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恋に焦がれて本能寺 ~織田信子の受難~  作者: シラサキケージロウ
第一部 七話 武士 イン•ザ•スカイ
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武士 イン・ザ・スカイ その6

 僕達の前を遮るものは何もない。無人の廊下をただひたすらに進み続け、気づけば最下層、廊下の一番奥にある扉の前まで辿り着いた。両開きの大きな黒い扉は固く閉ざされたままで、押しても引いてもびくともしない。柴田さんならば両断できそうだが、僕達ではそうはいかない。


「無理やりにでもこじ開けるぞ」という織田さんの提案に従い、ふたり揃って助走をつけて扉を目がけて体当たりすると、思っていたよりあっさり扉が開き、勢い余った僕達は転がりながら部屋の中へ入る形となった。


 目を回しているうちに背後の扉が音もたてずに閉まっていく。慌てて立ち上がったがもう遅く、扉は既に閉まった後であった。


 赤い絨毯が敷かれた廊下から一転、そこは純和風といった趣で、床には畳が敷かれている。左右にあるのは墨で龍が描かれた襖である。試しに襖を開けてみるとその先には木製の壁があるばかりで、どこに繋がっているわけでもないらしい。縦に長く、部屋というよりも廊下のような場所で、正面に進んだ先には色鮮やかな虎が描かれた屏風がある。


 虎の屏風を避けて通れば、広い座敷に繋がっていた。一段上がったところに敷いた赤い座布団に腰掛けて、朱色の盃を機嫌良さそうに傾ける人物は、紛れもなく洛中の会の九条老人である。彼の隣に横たわっているのは木下さんだ。


 九条老人は部屋に入ってきた僕達を見るとにこりと笑った。その笑いからは〝笑み〟という行為の持つ一般的な意味を感じることは出来なかった。


「よくぞ来てくれたな、二人とも。駆けつけ一杯、酒でも呑むか?」


「悪いが歓迎を受けるつもりはない」と返しながら、織田さんは日本刀を鞘から引き抜く。


「晴海は無事だろうな、九条」


「もちろん。あまりにもやかましかったから薬で眠らせてはいるがな」


「なら話は早い。晴海を返して貰おうか。上で友を待たせているのでな。早く終わりにしたいんだ」


「そんなに急ぐことも無かろうに」とぼやきながら、九条老人は重そうに腰を上げる。何か武器を出すのかと思いきや、そういうわけでもないらしく、彼は両手を挙げて降参のポーズを取ると、こちらを見たままゆっくり後ずさりし始めた。対する僕達は老人の動きを警戒しながら距離を詰め、木下さんの奪還を確実なものにしようとする。


「まさか、本当にここまで来るとはな。正直言えば驚いたぞ、織田の娘」


「頼りになる友が道を切り拓いてくれたんだ。よもや、計算外とは言うまいな」


「物事には綻びが付き物だ。何が起きてもおかしくはない。覚悟はしていた」


「追いつめられた挙句の台詞がそれですか? 負けず嫌いにも限度がありますね」


「これはまた手厳しいな、秀成君。老人はもっと労わらんと」


 会話の最中も後ずさりしていた九条老人の背が、壁に飾ってあった立派な掛け軸に着く。すると次の瞬間、まるで忍者屋敷の仕掛けの如く壁がくるりと反転し、九条老人がその中へと消えていった。逃げられたと理解したのは、しばし唖然とした後だった。


「やられたな」と呟いた織田さんは、未だ横たわる木下さんの傍に歩み寄り、彼女の頭をそっと撫でた。口元に見える笑みは優しかった。


「まあ、いいだろう。こいつが無事に戻ってきたならば、それで」


「ですね」と僕は言いながら木下さんの身体を背負った。


「さあ、戻りましょう。柴田さんが待っています」


 ふと、頬に当たる空気が熱いことに気づく。虎屏風の向こうが紅い。覗けば、左右に並んだ龍の襖が炎に包まれていた。勢いよく燃え盛る炎は、天井にぶつかり行き場を無くした白煙と共に、全てを呑み込みながらゆっくりこちらへ向かっている。


 すると九条老人の地獄の悪鬼のような笑い声が聞こえてきた。



『認めよう。確かにお前達がそろってここへ来るとは思ってもいなかった。だが、万が一にも備えるのが老いた者の癖でな。お前達には、全員まとめてここで死んでもらうよ。歪んだ愛憎劇の末の心中というのは些か古臭いが……この際だ、仕方あるまい。〝そういうこと〟にしておくよ』



