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恋に焦がれて本能寺 ~織田信子の受難~  作者: シラサキケージロウ
第一部 一話 あなたは武士
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あなたは武士 その4

 さて話は冒頭に戻る。


 歩み寄ってきた武士――改め織田さんは、ゆっくり日本刀を引き抜いた。銀の刃がぬらりと光り、周囲から小さな悲鳴が上がる。


 もしかして、織田さんは本気で僕のことを斬るつもりでは? いやまさか、そんなことがあるわけもない。これはきっと武将系女子なりの武将ジョーク――などと思っていると、彼女はゆらりと正眼の構えを取る。


 僕は自然と、「夏草や、つわもの共が、夢のあと」と辞世の句を呟いていた。


「秀成。何故お前は、私のやった刀を持ってきていない」


「……いえ。普通、女性と会う時にわざわざ刀を持ってくる男はいないと思われますが」


「……つまりお前は、私の首を刎ね、額を撃ち抜き、蹂躙するつもりではないのか?」


「…………ええ。出来れば、平穏に過ごしたいと」


「……そうか」とやや残念そうに呟いた織田さんは刀を鞘に納めた。なぜ残念そうなのかは微塵もわからないが、どうやら彼女にはここで戦を起こすつもりはないようだ。全身から力が抜ける思いだった。


 それから僕達はまず喫茶店へ向かうことになった。織田さんが歩くたびにがちゃがちゃと金属が擦れあう音がするので、周囲からは否応なしに視線が集まる。彼女の姿を見た人は僕達と距離を置くように歩くので、人が集まる土曜だというのに池袋は大変歩きやすい。


 いくつかの喫茶店に入店拒否された後、僕達は通りから一本外れたところにある、外国人が店主をしている店に入った。頬を紅潮させながら、織田さんのことをカメラでぱしゃぱしゃ撮っていた店主を見るに、きっと彼は時代劇マニアなのだ。もしくはただの能天気か。


「しかし織田さん。なぜ貴女はわざわざ矢文で僕を誘ったのですか?」


「……こういったことに詳しい者に色々と聞いてな。その者が言うには、なんでも、男を誘うには矢文が一番だと」


 誰が彼女に知恵を吹き込んだのかは知らないが、その人はよほどの世間知らずか、そうでなければ三度の飯より人を化かすのが大好きな狐のような方に違いない。


 僕は「次から矢文は止めておいた方がいいですよ」とアドバイスを送り、彼女は「うむ」と頷いた。頬を染めて、「だと思った」とも言っていた。話が通用しそうにない恰好をしているが、存外彼女は聞き分けが良い。育ちがいい証拠だ。


 それからは注文したものが運ばれてくるのを待つ間、僕達の間に会話は一切なかった。物も言わずに僕の瞳をじっと見る織田さんを見つめ返すのはとても恥ずかしかったが、目を離せばその瞬間に喉元に刃を突き立てられそうなので、僕は彼女と無言のままで視線を交わし続けなければならなかった。


 やがて織田さんの前にアイスミルクが運ばれてきた。彼女はそれを一口に飲み干すと、ふいに兜を脱いで「先日は助かった」と頭を下げた。艶やかな髪の毛が店の照明を受けてきらりと光った。


「いえ。改めてお礼を言われるほどのことでは……」


「これは私の矜持の問題だ。こうして頭を下げねば気が済まぬッ」


「そんなことをされてはこちらが却って気を遣います。どうか頭を上げてください」


「それならば、詫びはこれまで」と織田さんは頭を上げる。さっぱりした方だ。


「して、秀成。お前の願いを申してみろ」


「そのようなことは決して。あれほどまでの刀を頂きましたし……」


「遠慮などするな。言ったろう、矜持の問題だと。改めて、きちんと礼をせねば気が済まんのだ」


「……でしたら、ひとつだけ」


「なんなりと申せ」


「織田さんの、鎧を脱いだ姿が見たいです」





 危うく斬られそうになったので、鎧を脱いで欲しいという願いは取り下げざるを得なかった。普通の恰好をしているところを見てみたいという意味合いで言ったというのにこの仕打ち。恥ずかしそうに頬を染め、眉間にややしわを寄せているところを見るに、恐らく彼女は「鎧を脱いで」の意味を勘違いしているのだろうが、それを指摘してしまえば最後、袈裟からすっぱりいかれるに違いない。


