答えは変わらないよね? その3
六時間目の授業が終わると同時に、ダンジョーさんは音も無く教室から姿を消した。彼女と共に甘い放課後を過ごしたいと思っていたのかは定かではないが、クラス中の男子生徒はそれを悔しがり、またその一部は涙を流して悲しんだ。
このままではダンジョーさんを求めた男子生徒が暴動を起こしかねないぞと危惧したが、帰りのHRの最中、「体験入学生は明日も来る予定だから」という説明が中村先生からあって事なきを得た。
ダンジョーさんにまた会えるということへの興奮冷めやらない教室の中、「しかしマジにやべーよな」と僕にこっそり呟いたのは京太郎だった。
「このままじゃ革命起きるんじゃねーの、てか、もう起きてるか。柴田さん王国崩壊。これからはダンジョー王国の時代、ってなカンジで、世代交代完了的な」
言われて僕は、人気女子生徒一位の座から引きずり降ろされた柴田さんを恐る恐る視界に映した。しかし彼女はどうしたことか、はしゃぎ続ける男子生徒を見つつ満面の笑みである。その笑顔は悔しい思いを隠しているというわけではなく、どうにも本心からの笑顔に見える。
きっと彼女にも、王座に座る者としてのプレッシャーがあったのだろう。そして、そこから自分を引きずり降ろす者が現れ、悔しい反面どこか清々しさすら感じているのだろう。
そんな風に柴田さんの思いを推し量っていると、ふと彼女と目が合った。僕が小さく会釈すると、彼女も笑顔のまま会釈を返してくる。王座への執着はもう無いと見えた。
京太郎は期末テストの点数があまりにも悪かったにも関わらず、〝洛中の会〟の一件により夏休みの補習に出られなかったせいで、居残りの補修授業を受けに行った。待ってあげても良かったが、教室に残った男子生徒からダンジョーさんについて根掘り葉掘り聞かれるのも困るので、早いところ学校を後にした。
改めて、ダンジョーさんはどうして、さらに言えばどのようにして体験入学生として学校へ来たのだろうか? 学校にいる間は結局、そのことについて聞く暇も無かった。まあ、家に帰れば彼女も戻っているだろうし、夕食の前にでも理由を訊ねればいいだろう。
駅までの道を歩いていると、ふいに誰かが僕の肩を叩いた。しかし、振り返っても誰もいない。気のせいだろうかと思い歩き出すと、一歩踏み出したところでまた誰かが僕の肩を叩く。どうやら気のせいではない。
今度は先ほどよりも素早く振り返ると、振り返った方とは逆の頬を細い人差し指が柔らかく刺した。視線の先に映る犯人はダンジョーさんである。黒い帽子を目深に被り、カラフルな眼鏡を掛けていたので、その恰好は何かと訊ねると、「変装です」との答えがあった。
「ほら、センパイたちに見つかったら色々面倒じゃないですか」と彼女はいたずらっぽく微笑んだ。自分が男子生徒を魅了してるんだという自覚があるところが、まさに小悪魔と呼ぶにふさわしい。
「お疲れ様、ダンジョーさん。どうしたの、こんなところで」
「お兄ちゃんを待ってたんですよ。一緒に帰ろうと思いまして」
それから僕はダンジョーさんと共に並んで家路を歩いた。道中、彼女は今日の学校での出来事について様々なことを語ってくれた。楽しそうなのは何よりだが、しかし気になることがある。何故、彼女は学校へ来たのかという疑問である。
周囲にクラスメイトはいないようだし、家まで待たずにここで聞いても特に問題ないだろうと思った僕は、その件について彼女に訊ねた。
「ねえ、ダンジョーさん。なんで君は今日、体験入学生だなんて言って学校に来たわけ?」
「乙女のヒミツじゃダメですか?」
「まあ、それじゃ全然わからないからね」
するとダンジョーさんは表情を暗くして、視線を下に向けた。何か事情があるということは一目でわかった。
