話し合って決めたこと その1
あのくノ一を秀成から引き離すという目標は見事成功したものの、喜んでばかりではいられない。
九条という頭を失ってもなお健在である〝洛中の会〟が、また活発に動き始めた。その上、奴らの狙いがダンジョーだというのだからわけがわからない。頭を失ったせいでおかしくなりでもしたのだろうか。
しかし統制を失った集団ほど怖いものはない。血迷った挙句、こちらへ矛先を向ける危険性だってある。本来ならばこちらから打って出たいのだが、相手の居場所がわからぬ以上はそれも難しい。
つまり現状、〝待ち〟の一択しかあり得ない。なんとも歯痒いが仕方あるまい。
「動かざること山の如し」と、かの信玄公の言葉を借りて呟いていると、杏花が部屋にやってきた。〝会〟の連中が狙ってくるかもしれぬということで、学校への行き帰りを共にすることに決めたのは昨夜のことである。
しかし気のせいなのかもしれないが、杏花の着る制服のスカートの丈が昨日より幾分短くなっている気がする。元より色々と危険だったのに、既にそこすら乗り越えた領域まで踏み込んでいる気がする。
いや、間違いなくあれは短くなっている。ただ、私の脳がそれを理解するのを拒否していただけのことである。「恥を知れ」というのは、今の奴のためだけにある言葉だ。
私の訝しげな視線に気づいたのか、杏花が「どうされました?」と訊ねたので、一線を超えたところにある服装について問うと、「幼き蝶に惑わされた獣を目覚めさせるためです」と覚悟を決めた瞳でわけのわからぬことを言った。詳しいことは訊いても無益だと思い、訊かずにおいた。
「しかし、お屋形様はそのままでよろしいのですか?」と杏花は私の制服姿をじろじろと見る。
「そのままとはどういうことだ」
「だって、ダンジョーはまだ学校へ来るつもりですよ。つまりは秀成殿と同じクラスで授業を共にするということです。秀成殿が小さな女の子に尻尾を振る男性だとは思っておりませんが、彼だって草食系とはいえ一応男のコ。なかなか食えぬブショー系より、一口パクンでイケる据え膳小悪魔ワンコ系後輩女子を選ぶ可能性は充分考えられるのでは?」
「だっ、誰がなかなか食えぬブショー系だッ!」
「あなたですよ、あなた。他に誰がおられるのですか。とにかく、このままではダメなんじゃないかと言いたいわけです、あたしは。彼を振り向かせる秘策は何かお持ちなんですか?」
「そっ、そんなものッ! ……持っているわけがなかろう」
「でしたら、是非ともスカートを短くして、お屋形様の太ももパワーで悩殺を――」
「するかッ! 出来るかッ!」
「ならば、秀成殿をあのくノ一に盗られればよろしい」
「許せるかッ! そんなことッ!」
「とすれば、ひとつ提案が」
どこからともなく狐の仮面を取り出した杏花は、それを頭に被って自らも女狐の如く微笑んだ。
「〝無益な努力と出来の悪い青春の押し付け合い〟――文化祭を利用致しましょう」
〇
誰が言い出したのかは知らないが、曰く、「文化祭とは無益な努力と出来の悪い青春の押し付け合い」である。なんとも卑屈な意見だろうか。
確かに、体育祭で演奏するバンドには素人しかいないし、お化け屋敷なんてたいした仕掛けは作れないし、展示会なんてやっても体のいい休憩場になるだけかもしれない。少し気合を入れて男女逆転のファッションショーや、男子生徒がメイド服を着た奇天烈メイドカフェなんてやろうものなら、目も当てられないことになるかもしれない。
しかしそれでもいいじゃないかと僕は思う。〝若気の至り〟という言葉で様々なことが許されるのは今だけだ。とことん恥ずかしい思い出を作って、それでいつか大人になった時、その話を肴に皆で盛り上がれればいい。
昼休みの食堂にて。文化祭に対しての僕の持論を並べると、京太郎は「めちゃ気合入ってんな、ヒデナリ」と答えて、学食の冷やしうどんをつるつるすすった。二人だけで食堂にいるのは、来る文化祭の熱に当てられた僕が他の友人から避けられているというわけではなく、彼らは皆、ダンジョーさんの少しでも近くに居たいがために教室でたむろしているからである。
「お祭り騒ぎは嫌いじゃないんだ。京太郎だってそうじゃないの?」
「ま、そうなんだけどな。でも、そう浮かれていられんのよ。お前だって、例の〝会〟の動きがヤベーってことは知ってるだろ? 色々忙しくなりそうなんだよ」
「そういうことなら僕も手伝うよ。僕だって無関係じゃないんだ」
「やらせらんねーよ。奥様に何言われると思ってんだ?」
「母さんは関係ないよ。友達って助け合うものじゃないの?」
「……わかった。まあ、なんかあったらコキ使ってやる」
「そうするべきだね」と僕が答えたその時、僕達の座っていた席の隣に柴田さんが腰掛けた。仏頂面で「どうも、お二方」と短く挨拶した彼女は、手に持っていたサンドイッチの包みをやや乱暴に開く。あからさまに不機嫌なのは、いつもよりも色気二割増しでダンジョーさんに挑んだのにも関わらず、あっさり返り討ちにあったからに違いないが、あえてそれを口に出すつもりは一切ない。
彼女は季節外れの苺のサンドイッチを手早く食べ終えると、途端にニコニコ笑顔になって、「お話があります」と僕達に告げる。
