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恋に焦がれて本能寺 ~織田信子の受難~  作者: シラサキケージロウ
第一部 一話 あなたは武士
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あなたは武士 その3

 その日の教室は、朝から例の〝ブショー系女子〟の話題で持ち切りだった。


 馬で登校しているらしいとか、気に食わないことがあれば忍者を差し向けてくるらしいとか、これまでで既に15人は人を殺したとか、殺した人間の頭蓋骨を金で塗って、それを盃に牛乳を飲んだとか……そういう眉唾話が好き放題に跋扈している。根も葉もない噂というのはこういうことを言うのだろう。


 そんな物騒な女性、この世にいるわけがない。いたら是非ともお目にかかりたいものだ。


 高校生活始まって以来の程度の低い噂話があちこち飛び交うこの状況に、内心うんざりしていると、僕の席に京太郎がやってきた。


「よ、秀成。聞いたかよ、ブショー系女子のウワサ」


「嫌ってほど聞こえてくるよ。でも、ふざけてるんだとしても言い過ぎだと思うけどね。馬がどうとかはまだいいとして、人を殺したとか……」


「みんな本気じゃねーんだ。気にすることねーって」


 本気でないからといってなんでも言っていいわけではない。そもそも、どうして無精なだけの女の子が、やれ忍者だやれ人殺しだなどと言われなければならないのか。


 そのことを京太郎に問うと、「イヤイヤ、むしろ想像通りじゃね?」などという答えがあったので驚いた。京太郎は――というよりも、この学校の生徒は不精の語義を間違っていた。


「ま、ま、ま。そんなことより……見たいか?」


「見たいって、何を?」


「決まってんだろ。ブショー系女子だよ。興味あんだろ?」


 京太郎はポケットからスマートフォンを取り出し、「ぬふふ」といやらしく笑う。


「撮っちまったのよ。物陰からぱちっと。俺、探偵とかになれるかも。バレなかったし。もしくはカメラマン? 被写体の自然な表情を、最高の瞬間で切り取る才能がここに――」


 その時、ガラスが割れる小さな音がしたと思ったら、京太郎の頭が矢で撃ち抜かれた。彼が倒れるどさりという音に、クラス中のざわめきがぴたりと止んで、そののち悲鳴が連鎖的に上がる。


 一部のクラスメイトが京太郎の周りに集まり、各々好き勝手なことを口にした。


「おい! 京太郎が撃たれたぞ!」「無事か?!」「無事なわけねぇだろ頭撃たれてっ!」「いや待てこの矢、先端がタオルでくるまれてるぞ!」「無事だ!」「てか誰だ撃ったの?!」「ブショー系女子じゃね?!」「なんの恨み買ったんだコイツっ!」「あれ。なんか矢についてね?」「手紙じゃんコレ!」「ヤブミ?」「矢文か?」「名前かいてあるっ」「田中秀成殿?」「ヒデナリ?」「ヒデナリ宛てなん?」


 クラスメイトの視線が一斉に僕の方に注がれた。期待半分、興味半分。いずれにせよ面白がっていることは間違いない。


「ヒデナリ、矢文、読んでみろよ」


 友人の手により僕の机に矢文がぽんと置かれる。これは果たして誰がどんな目的で送ってきたのか。何が書かれているのか。猛烈に気になるが、人前で開けるのは憚られる。しかしこの状況で僕に選択肢はあるまい。


 丁寧に折り畳まれたそれを恐る恐る開こうとした直前、騒ぎを聞きつけた社会科の教師が教室に駆け込んできた。


 先生が倒れ伏す京太郎を見たことにより、教室は再び騒然となった。僕はとっさに矢文を机の中に放り込み、そ知らぬふりを決め込んだ。


 幸か不幸か、皆の見ている前で矢文を開く必要はなくなった。





 田中秀成殿


 先日は色々と世話になった。貴殿の助けがあったおかげで、私は無事に家に帰りつくことが出来た。心より感謝する。


 だというのにあの日の私は、貴殿に無礼な行いをしたように思える。恩人に対し刃を向けるなど言語道断である。如何ともしがたいとはこのことだ。混乱していたとはいえあのような行為をしてしまったことを、今となっては強く反省している。


