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恋に焦がれて本能寺 ~織田信子の受難~  作者: シラサキケージロウ
第一部 四話 そこそこキュートな私と一緒に
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そこそこキュートな私と一緒に その10

 僕の背中には木下さんがいる。少し歩いたところで、彼女が「もう歩けないー!」と駄々をこねて泣きべそをかいたので、僕が「背中をお貸ししましょうか」と提案するとぴょこんと飛び乗ってきたのである。


 木下さんは先ほどから、「嫌だよぅ」「嫌だよぅ」とうわごとの様に呟いている。「何が嫌なのですか」と尋ねると、「信子ちゃんに怒られちゃうの」と答えるが、何について怒られるのかまでは教えてくれない。それを尋ねると、彼女はまるで赤子の様にぐずり始めてしまうのである。つい数時間前までの妖艶な雰囲気はどこに置いてきてしまったのだろうかと思うほど、彼女はすっかり幼児退行してしまっていた。


 道は進むたびに分かれていったが、僕はその度に直感を働かせて進む先を選んだ。どうせどこかで道は繋がっているのだからと、半ば自棄になっている節もあったのかもしれない。


やがて木下さんはぽつりと呟いた。



「……ねえ秀成くん。なんでアタシに怒んないの?」


「困った時はお互い様です。女の子ひとり背負うのなんて、わけありませんよ」


「違うの。いまこんなことになってるのはアタシのせいなのに、なんで怒らないのって」


「まあ、正直に申し上げまして、木下さんがこんなことを出来るとは思えませんし」


「……じゃあ、もしも本当にアタシがこんなことをしたんだとしたら?」


「その時は、誤解を解いて、もうこんなことをしないで欲しいと頼みます」


「……誤解?」


「そうです、誤解。僕は織田さんと仲良くさせて頂いていますが、木下さんから彼女を取った覚えはありません。そもそも、織田さんは誰の物でもないんですから、取る取らないの対象ではないのです」


「でも、信子ちゃんったらアタシに会っても秀成くんの話ばっかりで……」


「それは恐らく、織田さんにとって高校で出来た初めての友人が僕だからでしょう。僕なんてどこまでも底が浅く、本来フライパンよりも面白みに欠ける男ですから、そのうちに飽きて僕のことなんて話題に出さなくなりますよ」


「本当に? 本当にそうかな?」


「本当ですとも。ですから、もしも木下さんがこの一件の真犯人であるとするなら、今後このようなことはしないでくださいね」



「そうする」と言った彼女は僕の背中から滑り降りて、「もう自分で歩くよ」と呟いた。「よろしいのですか?」と言いながらも、既に脚が限界に近かった僕は、内心非常に安堵した。


 いくつもの分岐点がある迷路のような道を直感任せに歩いて行くと、正面に白い光が見えてきた。薄暗いところを歩いていたせいで強烈に映るその光に思わず目を細めていると、そんな僕の横を木下さんが「出口だ!」と元気な声を上げて駆けていった。いったいどこにそんな元気があったのだろうかと思うほど、ハツラツとした駆け足であった。


 慌てて彼女の後を追うと、すぐに大きな広間に出た。全面石造りで、ここだけやけに整備されているようだ。正面には大きな門がある。徳川の家紋である三つ葉葵と、明智の家紋である桔梗紋が刻まれた黒光りする門だった。この部屋からやけに現代的な印象を受けるのは、ここだけしっかり手が加えられた造りになっているというのもあるが、何より天井に大きな白熱灯がぶら下がっているからであろう。


 ようやく帰れるらしいぞと実感し、僕はほっとため息を吐く――が、どうしたことか木下さんは、門の前で膝を突きがっくりとうなだれている。「何か問題でもありましたか?」と尋ねると、木下さんは「おおアリだよっ!」と叫びながら拳を門に打ち付けた。それがよほど痛かったのか、彼女は苦痛に表情を歪めながらその場をぴょんぴょんと飛び跳ねた。


「木下さん、大きな問題とはいったい何が起きたのですか?」


「この門、コッチからじゃ開かないの! 開かなかったら出られないのっ!」


「そんな馬鹿な。開かなければそれは門ではなく、ただの壁ですよ」


「嘘じゃないもん!」と再び幼児退行をしてみせた木下さんは、背中を門につけ足をふんばり、全力で体重を掛ける。その憤怒の表情から、彼女が本気を出していることは伝わるが、確かに門はぴくりともしない。しかし、箸より重いものを持ったことの無さそうな彼女のことだ。ただ単純に力が足りないだけと考えるのが自然ではないだろうか。


