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恋に焦がれて本能寺 ~織田信子の受難~  作者: シラサキケージロウ
第一部 六話 アタシをここから連れ出して
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アタシをここから連れ出して その7

 私達が秀成を探し続けたこの十日間。同じように秀成を探していた京太郎は、ほとんど不眠不休の捜索活動の末に、とうとう秀成が監禁されている場所をとうとう見つけ出した。しかし、厳重に警備されたそこはまさに難攻不落、現代の小田原城のような場所で、独力での救出活動はあえなく失敗に終わったそうだ。


「――そこでお前達に助けを乞おうと思ったわけだ。目的を共にするお前達にな」


「なるほど。しかし、お前ほどの忍びが不可能だったものを、私達がどうこう出来ると思うか?」


「隠密、潜入、卑怯な戦い方はお手の物だが、〝武〟についてはからっきしでな。この前はうっかり見つかって酷い目にあった。今回アンタらを誘ったのは、そういう万が一に備えてだ。アンタんトコの柴田さんみたいな人がいりゃ、百人力だからな」


「よく言いますね、四王天。あなたの〝武〟だって大したものかと思われますが」


「ありがたいことだな。〝一騎当万〟の柴田杏花に褒められるとは」


 杏花と京太郎の間に緊張感が走る。無理もないことだが、杏花はまだ自分を殺しかけたこの忍びを信頼していないのだろう。それは私だって同じことだ。大切な家来を――友を殺されかけたことを忘れたわけではない。しかし、今ばかりはこの男の友を想う心を信用するしかないのだ。


 私は「今は止めよ」と杏花をたしなめ、剥き出しの敵意を納めさせた。


 住宅街をしばらく歩いているうちに、雲に太陽が隠されて辺りに影が差してきた。昼を過ぎたころのせいか、歩く人は見当たらない。静かな街中に蝉の声だけ聞こえてくる。


 なんとなく不穏な空気が漂ってきたところで、京太郎が「あれだ」と言って正面の建物を指した。一見したところ、時代が時代であれば〝天高くそびえ立つ〟と形容されるほど背が高く、真新しい集合住宅だが、どこか人が生活している気配を感じられない。


「つい三週間前までは八割以上部屋が埋まってたマンションが、今や〝住人〟は秀成だけ。まったく、アイツをさらった奴は相当な金持ちだぜ」


「無駄話はいい。さっさと行くぞ」


 物陰から様子を伺えば、敷地内の駐車場に見張りの男が数人うろついているのが見える。どうしたものかと思案していると、「任せろ」と小声で言った京太郎が袖口から細い針のような暗器を取り出して、見張りの首筋を目がけてそれを投げつけた。


 暗器にはあらかじめ毒でも塗ってあったのか、見張り達はうめき声をあげながら倒れ込んでいく。恐る恐る近寄ってみれば、浅いながらも呼吸はしており、殺したわけではないとわかって少し安心した。


 京太郎の説明によれば、秀成は最上階の一番奥の部屋に捕らえられているらしい。建物の中に入ってしまえば見張りは少なく、また罠が仕掛けられているわけでもなく、小田原城とは名ばかりの様子である。しかし何があるかはわからない。最大限の注意を払いながら階段を上っていくと、呆気なく目的の部屋の前まで辿り着いた。


「妙ですね、四王天。この程度の警備なら、あなた独りでも秀成殿をお助けすることが出来たと思われますが?」


「行きはよいよい帰りは怖い、ってな。この扉がクセモノなんだ。触れた瞬間、辺りに警報が鳴り響く」


 訝しげに「そうですか」と吐き捨てた杏花は、刀の柄に手を掛けて抜刀の構えを取る。


「ならば、〝触れたと認識するより先に扉を斬り捨てるまでのこと〟」


 瞬間的に高まる気――一刀、一閃。


 三分割された玄関扉が崩れ落ちると共に、私の視界に飛び込んできたのは――。





 誘拐犯から無理難題を叩きつけられた僕は、木下さんを羽交い絞めにしたまま固まってしまった。心臓の鼓動が内側から全身を揺らしている。唇が乾く。吐く息が熱い。


 キスとはつまりは口づけのことで、古風に言えば接吻のことで、好きな人とでなければ許されないことで、やわらかくて、はじめての時に限りハチミツ漬けレモンの味がして――。