 謝罪のためにこうして文を送ってはいるが、これだけで私の行為が許されるなど思ってはいない。今度、改めて礼をさせて欲しい。


 そこで急な話なのだが、次の土曜日、是非とも会えないだろうか? もし貴殿の都合が良ければ、その日の午前11時。池袋駅の東口前で待っているので来てくれまいか。もし都合が悪いようであれば文を送って欲しい。また日を改めることにしよう。


 では。会えるのを楽しみに待っている。


 織田信子



 矢文にはおおよそこのようなことが筆で書いてあった。果たし状ではなくて心底ホッとした。


 手紙を読み終えたところで僕は、京太郎が頻りに言っていた〝ブショー系女子〟のブショーの文字が、無精ではなく武将であることにようやく気が付いた。





 金曜日の夜。つまりは翌日、秀成との約束を控えた日のことである。私は産まれてこの方味わったことのない緊張感を噛みしめながら、道場で木刀を振っていた。本来ならば明日に備えて早く寝るべきなのだが、いくら床に就いたところで眠れそうになかった。


 大汗を流していると道場の扉が静かに開いた。見ずともそれが気配だけで杏花であることがわかったのは、今の私の神経がよほど鋭敏になっているからであろう。


「お屋形様、いよいよ明日ですね」


「そうだな。……しかし、本当に秀成は来るのか? お前の言う通りの文言を書き、お前の言う通りに矢文で誘いを送ったというのに、返事も無ければ、私のところに会いに来ることもなかったぞ」


「ご安心を。矢文で逢引の誘いなんてインパクト抜群です。あれで堕ちない男なんて、三千世界のどこにもいませんよ♡」


「逢引などではないッ! ただ……ただ私はもう一度秀成に会って、改めて礼を言いたいだけだッ!」


「はいはーいっ。そうでしたそうでした♡ お礼でしたねーっ☆」


 いかん。このうつけと話していたらまた緊張してきた。ただ礼を言うために会うだけなのだぞ。

落ち着け、落ち着け落ち着け!


 雑念を殺すため木刀を振り下ろす。ひと振り、ひと振り、明確な殺意を持って。形のないものにこんなことをしても意味はないというのに。


「お屋形様、そのような顔をしていては、秀成殿に怖がられますよ」


「一向に構わん。……しかし参考までに、私は今、どんな顔をしている」


「般若、または東大寺の金剛力士像。もしくは法隆寺阿修羅像の怒面か、あるいは――」


「もういいッ! 十分だッ!」


 私は木刀を杏花の顔面に目がけて投げつける。二本の指で難なくそれを受け止めた杏花は、女狐的笑顔をにこりと浮かべた。嗚呼、あの私の置かれた状況を心より楽しんでいるのを隠そうともしない表情が腹立たしい。


 ふと真面目な顔つきになった杏花は私に歩み寄り、おもむろに床へ坐した。何かと思えば、私にもそうするように言ってくる。どうせくだらぬことを言うのだろうが、ここまで来れば進む他あるまい。


 私は大人しくその場に坐して、「なんだ」と言い放った。


「お屋形様、こんな話を聞いたことはありますか? 女の恋とは、すなわち戦であると」


「知らん。そもそも恋ではない」


「相手を惚れさせたいのであれば、殺す気でかからねばなりません。首を刎ね、額を撃ち抜き、蹂躙するつもりでなければ」


「私の話を聞いているのか? 恋ではないと言っているだろう」


「貴女様は十分に魅力的なお方。気負わず、臆せず、普段通りの貴女を見せれば、秀成殿はきっと貴女にイチコロですっ♡」


「だから、惚れた腫れたの話ではなく――」


「お館様っ、ファイトっ! わたくしは影ながら応援しておりますからっ!」


「人の話を聞かんかッ!」


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