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恋に焦がれて本能寺 ~織田信子の受難~  作者: シラサキケージロウ
第二部 一話 今何か言いかけたでしょ?
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今何か言いかけたでしょ? その4

 時刻はもう八時を回った。顔の熱さを涼風が誤魔化してくれる、良い時間だ。宵山を眺めながら街をゆらりと歩く私達の足は、祭りから徐々に遠ざかっている。祭囃子も背中にしか聞こえない。


 明日からは再び学校が始まる。ここらで帰るのが妥当だろうという話になり、私達は喜多院まで向かってそこで別れることになった。名残惜しいが仕方あるまい。夏休みにも祭りにも、終わりは等しく訪れる。


 時間をたっぷり使って歩いて、私達はやがて喜多院までやって来た。周りには人が見受けられない。皆、大通りの祭りを楽しんでいるものと思われる。ここまで来れば既に蝉の声が聞こえるばかりである。


 喜多院の本堂を遠目に眺めながら、秀成は言った。


「織田さん、今日はありがとうございました。充実した夏休み最終日でした」


「礼を言うのは私の方だ。祭りも、もちろん映画も、両方とも楽しめた。お前が助っ人で良かったぞ」


「それは何よりです」と秀成は微笑み、私は「うむ」とそれに応えた。


 その時のことである。


 何者かの雄叫びが本殿の方から聞こえてきた。高い、女の声だった。尋常ならざることが起きたということは即座に理解出来て、小刀を右手に構えた私は声の聞こえてきた方へと駆けだした。後ろから少し遅れて秀成もついてきた。


「何事でしょうか、織田さんっ!」


「わからん! しかし走れッ!」


 参道を駆けているうちに、再び雄叫びが聞こえてきた。それに混じって剣戟の音まで響いてくる。到底こんな場所で聞こえていい音ではない。


 本殿に近づくと、闇の中に四つばかりの人影が見えた。そのうち一つの小さな影は女――というよりも、あの華奢な身体つきは少女だろう。忍び装束に身を固め、両手には一本ずつ小太刀を構えており、視線を巡らせ周囲を牽制している。残り三つの大きな影は男。こちらは黒い背広を着込み、それに似つかわしくない長い刀を構えて少女を囲んでいる。どちらに与するべきかなど考えるまでも無かった。


「何をしているか、お前達ッ!」


 男達が刃の先端をこちらへ向ける。やる気か。ならば受けて立つ。私は小刀を鞘から引き抜き、身体の前で構える。


「第六天魔王の血を引く者、織田信子ッ! 命が惜しくばそこを退けッ!」


 私が名乗りを上げると同時に、男のひとりがこちらへ向かって走り込んできた。額に向けて真っ直ぐ突き出された刃をいなし、体勢が崩れたところへ刀の柄を使って喉元を殴る。えずきながらその場に倒れた男は、刀を手放しその場で転げ回った。


 男が落としたその刀を拾い、小刀に替えて構えていると、私の隣に並んだ秀成が、落ちていた鞘を拾って正眼に構えた。剣道をやっていたというだけあってなかなか堂に入った立ち姿であるが、それを感心している暇はない。


「戦えるか?」と訊ねると、秀成は「怖いです」と素直に答えた。


「ですが、織田さんが戦っていて、目の前に困っている人もいて、僕だけが何もやらないわけにはいきませんから」


 これでこそ私が認めた男だ。「よく言った」とひとまず褒めた私は、残る二人の敵を見据える。うち一人はあの少女が相手にしているため、残りは一人。数的有利はこちらにある。臆することは無い。


「合図と共に動け」と秀成へ指示を出し、刃を高く構えて男達との距離をじりじりと詰める。既にお互いまで二尺と無い。踏み込み、斬り合えば終わる距離だ。否応なしに緊張が高まる。


「……織田信子が何故ここにいる」と男が呟く。


「戯けたことを。川越は今や織田の庭。むしろお前達のような不届き者が何故ここにいる」


 月明かりに男の顔が照らされた。暑さのせいか、顔周りに汗が光っている。汗が雫となり、やがてそれが地に落ちたその時――。


「今ッ!」


 私が出した合図と共にこちらが先手を取って動く。


 振り下ろした刀が寸前のところで躱される。一歩前に出て返す刀を振り上げたが、それも同様である――と、私の身体は突如制御を失い、前に倒れそうになる。あまりに強く踏み込んだせいで鼻緒が切れたのだ。


 無論その隙が見逃されるわけもなく、男の刀が横一閃に私の胴を狙う。身体を捻ってよけようとしたが間に合わない。万事休す――が、その窮地を救ったのが秀成であった。


 秀成の繰り出した正確無比な小手が男の右手首を襲う。思わず刀を手放したところへ追撃の面。いくら木製といえど、防具無くあれを受けてただでは済まない。男はその場に膝を突き、やがて糸が切れたように崩れ落ちた。


 その一連の出来事を唖然と見ていた私が気を取り直したのは、秀成が私の肩を揺すり、「大丈夫ですか?!」と声を掛けてきたからである。「大事ない」と答えた私は秀成の手を振り払い、空を仰いで涼風を求めた。