 僕は「手伝いますよ」と言って木下さんの隣に立つ。「アンタなんかじゃ無理に決まってるでしょ!」と毒づく彼女は、すっかり諦めたように門に背中を預け、体育座りを決め込んでいる。


「なに、僕だって一応男なんです。やるときはやりますよ」


 そう言って僕は門に両手のひらを当てる――すると、僕が力を入れるよりも先に、門はひとりでに開き始めた。これはさすがに予想外である。よもや、自動ドアだったとは思いもしなかった。


 ズズズと重そうな音を立てながらその身を引きずる門を前にした木下さんは「なにそれ」と目を丸くし、僕は「さっぱりわかりません」と答えた。





 杏花と共に私は喜多院まで走った。石畳の長い道を抜け、本殿を右手に進んで行けば、長可の言っていた池が見えてくる。長可から奪った本を読んだところによると、天橋立の出口は池のほとりにある小さな祠の下にあるらしい。池の付近を探してみれば確かに祠があって、動かした跡がわずかに残っているのを見るに、晴海の手の者がここから出入りして様々な作業をしていたであろうことは簡単に想像がついた。


 人目を忍んで祠をどかしてみれば、なるほど確かに人が一人通るのがやっとなほど細い階段が下に続いていた。降りていくと階段はすぐに広くなり、これがどうやら後から手を加えた結果だとわかるのは、真新しい土があちこちに残っていたからである。


降りた先にあるのは大きな広間であった。全面が御影石で加工されている空間で、正面には大きな門がある。徳川の三菱葵と明智の桔梗紋が描かれた黒い門だ。


試しに押してみたがびくともしない。杏花と共に押してみても結果は同じである。鉄製らしく、こればかりは杏花の一太刀もあっけなく弾かれた。


「……杏花。かくなる上は爆薬だ。早急に用意せよ」


「お屋形様! 地下空間でそのようなものを使っては危険です! 何が起きるかわかりませんよ!」


「ならば破城槌はじょうついなりなんなり用意せよ! でなければ私は、あの店から天橋立に降りて秀成を助けに行く!」


 そう言って私が門に拳を打ち付けた、まさにその瞬間であった。目の前の門が勝手に開き始めた。開いた理由はわからないが、これこそまさに天からの恵み。これに乗じて秀成を探すしかなかろう。


 門が完全に開くのを待てず、僅かに出来た隙間から私が天橋立に乗り込んだその時であった。私の視界に秀成と、ついでに晴海が飛び込んできた。


 何がなんだかわからなくて、私は阿呆のように口を開け、ただ唖然とすることしか出来なかった。それは向こうも同じことのようで、二人ともしばらく私のように立ち尽くしていたが、晴海が「信子ちゃん!」と嬉しそうな声を上げたのを皮切りに、私達は時を取り戻した。


 手始めに私は、両手を広げて駆け寄ってきた晴海の額に頭突きをかました。そして、悶絶しながらうずくまる奴に「馬鹿者」と吐き捨てた。


「い、痛いじゃん! なんでこんなことするのよ!」


「それは私の台詞だ。お前、何故このように馬鹿なことをした?」


「それは」と言葉に詰まる晴海に私は再び頭突きをかます。「イタイイタイ!」と喚きながらその場に転がる晴海を見てやや溜飲が下がった私は、続いて秀成に声を掛けた。


「秀成、大事ないか?」


「僕は問題ありません……が、木下さんが、たった今猛烈なダメージを受けたように見受けられますが」


「これは問題ない。すぐに立ち直る」


「それは否定しません」


 巨大な迷宮を案内無しで歩いてきたとは思えない態度の秀成に、私は思わず笑みをこぼす。まったく大した男だ。


「しかし、ここはいったい何なのでしょうね。まるで迷路のような場所でしたが」


 秀成はそう言いつつ、自らの背後に伸びる通路を見た。


 上手い言い訳が思い浮かばず私が答えあぐねていると、すかさず杏花が「ケッコー昔に開発中止になった、超巨大地下遊園地の名残らしいよ」などと噓八百を並べた。これにはさすがの秀成も騙されるわけがないだろうと思っていたが、「そうなんですか」と目を丸くしているところを見るに、どうやら本気で信じているらしい。安心すると同時に、どこかこの男が心配になった。私がついていなければ駄目なのだろうなという、都合の良い考えが頭を巡ったりもした。


