話し合って決めたこと その2
柴田さんの〝もうひとつのお願い〟。それは、〝お姫様〟を演じることを希望している織田さんの相手役を僕に演じて欲しいというものだった。どんなことを題材とした演劇をやる予定なのかは知らないが、お姫様の相手役ということはつまり、僕が演じるのは王子様かそれに準ずる役ということになる。
王子様となればほとんど主役みたいなものだ。何かの役を演じたことはおろか、役者になりたいなんて思ったことはただの一度も無い僕にとってはあまりに荷が重い。僕は「もっと他に適任がいますよ」と言って柴田さんの頼みを断ったが、彼女は「そこをなんとか」と深々頭を下げて懇願した。
「お屋形様がお姫様を緊張せずに演じるには、秀成殿が近くにいるのが一番なんです。どうかお願いいたします」
今までの人生を箱入り娘で過ごしてきた分、織田さんには是非とも文化祭を楽しんで頂きたいのは確かだ。ならば僕が一肌脱ぐしかあり得ない。「男は度胸」とやや古い価値観を持ち出し、自分を奮い立たせた僕は、柴田さんの頼みを引き受けた。
それから、六時間目のLHRになって。中村先生が「じゃ、文化祭の出し物について決めなさい」と生徒の自主性に全てを任せて高みの見物を決め込んだところで、柴田さんが早速とばかりに「アタシから提案ですっ!」と元気いっぱいに手を挙げた。
「七組と合同で劇をやるなんてどうでしょうっ! テーマは〝日本版シンデレラ〟!」
柴田さんの提案を受けた教室のあちこちから、詳細すら聞かないうちに「賛成!」「賛成!」と興奮したような声が上がる。彼女のロビー活動はどうやら成功したらしい。これならば、わざわざ僕が賛成と言い出す必要も無いだろう――と思いきや、よくよく教室を見てみれば、賛成を掲げているのは女子ばかりだ。男子はと言えば、まるで何も聞こえていないか、もしくは時が止まってしまったかのように、賛成の声も反対の声も上げず、微動だにしないままじっと黙っているばかりである。
片や熱狂、片や沈着。対照的な光景を目の当たりにした京太郎は、「おいヒデナリなんだよこれ」と言って不安そうに僕の肩を揺すった。時が止まっていない男子は僕と彼だけだ。
「女子もヤベーけど男子もヤベーぞ。聞こえてねーのかよ、この大合唱。全員そろって耳なし芳一かよ」
「京太郎もわからないの?」
「当たり前だろ。知らねーよこんなの。何が起きてんだよいったい」
何が起きたのかわからず困惑する僕達を置き、すらりと手を挙げた中村先生は柴田さんの案に「待った」を掛けた。この状況を目の前にして不思議に思うよりも先に、合同演劇なんて面倒なことはなんとしてでも止めようという先生の姿勢は流石である。
「柴田さんさ、無理でしょ、それ。無理無理。絶対に無理。わたしは反対だよ」
「なぜですか? こんなにたくさん賛成してくれる人がいるのに」
「たくさんいるのはわかってる。それに、わたしだってやりたいって思ってる。本当よ? なんなら、わたしが主役やりたいくらい、って、それは無理だけど。でも、劇って言っても用意があるでしょ。脚本とか、衣装とか。それに、合同で何かをやるっていうなら、ウチのクラスだけの問題じゃないし――」
その時、教室の扉ががらりと開かれ、七組の女子生徒が一斉になだれ込んできた。その最後尾には少し恥ずかしそうに拳を天にかざす織田さんもいる。
「賛成!」「やらなきゃダメ!」「アカデミー賞間違いなし!」と口々に叫びながら中村先生へと詰め寄る彼女達の中には、『LOVE演劇』と書かれたプラカードを持つ人までいて、こうなるとある種の恐怖すら感じる。とりあえず、アカデミー賞は演劇に贈られる賞ではない。
この勢いにはさすがの中村先生も驚いたようで、目を点にしたまま何も言えないでいる。しかし、これを見ても男子生徒達の時が止まったままなのが不気味だ。大方、この空気の中で反対とは言い出せず、誰かが口火を切るのを待っているのだろう。
それにしても、いったい何がそこまで女子生徒達を駆り立てるのか?