 よもや、眼前の危機を忘れて見惚れていたとは言い出せまい。しかし、いつぞやの騎馬戦の時のように気を失わなかっただけ進歩していると言えよう。


 ふと見れば、少女の方も決着がついたらしく、戦っていた男の姿は既に消えている。振り返ると、気絶していたと思われていた男達の姿も無く、どうやら逃げられたようである。


 私は秀成と共に少女へ歩み寄り、「無事か」と訊ねる。が、少女は答えない。頭巾の隙間から見える大きな瞳をじっとこちらへ向けているばかりだ。今度は少し声を大きくして、もう一度「無事なのか」と訊ねると、少女は突然頭巾を脱ぎ捨て、その顔を月明かりの元に晒した。


 肩に届かない位置で切り揃えた髪は金色。しかし眼は黒いところを見るに、髪は染めているだけだろう。流石の〝くノ一〟と言うべきか、顔つきは惚れ惚れするほど整っているが、泥や砂埃でかなり汚れている上、目元のくまからは疲労の色が伺える。


 事情は分からないが、どこからか逃げ出してきたのだろうか――などと私が考えたその矢先、想像もしていなかったことが起きた。


 金髪のくノ一が、突然秀成を固く抱きしめたのである。


「素敵でした、お兄ちゃんっ!」


 一瞬の困惑の後、憤怒の炎が脳天から噴きあがったのは言うまでもない。





「とっ、突然何をしているか、お前はッ!」


 ひどく慌てた織田さんは僕と謎の少女の間に割って入った。「いいじゃないですかー」という少女の声には聴く耳持たず、刀まで構えるほどである。確かに彼女がいかにも怪しいということはわかるが、しかし刃を向けるまででもないだろう。僕は織田さんを「まずは話を聞きましょう」となんとかなだめようとした。


「な、何故落ち着いていられるのだ秀成は!」


「人が焦っているところを見ると、不思議と落ち着いてしまう性分でして」


「わ、私が焦っていると言うかッ!」


「はい、どう見ても焦っておられます。落ち着きましょう。あの子はきっと敵じゃありません」


 そうやって僕が織田さんを説得している様を、少女は嬉しそうな笑顔で眺めている。まったく困った子どもだ。


 結局、織田さんは刀を手放すことを約束したものの、少女が僕に2m以上接近することを禁じた。そこまでする必要もないだろうと思われたが、とりあえずは話を進めることが先である。僕を背中に隠そうとする織田さんの背後から、少女に向かって「君は何者なのかな」と訊ねた。


「不本意ながら助けられちゃったんで、お話してもいいですケドー、ちょっと遠いかなって思いません? ボクとしては、お兄ちゃんにもうちょっと近づきたいかなって」


「充分すぎる距離だ」と織田さんは少女の提案を斬り伏せた。息を吐きながら「わかりました」と呟いた少女は、悪戯な笑みを浮かべながら話を切り出す。


「ボクはダンジョー。木下家に仕える忍びです。以後、お見知りおきを」


 つい数か月前の僕なら、「忍びなんて言ってからかっちゃいけないよ」と言っているところだが、今ならばさほど驚きもしない。〝木下家〟なんて馴染みの名前が出てきたらなおさらだ。


「よろしく、ダンジョーさん。僕は田中秀成っていうんだ。それで、君はなんであんな風に襲われて――」


「コールミー、ダンジョーちゃん。オーケー?」


 なかなか面倒な子のようである。「ダンジョーちゃん」と言い直した僕は、話の続きを促す。すると彼女はふと神妙な顔つきになり、静かに語り始めた。


「ボクは主の命を受け、〝洛中の会〟の九条の行方を追っていました。あの男達は〝会〟の手の者です。手掛かりを探っていたら、あと一歩のところで奴らに見つかり、捕らえられ……」


「そして、命からがら逃げだしたというわけか」と織田さんが言うと、ダンジョーさんは「その通りです」と悔しそうに答えた。


「しかし、木下家もよほど人材に困っているようにみえる。よもや、お前のような子供までくノ一に使うとは」


「人材不足というわけではありません。可憐な少女にしか出来ない仕事だってあるというだけのことです」


 自分で〝可憐な〟と付け加える辺りが、木下さんの家の従者らしい。「類は友を呼ぶ」なんて言葉を奥歯で噛みしめていると、ダンジョーさんがおもむろに頭を下げ、「お願いがあります」と切り出した。


「聞いてやる」


「あともう少しで九条の居場所がわかりそうなんです。しかし、あいにくボクには宿も路銀も無い。ほんの数日で構わないんです。ボクをアナタの御家に泊めて頂けないでしょうか」


 一も二も無く「断る」と両断した辺り、さすがの織田さんである。しかしダンジョーさんはめげずに頭を下げ続けている。耐え忍ぶ者と書いて忍者とはよく言ったものだ。


「ダンジョーとやら、聞こえなかったか? 断ると言ったはずだが」


「聞こえていますよ、信子様。ですが、アナタが言うべきことではないはずです」


 ダンジョーさんは少しだけ頭を上げ、僕に向かって微笑みかけた。


「ボクは、お兄ちゃんに頼んでいるんですから」


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