今何か言いかけたでしょ? その2
とうとう京太郎の言っていた〝助っ人〟の正体がわからないまま明日になり、そして僕は待ち合わせ場所に指定された池袋駅の〝いけふくろう〟前まで来ている。時刻は既に九時を十分ほど過ぎているが、僕のことを探している人が現れる気配は無い。しかし、京太郎がわざわざ僕をからかうためだけにこんなことをしたとは思えない。
とりあえずはもう少し待ってみようと考え、いけふくろうの隣でじっと立っていると、向こうから人ごみに紛れて見覚えのある顔が近づいてくる。よく見れば、なんと織田さんである。
まさかとは思うが、彼女が京太郎の言っていた助っ人なのだろうか?
いや、それはあり得ない。彼女は今日、柴田さんと共に川越の祭りに行くはずである。となると、柴田さんとここで待ち合わせなのだろう。川越の祭りに行くのにわざわざ池袋まで来るのが不思議だが、きっと理由があるに違いない。
今日の織田さんはフリルのあしらわれたチェック柄のワンピース姿である。長い髪の隙間から肩を見えるようにしているのは、きっと柴田さんのアドバイスなのだろう。
彼女は辺りをきょろきょろと見回しながら歩いているせいで、まだ僕の存在に気づいていないようだ。少し驚かせてみるのも面白いかもしれないなんて、唐突に芽吹いた悪戯心に身を任せ、そっと彼女の背後へ歩み寄り、目一杯低い声で「どうも」と声を掛けてみると、彼女は振り返ると共に腰の刀を引き抜いて高々と構えた。辺りからにわかに悲鳴が上がり、人波がさっと引く。
「しっ、痴れ者がッ!」
驚いてその場に尻もちを突いた僕は、慌てて「すいません!」と必死に謝る。すると織田さんは目の前の男が僕であることに気づいてくれたようで、頬を赤らめながら引き抜いた刀をゆっくりと鞘に納めた。
「ひ、秀成か。驚かせるな」
「申し訳ありません。つい出来心で……」
「まあ許してやる」と寛容な心を見せてくれた織田さんは、長い髪を撫でつけつつ「それで」と続ける。
「ところでお前は何故ここにいる。今日は確か、あの忍びと映画を観に行くとか言っていただろう」
「それが、京太郎が突然体調を崩しましてね。それで、余ったチケットを共に消化するための助っ人が来るのを待っているのです」
「それは奇遇だな。実は、杏花が急な都合で祭りに来られなくなってな。私も助っ人とやらが来るのを待っている」
二人そろって助っ人の到着待ちとは、なんたる偶然だろうか。僕が「それでは一緒に待ちましょうか」と織田さんに提案すると、彼女は「うむ」と頷いた。
それから僕達はいけふくろうに寄り添い、二人で並んで助っ人の到着を待った。しかし十分が経ち、二十分が経っても、どちらの待ち人も現れない。京太郎に「誰も来ないけど」と連絡したが返事はない。「待ち人未だ来ず」というのは織田さんも同じで、スマホで柴田さんへ連絡を試みているようである――と思いきや、彼女は指紋認証に苦労して未だロック画面から先へ進んでいない。どうやら、夏休み中に購入したスマホの扱いにはまだまだ慣れていないようだ。
「よろしければお手伝いしましょうか」
「いや、その気持ちはありがたいが手を出すな。秀成に頼ってばかりではいかんからな」
織田さんのスマホが鳴りだしたのはその時のことだった。誰かから電話がきたようである。心を落ち着けるように深呼吸した彼女は、震える指先を液晶に滑らせた。
☆
電話は杏花から掛かってきたものだった。捜査を誤り電話を取れずに切ってしまったことも一度や二度ではないため、慎重に〝すまほ〟の画面に触れて通話を繋げると、『何をやっているのです』という杏花の声が受話口から聞こえてきた。
「それはこちらの台詞だ。杏花の言っていた助っ人とやら、まだ来ないぞ」
すると杏花はしばし絶句した後、自らの呆れを主張するかの如く深くため息した。
「なんだ。何か文句でもあるか?」
『……お屋形様。いくら貴女が鈍感系といえど、それはちょっとわざとっぽいですよ?』
「何を言いたいのかわからんぞ。とりあえず、御託は良いから助っ人とやらを――」
『秀成殿ですよ、今日の助っ人。そこまでされてわからないのですか?』
今度は私が絶句した。
この女は何を言っている? 秀成は映画を共に観に行く助っ人を待っている。しかし私がこれより行くのは川越の祭り。互いの行く先は当然の如く違う。ならば道理が通らないではないか。そもそも、自分が助っ人だというのならば、秀成は何故それを隠している?