 とっさに身をひるがえした僕は九条老人が消えていった壁を何度も蹴りつける。遅れて織田さんも僕に加わり、ふたりで共に壁を蹴り、そして体当たりを繰り返したがまったくの無駄である。


 後ろを振り返れば炎に先駆けて白煙がすぐそこまで迫っている。呼吸が既に苦しい。この行為がいたずらに体力を消耗するだけだと悟った僕達は、迫る炎から逃げるように、木下さんを連れて部屋の隅で身を寄せ合った。


「安心しろ、秀成。杏花がすぐに迎えにくるはずだ」


「そうですよね」と答え、僕は織田さんの手を握った。這い寄る死の予感から少しでも逃れるためだった。僕の思いを知ってか知らずか、彼女もまた僕の手を強く握りしめた。


 僕達は止まることを知らない炎をただ眺めることしか出来なかった。少しずつ炎が迫るたび、あれに呑まれれば何もかも終わりという実感が大きくなっていく。酸素が底を突き始めているのか、頭がぼんやりとしてきた。喉が、肺が燃えるように熱い。終わりが近いと本能が悲鳴を上げている。しかしもう騒ぐ気力すらない。


 やがて織田さんが「なあ」と呟いた。その凛とした声の響きには、覚悟と諦めが漂っていた。


「……秀成。お前はこの世でやり残したことはあるか?」


「織田さん、気をしっかりしてください。まだ終わったわけではありません。きっとすぐに柴田さんが――」


「そう騒ぐな。ただの世間話だ。……それで、どうだ。やり残したことは?」


「……僕はこの夏、なんとしてでも25m泳げるようになりたいんです。それに、織田さんに作っていただいた料理もまだ食べていません。あなたと遊園地に行きたいな、なんてことも考えていました。それに、それに…………数え切れませんよ、やりたいことなんて。織田さんだってそうでしょう。まだ死ぬわけにはいかないはずです」


「そうでもないさ。これさえやればとりあえずの悔いは残らないということが一つあるのは確かだが……それは今すぐにでも出来るからな」


 そう言った織田さんはこちらを向いて神妙な顔をしたかと思えば、突然腕を僕の背中に回しぎゅっと抱きついてきた。彼女の熱が、震えが、胸の高鳴りが、全身を通じて伝わってくる。


「この戦、最初から最後まで私の独り相撲だったな。秀成にはいつものらりくらりとかわされてばかりだった」


「戦とは」と、僕はその言葉の真意を尋ねたが、彼女は答えずさらに続けた。


「だから、最後の最後くらいは勝ち戦で終わらせてもらう。返事を聞かなければ、言った私の独り勝ちだ」


 織田さんはゆっくり腕をほどき、僕の顔をまじまじと見つめた。熱に潤んだ瞳、赤くなった頬、柔らかい笑顔。彼女の全ては死の間際に立たされた今もなお、ぼやけつつある僕の視界に美しく映った。


「私と戦を」と言い掛けた織田さんはすぐさま「いや」と首を横に振る。


「わかるように言わねば意味がない」


 彼女の薄い唇がゆっくり言葉を紡ごうとしている。僕がそれを黙って見ていたのは、意識がぼんやりしていたというのもあるが、何より彼女に見惚れていたからだ。



「……秀成、私はお前を――」



「おふたりさん。話は後にして貰っていいか?」


 幻聴が聞こえたのかと思った。幻覚が見えているのかと思った。そう思ってしまうほど、いま僕達の目の前に立っている人物が信じられなかった。


「……京太郎?」


「そうだ」と言って京太郎は胸を張り、ぐっと親指を立てた。


「正真正銘の四王天京太郎サマだ。助けに来たぜ、ヒデナリ」





 助けに来たのは大いに感謝したい。強固な扉を破り、燃え盛る炎を超えてやってきたのは褒め称えてやりたいとも思う。友を想うその姿は涙なしでは語れないところがある。


 しかし、何故あともう少し我慢できなかった! せっかく私が一世一代の大勝負に出たというのに、この仕打ちはなんだ! この吐き出しかけた思いをどこへぶつければいいのだ、私は!