「……それなら、〝言えない理由がある〟っていう答えだったら許してくれます?」
「……それだったら無理に聞けないよ」
「よかった」と言って歯を見せて笑ったダンジョーさんは、僕の手を掴んで引いた。
「だから好きですよ、お兄ちゃん」
〇
ダンジョーさんがこの辺りを見て回りたいと言い出したので、そうすることにして僕は彼女に地元を案内した。
駅の周りにある少し大きめのスーパーやチェーンのレストラン。昔ながらのたい焼き屋に焼き鳥屋。学校の生徒の行きつけとなっている古びたカラオケボックス。この街で唯一の目玉と呼んでいいシネマコンプレックス。そこまで開けた町でもないため、目新しいものは何一つ無いが、それでもダンジョーさんは楽しそうだった。
「忍びの世界は厳しくて、外に出る暇があれば修行、修行の毎日なんです。だからこうして自由に外を歩くのなんて初めてで、新鮮で……嬉しいんです」
つまり彼女も、筋金入りの〝箱入り娘〟だったというわけだ。織田さんは彼女となんとなく反りが合わないようではあるが、境遇も似ていることだし、時間を掛ければもしかしたら二人は無二の親友になれるかもしれない。そうすれば、彼女達の日常はもっと楽しいことになるだろう。
そんなことを考えて勝手に嬉しくなっていると、ダンジョーさんがふいに「あれはなんでしょうか」とある建物を指さした。見れば、彼女が指しているのはインド式の丸っこい屋根を備えた城である。『マハラジャ』という看板もある。
……現代日本の人通りの少ない通りにインド式の城が建っているわけがない。つまりあれは、仲睦まじき恋人たちが愛をはぐくむ大人の宿だ。子どもに興味を持たせてはいけないものなのに、あの手の建物は大抵子どもが興味を持つような造りになっている。なんとも迷惑なことか。
ふと思い出したのはその昔、あの城の正体を両親に聞いて困らせた時の記憶だ。あの時はたしか、「コウノトリの巣よ」と母に言われて納得した覚えがある。
成功者には倣うべし。僕は母の回答をそっくりそのまま引用することにした。
「あれはコウノトリの巣だよ。たくさん住んでるんだ」
「それってつまり、動物園っていうことですか?」
「いや、少し違うかな。あそこのコウノトリは仕事をしてるんだ」
「仕事ってなんですか?」
「赤ちゃんを運ぶんだ。仲がいい夫婦のところにね」
その時、僕の答えが間違っていたと確信したのは、〝巣〟を見るダンジョーさんの瞳がキラキラと輝いていたからだ。彼女は僕の腕をがっしり掴むと、〝巣〟に向かって歩み出した。
「行きましょう、お兄ちゃん! ボク、働くコウノトリを見てみたいです!」
「駄目だよ。コウノトリは忙しく働いてるんだから」
「それなら、外からちらっと覗くだけにしますから!」
「いや、彼らが働いてるのは上の方の階だし――」
「ご心配なく! 忍びですから! 壁なんて簡単に登っちゃいます!」
言い訳を重ねれば重ねるほど、どんどん追い詰められていく。しかし彼女に〝巣〟の真実を伝える勇気は無い。言葉では言い負かされてしまうと悟った僕は、「とにかく駄目だよ」とダンジョーさんに言って聞かせ、彼女の手を引いて力任せに〝巣〟から離そうとした。しかしさすが忍びというだけあってか、彼女もなかなか力が強く、軽く引っ張るだけでは動きそうにも無い。だが、これ以上力を込めて引っ張りでもして、もし泣かせてしまったらなおさら大変なことになる。
「どうしたものか」と悩む僕へ、「奇遇だな」と背後から声を掛ける人がいた。振り返ればそこにいたのは、織田さんと柴田さんの主従コンビに加え――嵐を呼ぶ〝交換留学生〟、木下晴海さんだった。
「久しぶりやね、秀成くん。元気にしとった?」
事がいっそう複雑になると、僕は静かに予感した。