる手を総動員して、窮鼠猫を食い尽くすところを見せてやろう。
――吹き消したように全ての照明が消え、スポットライトが僕と柴田さんのちょうど間へ一直線に伸びたのはその時のことだった。光に照らされているのは当然の如くダンジョーさんである。
再び歓声に包まれる館内へ笑顔で手を振った彼女は、両手にマイクを構えてこう叫んだ。
「突然ですけど、競技内容を変更しまーすっ! チャンバラは飽きちゃいましたーっ!」
柴田さんは構えていた剣を無言で舞台に叩きつけた。
〇
「ボク、考えたんですっ! いくら殿とはいえ演劇なんだから、強いだけじゃダメなんじゃないかって! だから、決勝戦はアドリブ演劇で勝負して頂くのはどうでしょうかっ!」
決勝戦の中止を宣言したダンジョーさんは、続けざまにそんなことを言った。
確かに、チャンバラの強弱が殿を演じる上で何の役に立つのだろうかとは始めから薄々思っていた。しかし、それは突っ込むのも野暮だろうとも思っていたからこそ、僕は何も言わずに剣を握っていたのだ。今さら真っ当なことを言われても却って困る。
僕と柴田さんは揃って「待った」を掛けようとしたが――体育館に溢れる賛成の声にそれはかき消された。既にダンジョーさんはこの学校の女帝だ。民主主義的方法で彼女に物申すことは不可能である。
「ワガママ言ってすいません!」とぺっこり頭を下げたダンジョーさんは、続けてパチンと指を鳴らした。すると正面舞台の幕が上がり、ベニヤ板を組んで造られた小ぶりの江戸城が姿を現した。こんなものを即席で用意出来るわけがない。元より彼女は、僕達に演技をやらせる予定だったのだろう。
何もかもがダンジョーさんの掌の上だ。柴田さんはやはり心中穏やかでないらしく、口元に浮かべている微笑みがぴくぴくと引きつっている。みんなの視線が無ければ、間違いなく彼女はダンジョーさんへ詰め寄っていたところだろう。
怒りの活火山が粘度の高い溶岩を溜め込んで爆発寸前であることを知ってか知らずか、ダンジョーさんは鼻歌交じりの上機嫌である。彼女は舞台下にいる黒子から天に穴の空いた大きな箱を受け取ると、それを「どうぞっ!」と柴田さんに差し出した。
柴田さんが「なんでしょう、この素敵な箱は」と寒気がするほどわざとらしい猫なで声で訊ねると、ダンジョーさんは「くじ引きですっ!」と媚びた声で答えた。
「公平性を期すために、おふたりにはくじ引きでお題を決めて頂き、それに沿って演技をして頂こうと思いまして!」
「あらあら、それはまたずいぶん楽しそうなことで。なら、引かせて頂きましょう。ええ、そうしますとも」
言葉の節々から怒りを滲ませつつくじを引いた柴田さんは、そこに書いてある文言を薄目で見て鼻で笑いつつダンジョーさんへそれを手渡す。
受け取った彼女は体育館をぐるりと見回しながら、そこに書いてあるお題を読み上げた。
「最初のお題は……〝恋は小太刀、心に切り傷。あの夏の忘れ物をキミへ……〟です!」