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恋に焦がれて本能寺 ~織田信子の受難~  作者: シラサキケージロウ
第一部 二話 国盗りは忘れて
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国盗りは忘れて その1

 爺と杏花を下がらせた私は、真っ暗にした部屋で独り、ぼんやり虚空を眺めていた。


 いったいどれだけそうしていたのかは自分でもわからない。荒れ果てた戦場を前にして唖然と立ち尽くす古参兵のように、埋めようのない虚無感を抱えたまま、私は自らの心音だけをじっと聞いている。


 明智所縁の者と織田の家の者が相容れるわけがない。ならば、私と秀成が離れねばならぬのも必然。


 ……それでいい。むしろ、これがいい。これでよかったのだ。爺のおかげで一時の気の迷いに惑わされずに済んだ。私は織田家当主となる者。凛として、気高い存在でなければならぬ。


「これでよかった」と口に出し、何度も自分に言い聞かせ、いよいよ「くふふ」と自嘲的な笑いが込み上げてきたところで、襖の向こうから「お屋形様」という杏花の声が聞こえてきた。


「入ってもよろしいでしょうか?」


 いつもならば何も言わずに入ってくるというのに、今日はやけに殊勝だ。「構わん」と答えると、杏花はするりと部屋に入ってきて、眉間にしわを寄せた表情で私を見た。


「お屋形様、よもや爺の言うことを真に受けたわけではないでしょうね?」


「真に受けたわけではない。ただ、目が覚めただけだ。爺の言うことは正しい。織田の者と明智の者が、相容れるわけがない」


「……あら、そうですか」


 そう言うと杏花は、「ならば結構」とこちらに背中を向け、あっさり引き下がる構えを見せる。しかしゆめゆめ油断はするな。これはいわゆる釣り野伏。追えばこの女が仕掛ける舌戦に引きずりこまれる羽目になる。


 そこまでわかっているのにも関わらず、私は杏花の「お屋形様はつまり、織田の当主となるのを諦める、ということですね?」という挑発的な問いかけに、「なんだと?」と反応してしまった。つくづく自分が嫌になる。


「ほら喰いついた」と言わんばかりに笑顔になった杏花は、深く息を吸い込むと、疾風怒濤の勢いで私を責め立てた。


「あら、だってそうじゃありませんか。お屋形様は家訓により、〝普通の高校生〟として過ごさねばならぬ身。普通の高校生が織田だ明智だと気にしますか? ええ、気にしませんとも。気にするわけがありませんとも。普通の高校生であるのなら、織田、明智と聞いたところで、『へぇ~、なんか昔ぃ、イロイロあったんだよねぇ~。ま、いいんじゃん? 結構前の話だし。ウチらにカンケーないっしょ☆』くらいさらりと済ませるものなのです。ああ、美しきかなさとり世代! ……さて話は脱線しましたが、ともあれ、今の貴女は〝普通の高校生であらねばならない身〟。明智だなんだと言っていたら、当主への道は絶たれますが? それでもよろしいので?」


「き、詭弁ではないか!」


「ええ! 詭弁ですとも! こういうことは大の得意なのです!」


 なんという女か。私は杏花の背後に、9本の狐尾が揺らいでいるのが見える気がした。


「さあどうです」と杏花は私に迫ってくる。「いやしかし」とまごまごするうちに、私は壁際へと追いつめられる。それでも私が答えあぐねていると、杏花はふいに私を抱きしめた。暖かく、そして懐かしい香りがする。思えば私は、この匂いと柔らかさに包まれながらでないと、幼いころは眠れなかった。


 懐古の情が鼻の奥を湿っぽくしたところで、杏花は私の耳元で呟いた。


「……あなたの好きにすればいいのです、信子。あなたは織田家の跡取りである前に、女の子なんですから」





 翌朝。目を覚ました私を待っていたのは、これまでに感じたことのない開放感と、得も言われぬ爽快感だった。


 両親を失ったその日から、私はずっと織田の女だった。寝ても醒めても頭に浮かぶは織田の木瓜紋。この家を存続させるのが私の存在理由で、それ以外は何もないと思っていた。


 しかし今ばかりは違う。これより3年間、私は普通の高校生でなければならないのだ。普通の高校生は家の存続など頭にはない。無論、明智云々など考えなくとも良い。否、考えてはならぬ。何故なら普通の高校生なのだから!


