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恋に焦がれて本能寺 ~織田信子の受難~  作者: シラサキケージロウ
第一部 六話 アタシをここから連れ出して
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アタシをここから連れ出して その2

 私は料理が出来ない。野菜を切ろうとしても皮だけ残って上手く切れない。火を使うのも火事が怖くて躊躇われる。数年前までは生卵を割るのにも苦労するほどであった。元服を迎えた今になっても、出来る料理といえば卵かけ飯が関の山だ。


 しかし私にとってはそれが普通であった。料理なんて出来なくても、料理番がやるのだから問題ないとばかり思っていた。誰かに対して手料理を振る舞うなど一度たりとも考えたことが無かった。


 いや、正直に言ってしまえば私は、料理という不得手なことから目を背けていたに過ぎない。私には必要のないことだからと、出来なくてもなんら問題ないからと、言い訳の堀で自らを囲んでいたに過ぎないのだ。


 今までの私ならば、その堀を埋めようなんてことは考えもしなかっただろう。しかし今、私の隣には秀成がいる。苦手なことに果敢に挑戦している武士もののふがいる。私の傍に立つ者が逃げないでいるのに、私が逃げるわけにはいかない。


 待っていろ、秀成。お前に私の手料理をお見舞いしてやる!


 秀成と別れ、大急ぎで城まで戻った私は早速台所へ向かった。昼を過ぎているせいか料理番は出払っている。あちこち見てみれば食材は一通り揃っているようだ。これ幸いと料理の練習を始めようとしたが、何からやればいいのか見当がつかない。しかし今は時間が無い。考えてばかりではいられないのだ。


 五分ほど思案を巡らせて、「とりあえず玉子焼きと焼き鮭と握り飯さえあれば弁当としての体裁は整うだろう」と結論付けた私は調理に取り掛かった。


 それからはひたすら悪戦苦闘の時間である。まず、比較的調理が楽だと思われた握り飯がさっぱり上手くいかない。いくら飯を握ってみてもぽろぽろと崩れてしまい難儀である。その上、飯が手の平に貼りついて腹立たしい。半刻ほど時間をかけてなんとかひとつだけ出来上がったが、それは握り飯と形容するにはおこがましいほどで、子どもが戯れに作った泥団子のようであった。


 ひとまず握り飯問題は先延ばしにして、続いて玉子焼きの調理に取り掛かったが、これもまた上手くいくわけがない。そもそも台所に立ったことなどないので、当然といえば当然なのだが、どうやって調理台に火を付ければいいのかもわからない。結局、私は鉄鍋を火にかけることすら叶わず、ふたつ割った卵を椀の中に置き去りにするばかりであった。そんなことでは鮭を焼くなど夢のまた夢で、今の私に出来ることといえば、先ほどからまな板の上に置いたままの切り身が干からびていくのを見守ることくらいである。


 ひとりで料理は不可能だ。やはり誰か料理人を連れて来るべきか。肩を落としながらそう思いつつ、一度台所を退散しようと身をひるがえすと、眼前に杏花の胸があったので私は思わず腰を抜かした。


「なっ、何故ここにいるッ!」


「恋する乙女を応援するために♡」


「い、意味が分からんッ! 帰れッ!」


「よろしいではないですか。全面的に協力すると言っているのですから♡」


 杏花がいれば心強いというのは間違いない。この女は戦から針仕事まで、なんでも器用にこなすことの出来る者だ。やっているところは見たことが無いが、料理だってわけなくこなすであろう。しかし、この女を頼りにするのはどうしても気が進まない。あれこれと茶々を入れられることは目に見えている!


 しかし私が協力を断るより前に、杏花はすでに台所に立っている。「どけ」と言ったが聞く耳持たず、それどころか台所を見回しながら「あらあらこんなに散らかしちゃって」と早速物言いをつける始末である。


「う、うるさいッ! 私はひとりで――」


「ならば、泥団子みたいなおにぎりと、生卵ふたつ。それに干からびた生鮭を持っていっても構いませんよ。それで秀成殿が喜ぶのなら、ですが」


 ぐうの音も出ないとはまさにこのことである。選択肢はあって無いようなものであった。





 どれだけ台所に立っていたのかわからない。どれだけ失敗したかわからない。どれだけ投げ出しそうになったかわからない。どれだけ杏花から「へっぽこ」と罵られたかわからない。


 しかしいま私の目の前にあるこれは、間違いなく私が作った握り飯である、玉子焼きである、焼き鮭である。確かに握り飯の形は歪かもしれない。確かに玉子焼きは焦げているかもしれない。確かに焼き鮭は焼く時に身が崩れてしまったかもしれない。


 だが、恥じるところなどどこにある! これが私だ! いまの私だ! これでいいではないか! ……いや! 数刻前まで何も出来なかったことを考えれば、むしろ出来すぎなくらいであろう! 胸を張れ織田信子! お前はよくやった!


 納得いかない心を手前味噌で上塗りしてなんとか誤魔化そうとしていると、杏花がふいに目の前の握り飯を頬張り、続いて焼き鮭と玉子焼きに手を付けた。途端に不安が全身を襲い、私は咄嗟に冷蔵庫の陰へと身を隠す。自分の手料理を食べた者の感想を聞くのが怖い。顔を見るのが怖い。「駄目だ」という真実を突き付けられるのが怖い。


 ――情けない。たかが料理如きでこれとは。


 ひたひたという足音がこちらへ近づいてくる。もう何を言われても構わんと、自棄になった私はゆっくり立ち上がり、「どうだった」と自ら判決を促す。


 未だ握り飯をもごもごとやる杏花は、口内に残っていたそれをようやく呑み込み笑顔を浮かべた。その笑顔はいつものようにこちらをからかうようなものではなく、むしろ慈愛に満ちていた。


「――大丈夫だよ、信子。確かに見た目はちょっと悪いかもしれないけど……でも、美味しいから。本当に美味しいからさ」


「……安易に優しい言葉をかけるな。信用するぞ、私は」


「いいよ。だって、本当のことだもん」


 空には月が浮かんでいる。気づけば猛烈に眠い。ここまで眠いのは生まれてこの方初めてだ。眠いということはつまり、あくびが出ても仕方がないということで、あくびが出るということはつまり、涙が出ても仕方がないということである。


 嗚呼、まったく眠くて仕方がない。



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