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恋に焦がれて本能寺 ~織田信子の受難~  作者: シラサキケージロウ
第二部 一話 今何か言いかけたでしょ?
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今何か言いかけたでしょ? その3

 慌てて近くの厠へ逃げ込んだ私は、鏡に自分の顔を映した。額から耳まで真っ赤な顔はまるで達磨だ。私は幾度と冷水を顔に打ち付け、自らの心を少しでも落ち着けようと深呼吸を繰り返す。


 共に祭りへ行かないか、だと? まさか、秀成が自ら助っ人を買って出るとは思わなかった。あの男は一体何を考えているのだ。


 しかし落ち着け信子。考えれば、これは間違いなく千載一遇の機会。爺は城の清掃中だし、晴海は京都にいるという。となれば邪魔が入ることはまずない。ならば秀成から仕掛けてきたこの戦、こちらへ有利。……いや、戦ではない。これは決して戦ではないが、しかし戦だ。いや戦じゃない。


 何を考えているのか自分でもわけがわからなくなってきた。「落ち着け」「冷静に」と何度も自分に言い聞かせていると、内なる信子がひょっこり顔を出し、「いいではないか」したり顔で語り掛けてきた。



 ――混乱錯乱大いに結構。むしろその方がかわいげがあって大変よろしい。お前は下手に考えると駄目になる。この数か月でそれは既に自明の理である。これ以上、火薬の詰まった茶器を抱えて自爆するのを繰り返したくはなかろう。計算なんて要らぬ。どんと行け。そして今日の祭りを見事乗り切り、花火なり眺めながら秀成へ戦を申し込んでみせよ。



「なるほど」と納得しかける私の後ろ髪を、もう一人の内なる信子が強く引く。



 ――このうつけめが。計算も無しにそんな上手く事が運ぶわけが無かろう。考えてみろ、信長公は無策で桶狭間に、あるいは長篠の戦いに挑んだか? 違うだろう。金ヶ崎の戦いの例の通り、物事は策をもってしても思い通りに動かぬもの。ならば、策を持たずに動くのは蛮勇を通り越した愚行である。良いか、信子。周到な準備、それのみが勝利を招くのだ。



 こちらもなかなか「一理ある」と頷かせるだけの意見だ。どちらにすべきかと迷っていると、信子同士が「また出てきたなこのうつけが」「うつけにうつけと呼ばれたくないわ」などと程度の低い喧嘩を始める。「止めよ!」と私が割って入ると、「そもそもお前がはっきりせんのが悪いのだ」などと斬りつけてくるから質が悪い。


「策を立てよ」「無理を言うな」「まずは落ち着け」と、血を血で洗う脳内清須会議がしばし続いたところ、「おやおや」という声が背後から聞こえてきて、途端に私を現実に引き戻した。


 咄嗟に振り返れば、そこにいたのは杏花である。あまりに派手な恰好をしているので、何故ここにいるのかということより先にそれは何かと訊ねると、「カウガールです♡」という訳の分からぬ単語が返ってきた。脚はもちろん腹回りまでほとんど丸出しで、いつものことだがあれではまるで遊女同然だ。


「しかしどうされたんです? 鏡の前でぶつぶつと独り言を呟いて」


「大したことではない。……それよりも、何故お前がここにいる?」


「先ほど言ったではないですか。これが〝使命〟だと。貴女を助けるためだけに、わざわざ衆目が集まるこの街でこのような変装までしてやって来たんですから」


「その恰好は趣味だろう」という私の意見を受け流しつつ、杏花はその手に持つ紙袋を手渡してくる。


「これはなんだ」と訊ねれば、杏花は女狐顔で「なんだと思います?」と逆に問いかけてくる。


「どうせロクなものではないのだろう」


「いえいえ、そのようなことは決して。むしろ、お屋形様がまさに今ご必要としているものですから」


「だから、なんだというのだ」


「火縄銃、あるいは巨大投石器。はたまた多銃身回転式機関砲。……いずれにせよこれは、夏のおなごにとっての〝決戦兵器〟に間違いありません。これさえ着ればきっとあなたも最強モテカワ。瀟洒でキュートな紫さんトコの式部系レディーになりますよ♡」


 言っていることの半分も意味がわからなかったが、ロクなことを言っていないのはまず間違いない。





「しばし待て」と言い残し、慌ててどこかへ消えていった織田さんを待っていると、十五分ほどしてから彼女が戻ってきた。しかしどうしたことか、先ほどまでのワンピース姿から一転、彼女は藤の花の刺繍があしらわれている白を基調とした浴衣姿に着替えているではないか。足元を見れば紫の鼻緒が可愛らしい下駄。女の子らしい恰好をしていても、帯にはきっちり小刀を差して、武士らしさを失わないのが彼女らしい。



 しかし、いつ、どうやって、どんな目的でそのような恰好を?