 それから晴海が「もうこんなところにいたくない」と駄々をこね始めたため、私達は天橋立を後にして、喜多院内にあった縁台に並んで腰かけた。腰を落ち着けたその瞬間に、身体の奥から疲れがどっと溢れてきて、私は大きな息を吐く。杏花が気を利かせて買ってきてくれた、不自然に甘いソーダ水を一口飲むと、それが不思議と無性に美味く感じた。これほどまでに美味い飲み物は、この世にふたつと存在しないだろうとさえも思った。


 私達四人はソーダ水を飲みながら、夕焼けに染まっていく喜多院を眺めてぼんやり過ごした。こんな一日であったにも関わらず、誰も何かを話そうとしないのは、恐らく誰もが口を開く体力を持ち合わせていないのだろう。


 私も、今日の一件について晴海に文句を言うのは後回しにしようと決めて、たゆたう時間に身を任せている。ただでさえ疲れているところにこの女の相手をするのは、体力、気力、その他諸々の無駄遣いである。


 しばらくそのまま過ごしていると、やがて覚えのある顔の男が、二十人ばかりの集団を引き連れて私達の元までやってきた。誰かと思えば例の軽薄な男――京太郎だ。奴の背後に控えた集団は晴海の従者である。皆一様に顔に青あざを抱えており、何かひと悶着あったことをうかがわせる。


 京太郎は「無事だったかよこの野郎!」と秀成の背中を嬉しそうにばしばしと叩いた。


「とりあえずはね。ところで、その人達は?」


「お前を探してる時に仲良くなってな。木下さんの〝ファンクラブ〟だってよ。この人達も、木下さんを探してたんだと」


「そりゃまた凄いね。さすがって感じ」


 そんな呑気な会話を横で聞いていた晴海は、ふいに手のひらを二度打ち鳴らす。するとその合図を待っていたかのように、従者達が慣れた手つきで何やら組み立て始めた。何かと思えば小さな神輿である。何となく嫌な予感を覚えていると、案の定、奴はその神輿に静々と乗り込んだ。前々から思っていたが、奴は雅というものを履き違えている。


「じゃあウチ、そろそろお暇するわぁ。ほな、またな、みんな。今日は楽しかったわ」


 下手な京ことばに戻った晴海は緩やかに手を振り、従者の担ぐ神輿に乗って去っていった。うつけとしか言いようの無い。


「なんか、ああいうのって木下さんらしいですね」と秀成は感心したように呟く。


「ああ、根っからのうつけだ」


 そう吐き捨てつつふと周りを見れば、いつの間にか杏花の姿がない。ついでに、京太郎の姿も見えない。突然現れたと思ったら突然消えて、これではまるで忍びである。


 勝手なものだと内心思い、息を吐いたその瞬間、私は「もしや」と気づきを得た。


〝だぶるでぇと〟などという、複数人によるいびつな形での逢引はたった今終了した。いまこの場にいるのは、私と秀成の二人だけ。ならばこれは、正当な形の逢引と呼んでも過言ではないのでは? 戦とまでは呼べぬかもしれないが、紅白戦、あるいは試合と呼んでも誰も咎めないのでは?


 頬が赤くなってくる。駄目だ、落ち着け。冷静になれ。そう自分に言い聞かせるたびに、訳が分からなくなって腰の刀に手が伸びる。いかんぞ、信子。それは駄目だ。男女の戦はまだ早い。逸るな。機を待て。城を落とすにはまず堀を埋めよ。白兵戦はその後だ。


 高速で回転する私の思考を、秀成が「織田さん」のひと言で止めた。


「柴田さんも京太郎も、いつの間にかどこかへ行ってしまったようです。僕達も行きましょうか」


 どこへ行くのか尋ねると、秀成が答える代わりに奴の腹の虫が悲鳴を上げた。恥ずかしさを誤魔化すように笑った秀成は、「申し訳ありません」と頭を下げる。


「お腹が減ってしまいまして。織田さんのご都合がよろしければ、駅前で何か食べていこうかなと」


 この誘いを断る理由など、世界中のどこを探しても存在しない。

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