 結局、「映画を共に観るのが礼の代わり」ということで話がまとまって、僕達は店を出て映画館へ向かった。


 コンクリートジャングルに突如タイムスリップした武士は、サンシャイン通りを歩く人の注目を一手に集める。ということはつまり、彼女の隣を歩いている僕にも当然視線が集まるわけで。恥ずかしくないと言えば嘘になる。しかし、彼女が恥ずかしがる素振りを毛ほども見せないのだ。僕が恥ずかしがるわけにもいかない。


 むしろ見ろ! たったふたりの大名行列を! 


 そんな風に居直り、精一杯に胸を張って歩いているうち映画館に到着した。織田さん向きだと思われる関ヶ原の戦いに関する映画がたまたま上映中であったため、僕達はそれを見ることにした。


 チケット売り場の行列に並ぶ間、織田さんはぽつりと呟いた。


「…………時に秀成。私は映画を観たことがない。お前が言うからついてきてやったが、果たして本当に楽しいものなのか?」


「楽しいですよ」


「どう楽しい? 何が楽しい? 聞いたところによると、真っ暗闇で何時間も座らせられるらしいではないか」


 隣から兜と鎧とが擦れあうカチャカチャという小さな音が聞こえる。ふと見ると、織田さんは目を伏せ僅かに身体を震わせている。これぞ本当の武者震い――などという冗談を言っている場合ではない。どうやら彼女は緊張しているらしい。


 電車だって乗ったことのない織田さんだ。映画なんて、緊張するに決まっている。僕は彼女に「止めにしましょうか」と尋ねたが、彼女は「よい」と首を横に振った。


「ここで退いては織田の名折れだ。それに何より、お前への礼が果たせんではないか」


 なんとも武将然とした態度だ。しかしそんな強い言葉と裏腹に、彼女の身体の震えは止まる気配を見せない。


 ここで手を握ることが出来るのが色男なのだろうが、あいにく僕はそれと違う。僕に出来たのは、笑顔を浮かべて彼女の手首をそっと掴むことくらいだった。


「ありがとうございます。織田さんの心遣い、嬉しいです。でも、上映中にもし辛かったら言ってくださいね。僕が隣に座ってますから」


「……秀成、お前……」


「はい」


「……誰が手を触れていいと言った! この痴れ者がッ!」


 次の瞬間、僕は空中に投げ飛ばされた。


 ビルの谷間に広がる青空を見上げながら僕は、斬られないだけまだマシだったかな、などと考えた。





 映画を観終えた後は古本屋へ。その後は雑司ヶ谷の寺を巡って僕達は過ごした。本当はユニクロなどで洋服を買って、彼女に普通の恰好をしてもらいたかったのだが、入り口付近に立つ定員にそれとなく入店拒否されてしまったのでそれは叶わなかった。今度から彼女には、せめて初めて出会った時のような袴を着て外に出てもらうことにしよう。もちろん、刀は家に置いてきてもらって。


 織田さんは何を見ても基本的には「ふむ」しか言わないのだが、その実、口元は楽しそうに綻んでいて、見ているこちらが幸せな気分になってくる。不思議な魅力に溢れた人だ。


 夕方になったところで、僕達は最初に行った喫茶店に再び入った。朝と変わらない姿をしている織田さんを見た店主は大喜びで、僕達にケーキまで奢ってくれた。


 織田さんはケーキを食べながら、今日観た映画について不満を漏らした。本当の戦はあんな生温いものではないだとか、織田勢の活躍だって映してもいいではないかだとか。しかし色々言うものの彼女は終始笑顔で、要は満足してくれたのだろう。


 やがて、店の外から悲鳴と共に馬の嘶きが聞こえてきた。まさかとは思うが、彼女に何か関係しているのだろうか。


「……迎えだ。もうそんな時間か」


 そのまさかだ。さすがの武将系だと、僕は彼女に気づかれないようにこっそり笑う。


 僕だって、彼女が何者であるかだとかが気にならないわけではない。こんな時代錯誤な恰好をして恥ずかしくないのかと思うし、刀を持ち歩いて捕まらないのかと日本の治安を疑問視したくもなる。