忍びの性か、ただならぬ気配をいち早く察知した京太郎は、媚びをたっぷり含まれた笑顔を浮かべ、赤べこのように頭を何度も上下に振った。
「みなまで言わんでください。わかりますよ、柴田さん。そりゃモチロン、色気か若さって言ったら断然色気ッス。キュートよりセクシー。ペタン娘よりボン、キュッ、ボン。スクール水着よりスリングショット。若けりゃ若いほどイイなんて世間じゃ言われてますけど、そんなのは間違い。今も昔も女性の魅力は――」
「そんなことは聞いていません。四王天、あなたは黙っていなさい」
無駄口が仇となり、鋭い殺気に刺される形となった京太郎は「ハイ」と短く答え、音を立てないようにうどんをすすり始める。冷たい表情でそれを一瞥した柴田さんは、再び顔を微笑みで武装し、「さて」と話を切り出した。
「秀成殿、文化祭まで残すところ二か月余りとなりました。あたし達のクラスは今日の六時間目を使って、文化祭で何をやるのか決める。そこまでは既にご存知ですね?」
「え、ええ。もちろん」
「あたしはそこで七組との合同による劇を進言したいと思っております。賛成して頂けますね?」
七組といえば織田さんの所属するクラスである。もしや、〝会〟の絡みで何かあったのだろうかと思い、それについてこっそり訊ねると、彼女はあっさり「そんなことはありません」と否定した。
「……ここだけの話、これはお屋形様のためなのです。お屋形様が、『どうしても文化祭で演劇をやりたい』と言うものですから、あたしも必死でして。こうして色々と手を打って、賛同者を集めているというわけなんですよ」
まさか織田さんがそんなかわいいわがままを言い出すとは、意外なこともあったものだ。そんな素敵なことは是非とも実現させなければなるまい。僕は、彼女が畳の上で手足をバタバタさせながら「劇をやりたいの!」と駄々をこねる姿を勝手に想像しつつ、「そういうことなら喜んで賛成させて頂きますよ」と答えた。
「よかった。それなら、不躾ですがもうひとつだけお願いが」
「僕に出来ることならば喜んで」
「そう言って頂けると信じていました」と笑う柴田さんの微笑みは、いつにも増して女狐的である。
☆
昼休み。屋上でひとり昼食を取っていた私の元へやってきた杏花は、開口一番「やりましたよ、お屋形様」と言って親指を立てた。何を〝やった〟のかと問えば、かねてより計画していた、文化祭とやらにおいて合同演劇を執り行うための根回しが完了したのだという。
「よくやった。……と言ってやりたいところだが、たかが演劇に向けての準備を共に行うだけのことが、私達をこれ以上引きつけ合うと思うか?」
「あら、既にアツアツラブラブ気取りですか。まだ秀成殿と手をつないだことすらないクセに」
「ちっ、違うッ! ただ……私達は共に命の危機すら超えた仲だ。よほどのことがない限り、今の関係性は動かないのではと考えてだな」
「そういったことであればご安心を」と杏花は胸を張る。
「文化祭というのはある種の魔法。カワイイ女子をより可愛く見せる素敵な時間。放課後、夕日に染まっていく教室。共に文化祭の準備を進める男女。普段はなかなか見ることのできないあのコの一面。……男は得てしてこういうのに弱いのです。お屋形様はいつも通りに振る舞えばよろしいのですよ」
言いたいことがいまいちわからなかったが、とにかくいつも通りにしていれば良いらしい。「お前を信じるからな」と言った私は杏花へ背を向け、屋上の金網に手を掛けた。
これはあくまで主観の話だが――私と秀成との距離は既にかなり近いところまで来ていると思われる。そんな私達の距離がさらに縮まるのだから、これはもうほとんど戦みたいなものである。
戦となればいくら〝なまくら〟でも武器は多いに越したことはない。となれば、たいして持ち合わせていない色気を出してみるべきだろうか。杏花のようにとまではいかずとも、もう少しばかりスカートの丈を短くしてみるべきなのだろうか。
眼下の中庭を見下ろしつつそんなことを本気で思案していると、ふとある人影が目についた。片方はこの学校の男子生徒。そしてもう片方は――遠目からでもわかる、あれはダンジョーだ。ふたりは仲睦まじく両手を繋ぎ、何やら話し込んでいるようである。まったく、相変わらず男に色目を使うのが上手い女だ。前世はきっと吉原の太夫に違いない。
やがて話は終わったらしく、ダンジョーは握っていた男の手を放す――と思いきや、あの女ときたら、まだ昼間だと言うのに男に抱き着いたではないか! 恥を知れ!
しばし男を抱きしめたダンジョーは、背中に回していた腕を体側に戻し、小さく頭を下げると、やがてその場を去っていった。男の方はといえば、固まったまま動かないでいる。余韻を楽しんでいるのか、それとも立ったまま気絶しているのか定かではないが、どちらにせようつけである。
「――お屋形様、頬が紅いように見えますが、どうかなさいました?」
「なんでもない」と言って平静を取り繕い、紅潮が治まるのを待っていると、杏花が「そうだ」と手を打って私の傍に近寄った。
「ひとつだけ、言い忘れていたことがありました」
「なんだ。言ってみろ」
「今回の演劇において、お屋形様には〝お姫様〟をやって頂きます」