秀成を横目に見れば、何やら奴も誰かと電話している最中である。やはり、助っ人な訳がない。「ふざけたことを抜かすな」と私が声を押し殺して言うと、杏花は『ふざけているわけがありますか』と真面目な口調で言う。電話の向こうでは、きっと胸を張っていることだろう。
「だったら何故、秀成は自分が助っ人だと名乗らんのだ?」
『それはもちろん、秀成殿は自らが助っ人であると知らないからに決まっております』
「知らんわけがあるかッ! うつけもたいがいにしろ!」
『知らないのも無理ありませんよ。だって、今日のそれはあたしと四王天による策略ですから。くっつきそうでそうもいかない主の背中をそっと押すのは、従者としての最低限の勤めでしょう?』
瞬間、理解の血が身体中に駆け巡る。つまり、この女が昨夜あれだけ大げさに語っていた〝使命〟とやらは――。
嵌められたと私が確信すると共に、『ご名答~♡』という嬉しそうな杏花の声が聞こえてくる。
『というわけで、存分に〝初陣〟を楽しんできてくださいね♡』
「だから――これは戦ではないッ!」
〇
僕に掛かってきた電話は京太郎からのものだった。曰く、「助っ人に頼んでたヤツも風邪で倒れた」とのことらしい。となれば、いつまで待っても僕は池袋にひとりである。
チケットが無駄になるのは惜しいが、せっかくの夏休み最終日に独りで映画を観るというのもなんだか味気ない。かと言って、ここまで来て帰るというのもなんとなくもったいない気がする。映画の上映時刻までは残り一時間と無いので、これから誰かを誘おうにも無理な話だ。
「さてどうしようか」と腕を組んで思案していると、織田さんが「戦ではないッ!」とスマホに向かって叫んだ。よくわからないが、彼女の方も何か問題が起きたらしい。
電話を終えた織田さんは、頬を赤く染めて肩で息をしながらスマホの画面をじっと睨んでいる。「どうされましたか?」と声を掛けると、「なんでもない」と織田さんは答えて視線を上に向けた。
「ただ、助っ人とやらが来られなくなっただけだ」
「それは都合がいい。実は、僕の方の助っ人も都合がつかなくなりましてね。織田さんがお気に召すかはわかりませんが、ご一緒に映画でもいかがでしょう?」
僕の提案を受けた織田さんは「うぇ」と妙な声を上げて明後日の方を向く。そんなに嫌だったのかなと僕は少し気を落としつつ「ご迷惑ならば」と言いかけたが、「構わん」という彼女の言葉がそれを遮った。
「私とて、このまま暇を持て余したくはない。映画を共に観に行ってやるのも、やぶさかではないぞ」
そうと決まれば話は早い。僕は「ならば是非ともお願いします」と織田さんに頭を下げた。彼女は「うむ」と頷いた。
それから僕達は駅を出て、映画館まで共に歩いた。まだ十時にもなってないためか、喧噪の街の池袋といえどそこまで人は多くない。
道中、僕は織田さんにこれから観る映画について説明したのだが、どうやら彼女は恐竜という生物について知識も興味もないらしく、僕がスクリーン上に蘇るリアルなティラノサウルスについてどれだけ熱く語ったところで無駄だった。
「つまり、太古を生きた怪物どもが跋扈する島を生き抜く話だろう」と織田さんがジュラシックワールドを一口でまとめ、僕は「まあ」と歯切れ悪く答えた。男のロマンは女性の前だと得てして一刀のもとに斬り伏せられるものである。
劇場に入ってチケットを発券し、上映が始まるまでの時間をベンチに座りながらキャラメルポップコーンを食べて過ごす。織田さんはこれを大変気に入ったらしく、「悪くないな」と何でもない風を装いながらも食べる手を休めることはなかった。
「そういえば、織田さんと初めて一緒に遊んだ時も映画を観にきましたね」
「ああ、時が過ぎるのは早いものだ」
「ええ。こうなるときっと、一年なんてあっという間です」
「そうだな」と返した織田さんはポップコーンへと伸ばした手をふと引っ込める。何かと思えば、カップは既に空である。僕は「もうひとつ買ってきましょうか」と提案して席を立ち、織田さんは「すまん」と言って頬を赤らめ俯いた。
〇
映画は一時になる少し前に終了した。上映前まで僕が抱いていた、「はたして織田さんはジュラシックワールドを楽しめるのだろうか?」という懸念は杞憂だったようで、映画が始まってみれば織田さんは、スクリーン狭しと暴れ回る恐竜を観るたび「おぉ」とか「うぅむ」とか感嘆の声を頻りに上げていた。上映終了後にはシアターの外にある土産物屋も熱心に眺め、さんざん迷った挙句にトリケラトプスのキーホルダーを買っていたのには、危うく吹き出しそうになった。
いまの彼女をからかえば、きっと楽しいことになるのだろうなと思ったが、正午を過ぎた池袋は既に人が多い。人ごみの中で刀を振り回されれば大変なことになるのは目に見えているので、僕はポップコーンのカップと共に悪戯心をゴミ箱へ捨てた。
織田さんのおかげで僕は映画を楽しめた。ならば、次はこちらの番である。自分ばかりが楽しんでいるわけにもいかない。
僕は織田さんに「これから何かご予定はあるのでしょうか?」と訊ねる。
「特に決めてはいない。何も無ければ城に帰るつもりだ」
「それなら、もし許していただけるなら僕が〝助っ人〟になってよろしいですか?」
「助っ人?」と不思議そうに言う織田さんは、トリケラトプスに注がれていた視線をこちらに向ける。
「ええ。来られなくなったと、先ほど仰っていたではありませんか」
僕は織田さんに向けて深く頭を下げた。
「よろしければ僕に、お祭りをご一緒させていただけないでしょうか」