武士 イン・ザ・スカイ その1
第一部最終話になります
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背中に当たる硬い感触に僕は目を覚ます。視線の向く先は見覚えのない石の天井だ。頭も身体も痛くて、身体を起こして周りを見ようという気もしない。僕は大きく息を吐き、固くまぶたを閉じた。
「――起きましたか、秀成殿」
柴田さんの声がやけに反響して聞こえる。僕は目を閉じたまま「ええ」と答えた。
「ここはどこでしょうか」
「牢の中です。それ以上のことは何も」
「織田さんと木下さんは?」
「ここにはいません。恐らく、別の場所に囚われているものかと」
少し目をつぶっているうちに頭痛が収まってきたので、上半身だけ身体を起こしてみれば、太い石柵と、畳に胡坐をかいた柴田さんの背中が視界に映った。そのまま部屋を見回せば扉があって、試しに開いてみれば和式トイレがある。十二畳ばかりの座敷牢にあるのはそればかりである。木下さんと共に監禁された時とは雲泥の差だ。
適当に腰掛けて壁に背を預け、視線を下に落として再びまぶたを閉じる。すぐさま脳裏に過ぎるのは、京太郎がこちらへ刃を向ける姿と彼のどこまでも悲しそうな顔。
「なんで京太郎はあんなことをしたんだ」と僕はつい独り言をこぼした。
「わかりません」と答えた柴田さんは淡々とした口調で言い放つ。
「しかし、私達がここにいるのが奴の仕業であることは間違いありません」
その時、牢の外から複数人で石畳を歩くコツコツという大げさな音が聞こえてきた。音はこちらへ近づいてきて、やがて牢の前でふと止まる。顔を上げれば石柵越しに五人の男と、その人達を従えるようにして腕を組む京太郎の姿が見えた。
「――四王天ッ!」
京太郎の姿を見て即座に立ち上がった柴田さんは、一気に詰め寄り石柵の隙間から手を伸ばす。しかし彼女の人差し指が彼の喉笛を捉えるには、あと1cm足りなかった。
「惜しかったな、柴田杏花」
「黙れッ! お屋形様をどこへやった!」
「うるせぇな。俺は秀成に用があるんだ」
そう言うと京太郎はこちらへ向かって笑顔で手を振った。そこにあるのはまったく邪気を感じさせない、いつもの彼の顔だった。
「オウ、元気そうだな、秀成。あのまま死ぬんじゃないかって心配したぜ」
「……京太郎、なんであんなことをしたのかな」
「仕方ないだろーがよ。じゃないと俺が殺されてたんだ。悪気は無いから許せって」
「僕は君の友達だから、こうなっても仕方ないのかもしれない。でも、織田さんや柴田さん、木下さんを巻き込むのはどうかと思うよ」
「お前も、織田さんも、木下さんも、柴田さんも……全員まとめてとっ捕まえるのが生存条件なもんでな。俺だって、やりたくってやったわけじゃねーよ」
「わざわざそれを伝えるためにここへ?」
「いや、夕飯のリクエストを聞きにな。なに食いたい? 寿司か? ピザか? 牛丼か?」
「なんだっていい。それより、みんなを無事に解放してよ」
「そりゃー無理な相談だろ。お前達を逃がしたら俺が殺される。言っただろ? 俺、百歳まで生きるのが目標なんだって」
「150、でしょ?」
「……そうだったか?」
一瞬、京太郎の表情には陰が落ちたが、瞬きする間に元の笑顔に戻っていた。彼は「じゃあな」と言って手を振って、部下らしき複数人の男と共に元来た方へ歩いていった。遠のいていく足音を聞くうち、僕は彼との間にある距離を実感した。
☆
目を覚ますと私は寝台の上に寝かされていた。すぐさま掛け布団を蹴飛ばして立ち上がり、周囲を見ると誰もいない。左右の壁に天井、どこを見ても真っ白の壁紙が全面に貼られており目が痛い。まったく覚えのない場所だ。
警戒しながら寝台を降りて、そのまま抜き足差し足で部屋を一周してみる。扉はおろか窓すらないこの空間にあるのは、野暮ったく感じるほど派手な装飾が施された、西洋風の豪奢な寝台のみである。扉はおろか窓すら無いが、しかし全く息苦しく感じないのは、どこかで空気を循環させているのだろう。
私は寝台の縁に腰掛けてここへ来る前の記憶を思い起こす。秀成と、ついでに晴海を助けてあの建物から逃げる際、私は突然気を失ったのだ。誰の仕業かは不明であるが、秀成達を監禁していた者と同一人物が関係していることを想像するのは容易い。
「それにしても」と独り言ち、私は考えを巡らせる。あの時は頭に血が昇っていてまともに頭が働かなかったが、冷静になってみれば、秀成、晴海の両名は同じ部屋で何者かに監禁されていたと考えるのが妥当であろう。であれば、犯人は何故あんなことをした? なんの声明も出さずに〝状況〟だけ起こした犯人の目的は――。
『――起きたようですね、信子様』
何の前触れもなくくぐもった声が聞こえてきた。やけに物腰の柔らかい男の声だ。どこからか見張られているらしいということに驚いたものの、私はなるべく平静を装いながら「誰だ」と返した。
『申し訳ございません。その質問にはお答えすることが出来ないのです』
「ならば、私をここへ閉じ込めた理由は?」
『その質問にもお答えすることは出来ません』
「わかった。ならば、何なら答えられる?」
『お連れ様の無事はお約束出来ます。信子様が大人しくしていればの話ですが』
どうやら捕らえられたのは私だけではないらしい。私や秀成、晴海だけならいざ知らず、よもや杏花まで捕まるとは。相手は中々の手練れのようだ。
『ところで信子様、お腹は空いておられないでしょうか?』
言われて自分が空腹であることに気が付いたが、今はそのような場合ではない。何者かからの声を黙ってやり過ごすと、奴は『そう気を張らずに』と困ったような調子で言ってきた。
『まずわかって頂きたいのは、私達に〝貴女を〟殺すつもりはないということです。確かに、こんな状況ではなにも信じられないとは思いますが……。ともあれ、こちらへどうぞ。急がねばせっかくの料理が冷めてしまいます』
言い終わると同時に壁の一部が突然割れる。何かと思って覗き込めば、短い通路を挟んで隣の部屋に繋がっていた。漂ってきた美味そうな香りに釣られる形で、つい部屋へと足を踏み入れれば、見るも鮮やかな豪華絢爛の料理が円卓に乗せられ私を待っていた。
それを見た私は「なんだ」とつい拍子抜けした。というのも、並べられた西洋料理を見て、それが晴海の趣味で選んだものだとすぐに気が付いたからである。そう思えば、あの悪趣味な寝台も納得だ。
つまりこれは晴海の仕業。自分も捕まったと見せかけて、私達を罠に嵌めたらしい。いささか腹は立つがしかし、命の危険は無いだろうということは間違いない。あの女には人を殺せない。
心中でそう断じて、慣れない銀食器を手に取った私は、名前もわからない料理に手を付けた。