話し合って決めたこと その3
ダンジョーさんの呼びかけによって教室は平和を取り戻したが、しかし争いの火種が消えたわけではない。誰が王子を演じるのかという問題はまだ解決されないままである。立候補では埒が明かず、じゃんけんなど運が絡む方法で決めてしまっては角が立つ。
そこでアイデアを出したのが、やはりというべきかダンジョーさんであった。
「それなら、明日の放課後にオーディションをやるなんてどうでしょうか! お祭りみたいで、きっと楽しいと思いますよ!」
男子生徒は満場一致でこれに賛成。なし崩し的に柴田さん率いる女子生徒がこれに合意。勢いそのまま、オーディション内容の決定権までダンジョーさんに握られたのは、柴田さんにとっては苦い敗北だっただろう。
七組の生徒は既に自分の教室へと戻った後だ。教室には和やかな空気が戻ったが、これが嵐の前の静けさであるということがわかるのは、クラスの男子が互いを笑顔で牽制しているからだ。
それにしても、王子役に立候補者があれだけ出たのは何故だろうか。ダンジョーさんが姫の役をやるのならば、この騒ぎもまだわかるのだが、それを演じるのは織田さんだ。急に彼女の魅力に気づいたというのも少々考えづらい。となれば、どうして?
それについて無駄話を交えて教えてくれたのが京太郎だった。
「クラスの奴らから話聞いたんだけどよ、どうやらダンジョーが全員にこう言って回ったらしいぜ。『ボク、センパイが文化祭でお殿様として活躍する姿が見たいです』って。それを真に受けるアイツらもヤベーけど、一番ヤベーのはあのくノ一だよな。男共の耳元で甘い言葉を囁くだけで操れるって、洗脳ってよりほとんど超能力。もしも漫画に出たとしたら、間違いなく主人公最大の敵。敵のボスってより、むしろ幹部。で、主人公の仲間を操って主人公をピンチに陥れる。でも、覚醒した主人公の力によって一発アボンでハイサヨナラ、って、そういや、そんな映画もあったよな。誰でも操れる男の話」
まさか、みんながそのような動機で立候補していたとは。しかし、そうなるとかなり厄介だ。可愛い女子の前でカッコつけようとする男子高校生ほど、無謀で無鉄砲な生き物は存在しない。オーディションというのがどんなことをやるのか見当もつかないが、しかし相当気合を入れなければ勝ち抜くことは出来ないだろう。
さて翌日の放課後になって、付き添いの京太郎と共に体育館へ向かえば、既に多くの男子生徒が集まっていた。中央の辺りには広い円卓のような舞台が設置されている。あの上で何かをするのだろう。
殺気立った彼らとは距離を取り、少し離れたところで京太郎と共にオーディションの開催を待っていると、僕達の元へ柴田さんと織田さんがやって来た。話を訊けば柴田さんもオーディションを受けるつもりだという。織田さんはその付き添いだとか。
「秀成、十分に用心しろよ。あの女は何を考えているかわからん。何が起きても不思議ではないと心得よ」
黒い瞳できょろきょろと辺りを見回しつつ織田さんがそう警告したその時、体育館の照明が落ち、遮光カーテンが窓に引かれて館内は全くの暗闇となった。一瞬遅れて伸びてきたスポットライトが体育館の正面ステージを照らす。眩い光に目を細めるのはダンジョーさんである。途端に熱狂する館内に、柴田さんはこちらへ聞こえてくるほど強く歯ぎしりをした。
ダンジョーさんはさながらアイドルの如く両手でマイクを持ち、「お殿様になりたいですかー?」とみんなに呼びかけた。
「なりたいでーす!」という低音の声は大きな塊となり体育館を揺らす。
「本当に、ほんとーになりたいですかー?!」
「なりたいでーす!!」
「イイ元気っ! だったらみなさん……カッコイイところ見せてくださいね?」
小首を傾げながらそう言った彼女は足元から何かを拾い上げ、それを頭上で振ってみせた。
よくしなる棒状のそれは、スポーツチャンバラ用の剣であった。
☆
ダンジョー曰く、「殿とは姫を守る者。ならば強くて然るべき。弱き者には殿を名乗る資格無し」。ということで、奴が提案したのがスポーツチャンバラという競技であった。
勝敗のつけ方は至って単純で、用意された棒を使って先に三度相手を殴った方が勝ちだという。よほどヘソの曲がった勝負を用意するのだろうと思っていたところに出されたものがこれだから、私はなんだか拍子抜けした。
刀の扱いならば杏花はまず負けない。加えて、秀成もなかなかどうして腕の立つ男である。殿の役を勝ち取るのは、ふたりのうちどちらかということで間違いないだろう。どこの馬の骨とも知れぬ男を相手に姫を演じる心配はなさそうで、ひとまず何よりである。