 様々な疑問が浮かんでは消える。ひとつだけわかっているのは、彼女の浴衣姿が大変お似合いだということばかりである。


「……どうしたんですか織田さん、その恰好は」


「どうしたも何も、着替えてきた。見ればわかるだろう」


「ですが、そんなものは持っていないように見えましたし……それに、先ほどまで着ていた服は――」


「細かいことは気にするな。……それよりも、言うことはそれだけか?」


 言われて僕は、慌てて「お似合いですよ」と言ったが、それだけでは全然足りないと思い直し、そこへ「とても」と付け加えた。


「……はじめからそう言え。このうつけ」


 織田さんは少し不服そうに浴衣の袖をきゅっと掴んだ。


〝いつ〟と〝どうやって〟という疑問は放り投げ、どんな目的で浴衣姿になったのかということを織田さんに訊ねると、「祭りに行くのだから当たり前だろう」という答えが返ってきた。こうなると、「ですよね」としか返せない。


 気になることは多々あるが、しかしこの際もう関係ない。浴衣を着ている女性が隣にいるのだから、これで祭りに参加しなければ嘘である。「それでは参りましょうか」と言った僕は、彼女の浴衣の袖を小さく引いた。


 池袋を出た僕達は、電車に乗って川越まで向かった。川越の駅を出て商店街を歩いて行くと、祭りの景色は既にそこまで広がっていた。左右に並ぶ店の軒先には提灯が吊り下げられており、あちこちに屋台も出ている。道行く人には浴衣姿の人も多い。蝉の声に混じって遠くから祭囃子が聞こえてくる。甘ったるい砂糖の匂いや焦げたソースの香りを受けて、すっかり祭りの空気に酔った僕は、つい屋台で売っていた狐の面を購入してしまった。面を被った僕を見た織田さんは、困ったように、それでいて楽しそうに笑った。


「男子高校生は得てしてバカなことをする生き物なのです。お許しを」


「いいだろう。なにせ今日は夏祭り。馬でも鹿でも無礼講だ」


 様々な屋台を眺めながらしばらく過ごしていると、少し離れたところから太鼓を叩く音に合わせて奏でられる笛の音が聞こえてきた。僕達の足はその音に誘われるかのように、自然とそちらへ向かっていた。


 商店街を抜け、大正浪漫夢通りを歩いて行くと、蔵造の家々が立ち並ぶ通りに出る。今日は交通規制が敷かれているために車は通っていないものの、行き交う人はいつもよりもずっと多い。ぼんやりしていると人ごみに流され、はぐれてしまいそうだ。


 僕の両肩を電車ごっこの要領でぐっと掴んだ織田さんは、「これで平気だろう」と得意げに言う。確かにこれならば決してはぐれはしないだろうが、しかし彼女の浴衣姿が見られないのが残念でならなかった。


「見ろ、秀成。山車が出ている」


 織田さんが指さす方向を見れば、人垣の向こうに大きな山車がゆっくりと進行しているのが見える。祭囃子もあそこで演奏されているらしい。僕達は人ごみの合間を縫って進んで山車を追い抜き、振り返って眺めてみた。


 金の細工で飾られた見事な山車には、〝幸町〟と書かれた提灯がぶら下がっている。囃子台では太鼓や笛の演奏者の他に、ひょっとこの面を被った人が乗っている。手拭いを持ってひょいひょいと踊るその人に向かって試しに手を振ってみると、ひょうきんに小首を傾げながら手を振り返してくれた。ちょっとしたテーマパーク気分である。


 自分ばかりが楽しんでいるのではと思い、「楽しいですか?」と訊ねてみると、織田さんは「楽しいぞ」と言いながら僕の肩を揺らした。


 山車をのんびりと見た後は、あちこち街を歩き回って屋台を巡った。薄いステーキも、割高な胡瓜の一本漬けも、タコの小さなたこ焼きも、固いリンゴ飴も、祭りというだけでやけに美味しく感じるから不思議である。


 休憩のため路傍に設けられた縁台に腰掛け、僕達は屋台で買ったサイダーを飲んだ。あれだけ高かった太陽もすっかり落ちて、雑踏の間を昼間よりも幾分か涼しげな風が通り抜けている。それでもまだ蒸し暑いのは、気温のせいというのもあるが、日が落ちると共に山車を飾る提灯が灯され、その赤い光が蔵造の通りを包んでいるからであろう。


「あれを間近で見たいと、ずっと思っていた」と織田さんは光り輝く山車を指さした。暖色の光を受けて夜の中にはっきりと見える彼女の横顔には、無邪気な笑顔が浮かんでいる。いつもの凛とした表情との高低差は、少し目眩がするほどである。


「想像通り。素晴らしいものだな」


「織田さんは近所に住んでいらっしゃるのに、川越の祭りに参加したことはなかったのですか?」


「文字通りの〝箱入り娘〟だ。城からはほとんど出たことが無かった」


「柴田さんでしたら、外へ連れ出してくれそうなものですがね」


「その通り。杏花は私を外へ連れ出してくれようとした。そして、その度に爺に連れ戻された。今となってはいい思い出だ」


「向いている方向は違えど、おふたりとも織田さんを大事に思ってくれていたんですね」


「……そうだな。その通りだ」


 感慨深げに言った織田さんはふと空を見上げる。


「……感謝せねばならんな。あのふたりにも、そして秀成にも」


「感謝するのは僕の方です。織田さんのおかげで、僕は毎日を飽きずに楽しく過ごせているんですから」


「そうか」と呟き俯いた織田さんは、しばし間を置いた後、こちらに顔を向け口元に僅かな笑みを浮かべた。


「それなら、感謝することを許してやる」


「ありがたい限りです、〝お屋形様〟」と頭を下げると、織田さんは恥ずかしそうに「うつけ」と呟き、優しい手刀で僕の頭を叩いた。


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