そこそこキュートな私と一緒に その8
秀成と晴海の両名が店内から忽然と姿を消したことに私達が気付いたのは、十分ほど経ってからのことだった。京太郎に気を取られすぎたせいで、晴海への警戒が疎かになっていたらしい。あの女が何かしらやらかすということはわかっていたはずなのに、どこまでうつけなのだ、私は。
「どこ行ったんよ、二人とも。もしかして愛の逃避行? いや、んなわけねーよな。でも、いねーことは確かだし、ヤベーことも間違いねーよな。どーすっかなマジで。マジでどーすっかな」
京太郎の軽薄な語り口にも、どこか焦りが見え隠れしている。やはり、このような男でも友が心配なのだろう。
ゴミ箱の中から店内の厠まで探し回った京太郎は、「うがぁ」と獣のように唸ると、「こうしちゃいらんねー」と残して店を出て行った。恐らく秀成達を探しに行くのだろう。勝手に独りで動いてくれるのならばこちらにとっては却って好都合だ。いくら手数が減るとはいえ、あのような得体の知れない男と行動を共にするより、杏花と二人で動く方がずっと良い。
自らの頬を数度叩いて気合を入れなおした私は、「行くぞ」と言って杏花の手を引いた。
「秀成と、ついでに晴海を探しに」
「お待ちを。お屋形様、焦る気持ちはわかりますが、闇雲に探したところでは埒があきません」
「では、お前は何か当てがあるというのか?」
「考えてもみてください。晴海様はどちらかといえば策謀家。自ら動くというよりも、人を使って物事を成し遂げるような人物です。となれば、秀成殿と共に彼女も消えたというのは何か妙ではありませんか?」
「……つまり、二人が消えたのには、晴海ではない第三者の介入があると?」
「そうは思いません。だって、あの二人を同時にさらうことに利点なんて無いですもの」
「杏花、もったいぶるな。お前は何が起きたと言いたいのだ?」
「ぶっちゃけ、晴海様がご自分で仕掛けた罠にご自分で嵌ってしまったんじゃないですかねぇ。秀成殿と共に。ほらあの人、賢そうに見えて意外と抜けてるところもありますし」
「…………まさか、晴海はそこまで知恵の回らぬ女ではなかろう」
「確かに知恵は回るんですがねぇ」と言って口をつぐんだ杏花は、やがて言いにくそうに「まぬけじゃないですか」と身も蓋もないことを口にした。
……確かに晴海はまぬけだ。
幼少の頃、暗がりから突如として晴海の悲鳴が聞こえてきたことがある。何事かと思い、近づいて理由を尋ねてみれば、私を驚かそうと暗がりに隠れていたところ、蜘蛛に噛まれて逆に自分が痛い目に遭ったと聞いた。
十歳くらいの頃、部屋で本を読んでいたら突然晴海が部屋にやってきて、涙目になりながら私に頭を下げたことがある。何事かと尋ねると、私を驚かそうと忍んで私の家にやってきたはいいが、爺に見つかり散々叱られたらしい。
去年、「最近になって西洋将棋を始めた」と晴海が言うので、試しに相手をしてみたら、思いの外あっけなく打ちのめしてしまい泣かれた覚えがある。後から聞いた話だが、丸一年修行を積んで万全の態勢で私との勝負に臨んだにも関わらず、いとも容易く負けたので、それが悔しくて泣いたらしい。
こういう点が、晴海が狸と呼ばれる所以である。つまりあの女は杏花のような〝狐〟と違い、簡単に尻尾を出す女なのだ。
「……確かに、考えられなくもないな」
「でしょう。で、そうなれば怪しいのはアレです」
そう言って杏花が指をさした先には、何やら風呂敷に荷物を纏めている店主の姿があった。まるで、「これから私は夜逃げをします」と言わんばかりの行動である。
何も言わずに刀を引き抜いた私は、その切っ先を店主に向けた。
「おい、店主。聞きたいことがある」
「なんでしょう」と恐る恐る振り返った店主は突き付けられた刀を前にして、へなへなとその場に座り込み、「私じゃないんですぅ」と情けない声を上げた。この男、やはり何か知っているらしい。
「知っていることを話せ、全てだ」
「私はただ、木下様に頼まれてやっただけなんですよぅ。やらないと、この店を潰すって言われたんですよぅ」
店主が涙ながらに語ったところによると、つまりはこういう話である。
つい最近のこと、店にふらりと晴海がやってきた。開口一番、「えぇもん取り揃えとるなぁ」などと嫌味を言い放った晴海は、店主にこう続けた。
「これからの長い人生、路頭に迷いたくはないやろ? せやったら、ウチに力貸してな」
もちろん店主とて、所有する領土は小さいながらも一国一城の主である。彼は失礼な物言いをした晴海を追い返し、玄関に塩を入念にまいた。しかしそれからというもの、店に迷惑な客が出入りしたり、店の品に文句をつける客が増えたりと悪質な嫌がらせが続いた。店主はそれでもじっと耐えたが、果てには店の正面の通りで、無料で浴衣を貸し出す者まで現れまったく商売にならなくなったため、とうとう観念した。
こうして彼は晴海に服従を約束した。店の経営権を握った晴海は、この店にとある細工を施したという。
「して、その細工というのは?」
「こちらです」と店主が案内するのに従って進んでみれば、そこにあるのは浴衣に着替えるための、幕で仕切られた小さな部屋であった。
「こちらの試着室の床に何やら細工をしていらっしゃいました。詳しいことはわかりませんが……」
言われて床を見てみたが、おかしなところは何もない。刀の柄で叩いてみても、天井から怪しくぶら下がる紐を引っ張ってみても、何かが起きる気配は無い。
試しに床を斬りつけると、表面の木板が両断されて石の扉が現れた。しかし、いくら押しても引いてもびくともしない。こればかりは斬りつけても刃が弾かれるばかりで無駄である。この下に秀成がいるかもしれないというのに、なんという様だ。
自らの力の及ばなさに私が歯噛みしていると、「少し失礼」と言った杏花が、私の刀を取り、目を固くつぶった。
空気がぴんと張りつめたかと思いきや――抜刀、一閃。石の扉は一呼吸するうちに、杏花の手により両断された。頼りになる女だと思うと同時に、非力な自分が情けなくもなった。
扉の先にあったのは傾斜のある空洞であった。秀成はここを滑り落ちていったに違いない。どこまで続いているかもわからない穴を前に、私の身体は恐怖で震えたが、事は一刻を争う。怯えている場合ではない。
意を決した私は目の前の穴に飛び込んで行こうとする――が、そんな私の腕を杏花が掴んで止めた。
「お待ちください。この先に何が待っているのかわからないまま飛び込むおつもりですか?」
「そうだ。悪いか」
「ええ、悪いですとも。お屋形様まで探す羽目になったら、まったく七面倒です。勘弁して頂きたい」
「七面倒とはなんだっ! 秀成の危機なのだぞっ!」
「落ち着いてください、お屋形様。晴海様はまぬけな方ではありますが、ゆえに人の命まで取ろうとする性格ではありません。お二人は生きていらっしゃいます、必ず」
私に優しくそう言い聞かせた杏花は、私の手をぎゅっと握った。暖かく、不思議と気持ちが落ち着いてくる手の平だった。
「あたしに思い当たる節があります。ついてきてください」