 しかし、細かいことはどうだってよいではないか。彼女は悪い人ではないし、何より一緒にいて楽しいのだから。刹那的な感情に身を任せるのは、学生の特権だと僕は思う。


 織田さんはテーブルに置いていた兜を被り、緒を締め直しながら僕に言った。


「…………は、白状する。私は、今日お前と戦を交えるつもりだった」


「そうですか。僕は普通に遊ぶつもりでした」


「…………そうか。なら、いつかその気にさせてやる」


 織田さんは不敵に微笑むと、「ではな」と僕に背中を向け、店を出て行った。


 夕焼け色に光る彼女の甲冑姿が眩しすぎて、僕は思わず目を細めた。





 城に帰って数刻経ったが何も手につかない。食事も喉を通らねば、稽古事にもやる気が出ない。ふと筆を執り、心の内を書き表してみようかと思ったが、この思いが言葉に出来るわけがない。目をつぶってもまぶたの裏に浮かぶのはあの男の顔ばかり。これだけでもどうしようもないというのに、何故だか笑みが込み上げてくるのでなおさらどうしようもない。


 戦を交えるつもりだった、だと?! なんてことを口走ったんだ私は! 恥を知れ!


 秀成のせいだ。秀成のせいだ。何故お前は私の心に巣食っているのだ! 馬鹿! 馬鹿!


 ……湯でも浴びてこの浮ついた頭をどうにかするべきだ。


 そう思い立った私が腰を浮かせたその時、堰を切るようにして部屋に入ってくる無礼な輩がいた。爺と杏花のふたりであった。


 杏花は爺の白髪と白髭を引っ張り、爺はそんな杏花を引きずりながら私の前に来て、片膝を突いて頭を垂れた。何やらただ事ではない様子だ。


「お館様っ、一大事にございますっ!」と爺は唾をまき散らしながら叫ぶ。「言わんでいいってのに!」と耳元で叫ぶ杏花などお構いなしである。


 こういった時にこそ、頭目たる私が落ち着いてなければならぬ。私は威風堂々と、「どうした、そのように慌てて」とふたりに尋ねた。


「別に何でもないんですよ、お屋形様。爺は少々、痴呆が始まっているようで――」


「痴呆ではないっ! お前は事の重大さがわかっとらんのかっ!」


「ええ、わかっていますとも。ですから言わなくていいと言っているのです!」


「馬鹿めっ! これだからお前という女は――」


「お前達、よもや喧嘩を見せつけるためにここまで来たわけではあるまいな?」


 爺は「無論」と言って再び視線を床へ向ける。杏花が何か言いたげであったが、私はそれを片手で制し、爺に話の続きを促した。


 爺は静かに、されど力強く話し始めた。


「お館様、落ち着いて聞いてください。お館様が懇意にしている若者……田中秀成という男についてですが――」


「べ、べ、べ、別に懇意にしているわけではないッ! ただ、あの男には礼があってだな!」


「なんだってよろしいっ! とにかく、あの男についてですが……今後、あの男には近づかないで頂きたいっ!」


 秀成に近づくなとは、歩いていたら顔に突然唾を吐き掛けられたような気分だ。深く呼吸を繰り返し、爺の言葉をゆっくり噛み砕いてから、私は努めて冷静に「何故だ」と尋ねた。


「……勝手ながら、あの男の身辺調査を致しました。あの男の母方の家系の姓は〝明智〟。もしやと思い遡ると……先祖にあの忌々しき男の名があったのです。お館様の遠いご先祖である信長様を殺した男――明智光秀の名前が」


 その瞬間、私の目の前は真っ暗になった。


 なんと、あの男が、秀成が、明智の血を。


 織田家の命運を分けたあの日――炎に包まれる本能寺を目の当たりにしたご先祖様も、今の私のような思いを抱いていたに違いない。





 家でのんびり風呂に浸かっていると、正体不明の悪寒が僕の身体を襲った。こういう時には何か悪いことが起きる。しかも、大抵の場合は回避不能だ。


 本能寺の変が起きたあの日、あの信長もこんな悪寒を覚えたに違いない。


 そんな風に考えてしまうのは、少し〝武将系女子〟に毒されすぎだろうか。



とりあえず一話終了です。

よろしくお願いします。

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