 思考ばかりが最高速度で回転して、考えなくても良いことばかりが頭によぎる。ふと漂ってきた木下さんの香りがむやみに甘くて、僕は慌てて彼女から距離を取った。


 みっともない動揺を悟られないように却って堂々と胸を張った僕は、「まったく困ったものですね」と言って大げさにため息を吐いた。


「キスをして鍵が開くのならば苦労しません。あんな戯言は無視して、お昼にしましょう」


 木下さんは答えない。微動だにしないまま、鍋底から無尽蔵に湧き出る泡を見つめるばかりだ。その妙な間が耐え切れなくて、僕が「そのままだと吹きこぼれますよ」と口を開くと、彼女は頷きもせずにコンロを捻って火を止めた。


「なあ、秀成くん。シてみぃひん?」


「……するって、何をです?」


「そんなんキスに決まってるやん。考えなくてもわかるやろ」


「馬鹿を言わないでください!」と僕はつい声を荒げる。


「あんなの、誘拐犯が面白がって言ったに決まってます! 騙されてはいけません!」


「そんなのわからんやん。やってみて駄目だったら終わり。それでええだけの話やろ?」


「よ、よくないですよ! そういうことは、もっと大事な時のために取っておくべきです!」


「こっから逃げられるかもしれんって今が、その〝大事な時〟ちゃうの?」


 論理的逃げ道はあっという間に塞がれた。こうなれば肉体的に逃げる他あるまいと、僕はリビングを飛び出してトイレに篭ろうとしたが、遠隔操作されているのかトイレの扉は開きもしなかった。ならば風呂場にと思ったが――振り返れば退路には木下さんがいる。鼻先から耳たぶまで真っ赤に染めながらも、真っ直ぐこちらを見据えるその顔は、既に覚悟を決めたご様子である。


 しかしあいにく僕はまだ覚悟を決めていない! というより、するつもりは断じてない!


 木下さんを柔らかく突き飛ばし、再び逃走を図る僕であったが、進む方向には玄関しかない。こうなれば追いつめられたネズミ、小田原征伐の北条氏政である。無駄だとわかっていながらも、玄関扉を幾度と叩いて助けを求めたが、当然ながら誰も来ない。結果、僕は背後から歩み寄ってきた木下さんに腕を取られその場に組み伏せられた。


「ハイ、終わり。はよ覚悟決めてな」


「お、お、お待ちください! そんな急に決まるものではありません! 初めてなんですよ僕は!」


「ウブやなぁ。ウチかて初めてやで?」


「ならばなんでそんなに落ち着いているのですか!」


「なーんか、焦った秀成くん見てると落ち着いてくるんよね」


 けたけたと笑った木下さんは、僕の身体をひっくり返して馬乗りになる。その顔を見れば笑みは消えている。今さら止めるつもりはないらしい。


「……大丈夫。どーせお互い本気やないもん。パっとやって終わり。せやろ?」


「そ、それはそうですが、しかし――」


「なに? そんなにウチって可愛くないかな?」


「そ、そういうわけではありません! しかし、お互い捧げる相手が他にいるだろうという話で!」


「ノーカンにすればええやん」


「ですが、ですがしかし――」


「〝しかし〟はもー聞き飽きたわ」と言った木下さんは、僕の頭を両手で掴んだ。徐々に彼女の顔がこちらへ迫ってくる。


 もはやこれまで。いや、むしろ一瞬で終わるのならばそれでいいのでは。それで逃げられるのならば――と諦めかけたその時、聞こえてきたその声は――。


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