例に見ない一致団結を疑問に思う僕は、やがてクラスにいる女子生徒の視線が誰一人の例外なく一点へと注がれていることに気づいた。視線の先を見てみれば、そこにいるのはダンジョーさんである。
「合同演劇絶対賛成!」のシュプレヒコールが響く中、僕は「なるほど」と理解した。これほどまでに女子生徒が団結している理由。それは――。
「ええ、そうです。その通り」
いつの間にか僕の隣に立っていた柴田さんがそう呟いた。過激な尊王攘夷派めいてきた女子生徒達を満足そうに眺める彼女は、独り言のようにさらに続ける。
「あたし、とある噂を耳にしましてね。〝体験入学生の女の子〟が、クラスの男子を先導して文化祭の催し物を勝手に決めようとしているという噂を。ただでさえ学校の男子生徒から必要以上にチヤホヤされている彼女は、女子の皆さん方からはずいぶん恨みを買っていたようでして……。噂を聞かせてあげたら、皆さん、あっさりあたしに協力してくれると言ってくれましたよ」
「偽計かよ。大人げねーな」という京太郎の呟きを、柴田さんは「お黙りなさい」一蹴する。
「これも全てお屋形様のため。そしてついでに、あの女に一泡吹かせてやるためです」
ついに漏れてきた彼女の本音に、僕は聞こえなかったフリをした。
さて、中村先生は女子生徒には勝てないと悟ったのか、「まあまあ」と愛想笑いを浮かべて彼女達との戦いを避け、未だ微動だにしない男子生徒に狙いを定めた。なんとしてでも面倒ごとを避けたいというその姿勢は、ある意味では一本筋が通っていて立派である。教師としては如何ともしがたい。
「女子の意見はもう十分。満場一致で大賛成ね。でもさ、そっちはどうなの? 黙ってるってことは、やっぱり反対ってことだよね? そうだよね? 民主主義を採用するなら多数決だけど、残念、わたしはソ連大好きなの。ハラショーボルシチ、ハラショーサンボ。てことで、男子生徒からも賛成が得られないって言うなら――」
その時、「賛成!」という野太い声が教室を揺らした。今までじっと黙っていた男子生徒達からの声だった。
これを合図にしたかのように、今度は七組の男子生徒が教室になだれ込んで来る。中村先生はそれを見てさらに驚いたようであったが、それは柴田さんをはじめとした女子生徒も同じらしく、彼女達もまたあんぐりと口を開けて熱狂状態となった教室を見回している。
「やったろうぜ演劇!」「起こそうぜムーブメント!」「変えようぜ時代!」「獲ろうぜアカデミー賞!」とよくわからない盛り上がりを見せる男子生徒。唖然とする女子生徒。祈るように天を仰ぐ中村先生。「ワケわかんねえ」と呟き頭を抱える京太郎。教室の隅で何やら話を始めた織田さんと柴田さん。
この教室で平然としている人物はただひとり。隅の方でちょこんと座り、くすくすと笑うダンジョーさんだけである。
☆
事前に杏花から聞いていた話ではこうだった。
まず、杏花が二組合同の演劇を提案。これに秀成、京太郎、並びに女子一同が全員賛成。多数決により演劇の開催が決定した後は、私が主役に立候補。滞りなくそれが承認された後、私の相手役として秀成が立候補。そして再び滞りなく決定。間もなく始まる演劇の練習を共にするうち、私達の仲はいっそう深いものとなる……。
おおよそこのような予定であったはずなのに、ふたを開けてみれば、女子のみならず男子も全員揃って賛成。何かが起きたことはまず間違いないのだが、その〝何か〟に見当がつかない。これは杏花も同じらしく、話を聞いても「わかりません」と首を振るばかりであった。
「しかし、こんなことが出来る人間に心当たりがあります」
「誰だ、それは」
杏花は「あれです」と言って、騒然とする教室の一点を指さす。その先にいるのはダンジョーである。周囲がこれだけ騒がしいというのに、微笑すら浮かべながら背筋を伸ばして席に座っているのは、なるほどいかにも犯人然としている。
「いたいけな男子生徒を手駒に出来るのはアレただひとり。あの女がこうなるように仕向けたに違いありません」
「しかし、ならば奴の目的は? 私達の手助けをしようというのか?」
「あり得ません。考えられる奴の狙いはただひとつ、主役の座です」
途端に頭に血が昇る。あのくノ一は、何故ここまで私の邪魔をする。
「そんなの決まっております。姫を演じることにより、男子からチヤホヤされたいだけのこと。まったく、小悪魔ぶるのもいい加減にして頂きたい」
憤る杏花を余所に、男子生徒のひとりが「それでは演劇で決定ということで!」と声を上げ、それに別の生徒が「それなら次は配役決めなくちゃな!」とわざとらしく続き、残った生徒がその提案を「名案!」「最高!」「アカデミー賞受賞間違いなし!」などと後押しする。
なるほど、どうやら杏花の言う通り、ダンジョーは自らを劇の主役として男子生徒達に推薦させるつもりらしい。
「ご安心を、お屋形様。あの女の好きにはさせません」と言い残した杏花は人波をかき分け教壇に上がり、耳の奥がキンと響くほど大きな指笛を鳴らした。するとあれほどまでに騒がしかった教室は瞬く間に静まり返り、皆の注目が一斉に杏花へと注がれる。こうなると主導権は奴の掌の中だ。
「よーしみんなっ! 静かになったところで役決めだ! 主役のお姫様をやりたいって人はいるかなっ!」
――時は来た。
打ち合わせていた通り、私はすかさず手を挙げて「私がやろう」と申し出た。静まり返っていた教室はそこで、女子達からの「賛成!」の声に溢れる。やや想定外のこともあったが、軌道修正はどうにか完了した――と思いきや、賛成の声を上げているのは女子ばかりではない。ダンジョーに味方すると思われていた男子連中も太い声を上げ、こぞって私を支持しているではないか。
満場一致で姫の役を任されたことに混乱していると、男子生徒のひとりが教壇に上がり、「それなら次は姫の相手の殿様役だな!」と声を上げて杏花から主導権を奪い取った。
驚くべきことが起きたのは次の瞬間のことだ。教室にいる男子生徒が一斉に手を挙げ、「俺がやる!」「いや俺だ!」「俺に決まってるだろうが!」と争い始めたからである。杏花へ視線を向ければ、私と同じように困惑した様子だ。事態は既に私達の手から離れ、もはや制御不能となっている。
男子生徒共の中には掴み合いの喧嘩を始める者までいる。混沌となったこの教室を、唯一、権力という武器を使って止められるはずの中村教師は、死んだ魚のような目をして窓の外を眺めているばかり。もはや、血を見ることは避けられぬ。
こうなれば、私がこの場を鎮める他あるまい。
第六天魔王の血に身を任せるまま刀を抜いた私が、机に足をかけ「静まれッ!」と声を発しようとしたその直前――「もう止めましょうっ!」という声が、早馬の如く教室を駆け抜けた。
「大好きなセンパイ達がケンカしてるところなんて……ボク、見たくありませんっ!」
……涙で瞳を潤ませたダンジョーの呼びかけは、熱に浮かされた男子生徒共を大人しくさせるには十分すぎる破壊力を秘めていた。