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恋に焦がれて本能寺 ~織田信子の受難~  作者: シラサキケージロウ
第一部 四話 そこそこキュートな私と一緒に
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そこそこキュートな私と一緒に その9

 着ていた浴衣から制服に着替え、木下さんと共に横穴を進んでいくと、すぐに開けた場所に出た。洞窟のような場所ではあるが、所々に弱い光を放つ珠が埋め込まれていることから、人の手が加えられていることがわかる。人が作ったものならば出口もあるだろうと、僕はそこで少しだけほっとした。


 しばらくその場所を調べるうちに、僕達が出てきた横穴以外にも進むことのできそうな通路を二本見つけた。両方とも、地面に大きめの敷石が敷き詰められただけの簡易な通路であった。どちらを行くべきか迷ったが、迷路を抜けるには右へ進むとよろしいとどこかで聞いた覚えがあって、僕は右の通路を選んだ。


 僕は木下さんに「行きましょう」と声を掛け、通路を指さした。


「きっとこちらが出口です」


 力なく「うん」と呟いた木下さんはよたよたと歩き始めた。


 僕達は共に薄暗い通路を進んだ。光る珠はこちらにも等間隔に埋め込まれていて、気を付けながら歩くのであれば問題ない程度の明かりは確保されている。こうなると、先ほどちらりと顔を覗かせた楽観主義がいよいよふんぞり返り始めて、僕を無暗に強気にする。「これはもう、帰れたも同然だ」などという考えが支配的になる。


 一方の木下さんはそうもいかないらしく、その歩き方には全く覇気がない。肩を落として、半ば足を引きずるように進む様は、さながら大学受験に失敗した浪人生か、そうでなくともゾンビである。

 僕は木下さんに「大丈夫でしょうか」と声を掛けた。一度目、二度目は反応が無かったが、三度目になって「だいじょーぶでしょーかー!」と声を張り上げると「聞こえてるよっ!」と返事が返ってきたので安心した。


「よかった。返事が無かったので心配しました」


「……ほんま胆が据わっとるなぁ、秀成くん。尊敬するわぁ」


「こんな時でも、褒められたら悪い気はしないものですね」


「無神経って意味! 皮肉くらいわかってよ!」


 僕が「すいません」と頭を下げると、木下さんは「もうイヤーっ!」と頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまった。「ご気分、優れませんか」と声を掛けると、彼女は「サイアクに決まってるでしょ!」と涙声で喚いた。彼女の言葉遣いは、はんなりとした京ことばから一転、いつの間にかわがままな子どものような言葉遣いに変わっていた。


「なんでわたしがこんなことに巻き込まれなくちゃいけないの! なんでこんなサイアクな一日なのーっ!」


「落ち着いてください。騒いでは体力を消耗します」


「うるさい! だいたい、全部アンタが悪いんだから!」と好き勝手に当たり散らした木下さんはさらに続ける。


「アンタを襲わせようとして用意した親衛隊はみんなそろって誰かにやられてるし! よくわかんない男は突然現れるし! それでもなんとか予定の通りに事が運ぶと思ったら、アンタと一緒にこんなところに落とされるし! なんで! どうしてうまくいかないの!」


「お待ちください。さっぱり訳が分かりません」


「なんでわかんないの?! アンタが全部悪いってこと! 信子ちゃんをアタシから取ったアンタが全部! わーるーいーのー!」


 ヒステリックな彼女の叫びがどこまでも反響した。





 店を出た私は杏花に従い川越の街を駆け抜けた。道中すれ違った、血眼になって辺りを見回しながら駆けていったあの一団は、恐らく晴海の従者達であろう。あの女、本当に秀成と共に落ちたらしい。自分で仕掛けた罠に自分で嵌るとは、まったく度し難いうつけである。


 蔵造の町並みを通り抜け、時の鐘の横を通り過ぎ、役所を左手に見ながら進むと、到着したのは川越市にある博物館であった。「観光をする気はないぞ」と言うと、杏花は「わかっております」と言いながらも館内へと入っていく。何のつもりかとも思ったが、しかし今は杏花ばかりが頼りだ。ついて行く他あるまい。


 平日ということもあってか、館内は酷く閑散としていた。見物客も皆無である。これでは博物館の名が泣くというものだ。


 杏花は真っ直ぐ受付に歩いて行くと、そこで暇そうにしていた館員に「失敬」と声を掛けた。


「館長はいらっしゃいますか?」


「……失礼ですが、どういったご用件でしょうか?」


「柴田の家の者が来たと伝えれば、すぐにわかるかと」


 不思議そうな顔をして「お待ちください」と言った店員がどこかに電話を掛ける。するとそれから五分ほどして、眼鏡を掛けた老人が軽やかな足取りで現れた。この男が館長なのだろう。