それからほどなくして、男子共はくじを引きふたつに組分けされた。なんでも、ふたつの組で勝ち上がった者同士が戦い、最終的な勝者を決めるのだという。秀成と杏花はそれぞれ別の組に別れたので、ふたりが戦うのだとすれば決勝戦だ。
勝負が始まってからは特に見所もない試合が続いた。秀成も杏花もまったく順当に勝ち進む上、素人同士の仕合など見ていて愉快と感じることもないので、これは仕方のないことだ。
数試合終わるころには、どこからか噂を嗅ぎつけたのか、いつの間にか見学人の数がだいぶ増えてきた。試合を観に来た者が一割弱で、ほとんどがダンジョー目当てであろう。
現在、体育館の中央に作られた仮設舞台では秀成が試合をしている。縦にも横にも大きな、さながら猪のような男が相手だが、その動きもまた猪の如く直線的でどうということはない。力比べならまだしも、剣で秀成が負けることはないだろう。
そんな分析をしつつ遠目から試合を眺めていると、私の隣にそっと立つ者がいた。秀成の母、灯光に仕える忍び――四王天京太郎である。
一見、羽毛よりも軽薄なこの男は、実のところ義理人情に厚く、何より友を大切にする性格を持ち合わせた男だ。食えぬ性格ではあるが、信頼できる男であることは間違いないだろう。
「アイツ、意外と腕が立ちますよね。あんな虫も殺さないような顔して」と京太郎は眠たげな眼で試合を眺める。
「私が認めた男だ。あれくらいやって貰わねば困る」
私は試合から目を離さずに話を続ける。
「こうしてお前と話すのは初めてだな、四王天京太郎」
「そっすね。まあ、色々とありましたからね」
「ああ、色々な。お前は秀成が幼少の頃から灯光に仕えていたのか?」
「いや、奥様に仕え始めたのはお互いが八歳の頃くらいっスかね。まあ、アイツときちんと話したのは高校に入ってからが初めてでしたけど」
「その歳までは、忍びらしく影から秀成を助けていたわけだ」
「まあ、そんなところっスかね」
会話はそこで終わってしまった。思っていたよりもあまり話さない男だ。やはり、あの無駄話を垂れ流す姿は忍びとしての自分を隠すための隠れ蓑なのだろう。
試合は秀成が二本取ったところで小休止が設けられた。対戦相手の男がかなり息を切らしているのを見かねた秀成が申し出た故である。切るか切られるかの真剣勝負だというのに、まったくもってあの男は甘い。
「……昔からああなんスよね、ヒデナリって。優しい、じゃなくて甘い。むしろベタ甘。ラブアンドピースが世界を救うって考えてるっていうか、なんていうか……」
「それでこその秀成だ。違うか?」
「ま、そうなんスけど……。結構キツイもんスよ。ずっと近くにいると」
頭に浮かんだのは、ダンジョーにすら慈愛の微笑みを投げかける秀成である。噛み潰した苦虫の味が舌の根まで染みるのを感じつつ、私は「わかっている」と返した。
小休止が終わり、それから一分と経たずに決着はついた。息を整えたおかげで猪男が一本取ったが、すぐさま秀成が取り返す形で勝負は終わった。終戦の太鼓が打ち鳴らされ、秀成は額の汗を拭いながら舞台を降りていく。
京太郎は締まりのない笑顔を浮かべると、「柴田さんとの一騎打ちが楽しみっスね」と言い残し、手ぬぐいを持って秀成の元へ駆けて行った。
それから一時間ほど経って、いよいよ決勝の舞台に立つふたりが決定した。予想の通りと言うべきか、勝ち上がってきたのは秀成と杏花の二名である。
さて、決勝を戦うのがあの二人ということはつまり、どちらが勝つも自由自在ということになる。今も昔も八百長は許されるべき行為ではないが、今日くらいは構わないだろう。そもそも、殿の役は男がやるべきなのだから、まともに考えれば杏花に出場権は無い。となれば、あの場に奴が立つことがまずおかしい。今さらそんなことも言えないので決勝には出ざるを得ないだろうが、しかし勝ちは秀成に譲るべきだ。
そのようにして自分自身を速やかに納得させた私は、決勝まで小休止を取る杏花の元へ向かった。しかしどうしたことなのか、杏花はなんだかやけに浮かない顔である。この程度の戦で疲れる女ではなかろうにと一瞬思ったが、直後、私はすぐさま理解した。
この女もうつけではない。恐らく杏花は、私が「秀成に負けろ」と命令するのを予め察知していたのだ。そして、言われるよりも先に満身創痍の演技を始め、八百長の香りを周囲に感じさせないようにしているに違いない。
私は杏花の肩にそっと手を置き、耳元で「やるものだな」と囁いた。
「何がです?」
「とぼけないでも構わん。間違いなく秀成に〝勝つため〟、既に策を打っているのだろう?」
「ええ、その通り……と、言いたいところなのですがね」
諦念の漂う笑みを浮かべた杏花は、がっくりと肩を落として深く息を吐いた。
「つい先ほど、秀成殿に言われてしまいましてね。……〝八百長は無し。本気でやりましょう〟、と」