 今は昔の遙か彼方、戦国の世から私を縛り付けていた古錆びた鎖は断ち切れた。今日をもって織田信子、武士を卒業するだんす!


 普通の高校生というものがよくわからなくて、とりあえずは「だんす!」などと馴染みのない花魁言葉をいい加減に使ってみたが、なんだか違う気がして恥ずかしくなった。一応周りを見回して、杏花がいないか確かめてみると、人影は見当たらなくてほっとした。


「まあ普通というのはおいおい学んでいけばよい」と自らを納得させた私は、とりあえず朝の支度を早々に済ませた。時刻を見ればまだ5時を回ったばかりである。


 朝食がまだだが、もう城を出てしまうのもやぶさかではない。夕べあのようなことがあったばかりで、爺に顔を合わせるのがやや気まずいということもあるし、朝の涼しい風を受けながら、学校までの道を黒兎と共にのんびり行くのも悪くない。……ついでに、もしかしたら秀成に会えるかもしらん。特に他意は無いが。昨日観た映画への不満がまだ言い足りないだけだが。


 そうと決めてから私の行動は早かった。うつけ、派手好き、即断即決即行動は織田家の血筋だ。こればかりは抗えない。


 朝の支度をする侍女達に見つからぬように家を出て、黒兎と共に出発する。馬に乗る女子高生がそんなに珍しいのか、道行く者の視線が私に集まるのを感じる。しかし構わぬ。好奇の視線に晒されるのは昨日ですっかり慣れている。


 僅かに明るくなってきた街に、良き一日の始まりを予感させる雀の声が聞こえる。私と黒兎の隣を時折、無礼にも車が抜き去っていく。しかし許そう、私は普通の高校生なのだから!


 学校に着いたのは7時前。校門は開いているが、私以外の生徒の姿は見えない。そこで私はふと考えた。ここで秀成を待ってはどうか、と。


 別に、ここに来るまでの道中、奴と会えなかったのが寂しいわけではない。話すべきことがあるわけでもない。ただなんとなく、奴の顔を見なければ、今日一日そわそわして何も手につかなくなるような気がするのだ。一日を棒に振るのは良いこととは言えぬ。ならば、多少ここで時間を使ったとしても是非とも秀成に会っておくべきだ。


 黒兎を帰らせた私は、校門付近の植え込みに身を隠し、秀成が来るのをじっと待ち構えた。こうして息を潜めて隠れていると、どうしても敵が来るのを待つ伏兵の気持ちになってよろしくない。駄目なこととはわかっていても、戦国の血には逆らえず、腰の刀へ手が伸びる。


 まだか、まだかと待ち続け早1時間余り。7時を二刻半ほど過ぎた辺りで――来た。あの頼りなさそうな細い影は間違いなく秀成だ。


 植え込みから出ると同時に、私の身体は本能的に刀を引き抜いてしまう。「馬鹿なことをして!」と私の理性は叫んだが、こうなれば後は自棄だ。呑気に歩いてきた秀成の前に刀を構えて躍り出た私は、「覚悟ッ!」と叫んだ。周囲から一気に人が退いていき、想定外にも事態は一騎打ちの様相を呈してきた。


 ところが私の姿を見た奴ときたら、驚くかと思いきや優しげに笑い、「おはようございます」と折り目正しく朝の挨拶という名の不意打ちを仕掛けてくる。得意の松尾芭蕉はどうした! まともに対応されてはこっちが恥ずかしくなるではないか!


 私はなんだかいたたまれない気持ちになりながらも、刀を鞘に納め、「うむ」と深く頷いた。


「いい朝だ」


「それにしても織田さん、刀なんて構えてどうしたんですか?」


「……いや、なんなのだろうな。自分でもわからん。本能的なものやもしれんな」


「なるほど。本能ですか」


「うむ。本能だ」


 なんとかその場を誤魔化した私は、秀成と共に教室まで向かった。ついて行った先が自分の教室でないと気づくのは、教室の手前まで来た時のことだった。


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