 館長は杏花に一礼し、続いて私にも深々一礼した。「お久しぶりにございます、信子様」と口にしたところをみるに、これは私と会ったことがあるらしいが、記憶の頁のどこを開いてもこの男の顔は見当たらない。


「悪いな。会ったことがあるらしいが、私はお前の顔をすっかり忘れてしまったようだ」


「無理もありません。何せ、私と信子様がお会いしたのは、信子様がまだ一歳かそこらのころでしたからな」


 そう言って館長は嫌味なく微笑んだ。豊かな品性の漂うその微笑みは、家柄の良さをうかがわせた。客のいない博物館の館長にしておくには惜しい男だ。


「しかし、柴田様がここへ来られたということは、今は再会を喜んでいる場合ではないのでしょうな。さあ、どうぞこちらへ」


 館長の案内に従い、私達は博物館を進んだ。入ってすぐの大きな展示室にある、十畳ばかりある川越の街の模型の前で立ち止まった館長は、模型を覆う硝子に手の平を置いた。


 何やら足元から大きな音が響いてくる。何事かと身構えていると、やがて模型が中央から二つに割れる。するとそこには果てが見えないほど長く続く階段が、口を広げて待っていた。とんでもないからくり仕掛けだ。まるで忍びの城である。


 常夜灯のような薄橙の照明で、辛うじて照らされている階段を降りていくうちに、館長は「丹羽長可にわながよしと申します」と名乗った。なるほど、織田家家臣、丹羽の縁者であったか。道理で私の顔を知っているはずだ。


「これは失礼致した。私、織田信子と申す。改めてよろしく頼む」


 私がそう名乗ると、長可は「よろしくお願い致します」と頭を下げた。


「さて、柴田様。今日はどういったご用向きですかな?」


「お屋形様のご友人二人が地下に落ちましてね。もしや、あの〝天橋立〟にいるのではないかと思いまして」


「……なるほど。それは一大事ですな」


 二人の会話が私の横を無意味に通り過ぎていく中で、しばらく階段を降りていくとやがて鉄製の大きな扉が姿を現した。まるで地獄へ続く門のような、重厚かつ黒い扉には、丹羽家の家紋である直違紋が描かれている。ふと不安を覚えて「どこへ連れていくつもりだ」と尋ねれば、長可は「川越の総てです」と笑顔で答えて扉を片手で押した。


 悲鳴のような音を上げながら扉がゆっくり開いていく。隙間から差し込む白い光に思わず目を細める。薄目を開けた先に待っていたのは、五十畳は優に超える部屋の四方壁面全てを覆う背の高い本棚であった。


 部屋に一歩入ると、甘ったるい紙の香りに酔いそうになる。本棚を見れば、背表紙の無い綴じ本ばかりがぎっしり詰まっている。


「なんだこれは」と私が思わず呟くと、長可は「壮観でしょう」とそれに答えた。


「表には出せない川越の歴史を貯蔵してある部屋でしてな。織田がここを掌握するより前の歴史も、もちろんここにあります」


「なぜこのようなものが?」


「博物館ですから。あらゆるものを揃えておく義務があるのです」


 そう言って長可は本の深海をゆっくり進んで行く。やがて奴はふと足を止め、棚の高いところへ手を伸ばして一冊の本を取り出した。


「その昔、家康殿は謀反などの万が一の事態に備え、江戸城から川越まで繋がる避難路を地下に作らせたそうです。なにぶん、掘削技術など現在のように高くはなかったものですから、工事は難航し、彼の生きているうちにはとうとう完成しなかったそうです。が……徳川三代目、家光殿の時代にようやく完成し、そしてそれは〝天橋立〟と名づけられました」


 そう説明しながら長可は、取り出した本の頁を開きそれを私に見せた。そこにあったのは、線と線が複雑に絡み合った幾何学模様である。「なんだこれは」と尋ねると、長可は「天橋立の地図です」と答えた。


「……つまり、秀成はいまこの複雑な迷路の中にいるというのか?!」


「地下に落ちたという話が本当であれば、あるいは」


 焦り、怒り、動揺、不安。様々な感情にかき乱されるまま、長可の手から本を奪い取った私は、一目散に部屋を出た。一刻も早く秀成を助けねばという思いだけが、今の私を動かしていた。


「天橋立の出口は喜多院にあります。友人方を救出に向かうのであれば、まずはそこへ行くのがよろしいでしょう」


 そんな長可の助言も、今は既に階段の下である。



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