 燃え落ちていく部屋を出ると、そこには杏花が待っていた。多々切り傷があり、明らかな疲労の色が表情に見えるが、特に身体に問題はなさそうだ。


「お屋形様ぁ!」と叫んだ杏花は涙を流しながら私を抱きしめたが、京太郎がそこへ「そんな場合じゃないと思うぜ」と冷や水を掛けた。


「感動の諸々は後でいいだろ。とりあえず、ここを出ねーとな。じき全体に火が回る」


 杏花はやや不満げに京太郎を睨んだものの、「それもそうですね」と言い放ち、秀成に背負われていた晴海を代わりに請け負った。


 それから私達は元来た道を引き返し、城からの脱出を試みた。洛中の会の手の者はすでに逃げ去ったと見えて、道中、私達を襲ってくる者はいなかった。


 無人の廊下を駆ける最中、ふと秀成は呟いた。


「ごめんね、京太郎。正直、君が僕達を助けに来るなんて考えてなかった」


「同意見です」とすかさず杏花がこれに同調する。どういうことかと尋ねると、私達を洛中の会へ引き渡したのがこの男だったという答えが返ってきた。なんという男だ。ここを無事に出た暁には是非とも打ち首獄門にしてやらねばなるまい。


 じっとりとした懐疑の視線を私達に向けられ、京太郎は「待て待て待てって」と苦笑いで誤魔化しにかかる。


「最終的には助けに来てやったんだから結果オーライだろ? な?」


「怪しいですね。ここで斬り伏せ、後顧の憂いを断ってもいいのですよ?」


「アンタだって俺に助けられたじゃねーか。俺が駆けつけてなきゃ、あそこで敵に囲まれてくたばってたかもしれねーんだぜ?」


「どうやらその舌は不要のようですね。ええ、ならば、斬り落とすことに致しましょう」


「わかった、わかった。説明するから刀を下ろせって」


 それから京太郎による涙ながらの自己弁護が始まった。


 この男は灯光に仕える忍びで、陰から秀成を護ることを仰せつかっていたらしい。いつものように秀成を見守っていた奴の下に洛中の会の使いが来たのは、ちょうど夏休み前のこと。〝会〟の使いは京太郎に、「協力しなければ命はない」と言って脅したのだとか。


 無論、四王天京太郎は自分の主君を、何より友を裏切るような男ではない――とは本人の談なので信用はならないが、とにかく奴には秀成他私達を裏切るつもりは元から無かった。


 しかし、京太郎はこうとも考えた。例え会は自分に誘いを断られようとも計画を実行する。そして、その計画はいささか遠回りになるにせよ、間違いなく成功することだろう。ならばこの状況を利用して、秀成達を助けた方がいいのではないか、と。


 それから先は私達の知る通り。京太郎は私達を捕らえて洛中の会に引き渡し、さらには主君である灯光の情報まで流すことにより、会の信用を得た。そして頃合いを見計らい、私達の救出に駆け付けたということである。



「わっかんねーだろうなぁ。顔で笑って心で泣く男の気持ちが。マジで辛かったんだからな、アレ。柴田さんにはぶっコロ宣言されるし、ヒデナリには汚物を見るみてーな目で見られるしよ。でもま、それも俺の迫真の演技力のせいだからな。俺が凄すぎるのが悪いってことだからな。それならそれで仕方ないっつーか、むしろ褒められてる気がしなくもないっつーか、助演男優賞も夢じゃない――」



 京太郎の軽薄な語り口を、秀成が「つまりあれかな」と遮ってにこりと微笑む。



「僕と君は友達、ってことでいいんだよね?」



 面食らったように黙ってしまった京太郎は、バツが悪そうに頬を掻くと、「そうだよ」と短く吐き捨てた。存外、かわいげのある男である――などと思いながら私が笑みを浮かべていると、話の矛先は急にこちらへ向けられた。


「……そういや織田さん。さっきはヒデナリになに言いかけてたんスか? 私はお前を――の後はなんて言おうとしたんスかね?」


「あら、なんですかそれ。あたしも気になります」などと杏花が便乗し、秀成も「そういえば」と口にする。


 内なる信子が私に語り掛ける。もういっそのこと言ってしまったらいいのでは、と。もうひとりの内なる信子も語り掛ける。そうだそうだ、後は野となれ山となれ、と。ここへ来てふたりの信子の意見は纏まりを見せた。ならばあとは私の意見だけだ。


 そうだ、言ってしまえ。勢いに任せろ。一度死んだと思えば何も怖いことは無い。


「秀成、私は……私はお前を……!」


「お前を?」と三人の声が重なる。











 秀成、私は、お前を――。
















「お前を――――……家来にしてやるッ! 存分に働けッ!」
















 侍と忍びから小さなため息が漏れる中、唯一、秀成だけは「ありがとうございます」と微笑み、軽く頭を下げた。


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