そこそこキュートな私と一緒に その6
商店街を歩いているうち、僕達は倒れている人を合計で五人も見かけた。しかも、どれも屈強な男性ばかりである。やはり人間は筋肉では太陽に勝てないと、僕は改めて実感した。
しかし不思議なのは、倒れている人を見るたびに木下さんが狐につままれたような表情を見せたことである。先ほど、倒れている人を見た時も似たような顔をしていたし、彼女は不安になった時にこのような顔をする人なのかもしれない。
商店街を抜けたところに川越の銘菓を売る土産物屋がある。そこの敷地内にベンチを見つけた木下さんが、「休憩していかへん?」と提案したのを受けて、僕達は並んでベンチに腰掛けた。
敷地内で売っていた〝いも恋〟というまんじゅうとお茶を人数分買ってきた僕は、それぞれふたりに手渡した。
「あら、気が利くんやねぇ。秀成くん、モテるやろ?」
「そんなことはありませんよ」とは言いながらも、褒められれば悪い気はしないのが男子に産まれた者の性である。思いがけずに照れていると、織田さんから「シャンとしろ」と撥ねつけられて、僕は背筋をぴんと伸ばした。
〝いも恋〟はその名の通り、さつまいもとつぶ餡を、少し塩っぽくてもちもちした皮で包んだまんじゅうだった。その優しい味は、織田さんと木下さんの間に漂う剣呑な空気を少しだけ忘れさせてくれた。
一足先にいも恋を食べ終えた木下さんは、「少し失礼しますぅ」と席を立つ。残された僕と織田さんは黙々といも恋をかじり、お茶をすすった。
織田さんは前を見据えながら、もごもごと呟いた。
「……秀成、〝友人〟として忠告しておいてやる。あまり晴海に鼻の下を伸ばさない方がいいぞ。あいつは狸か、もしくは蛇のような女。惚れてただで済む相手ではない」
「ほ、惚れてなんていませんよ。滅相なことを言わないでください」
「見栄を張るな。わかっているんだ。奴の顔の良さと、人当たりの良さは。そして、その見てくれに騙される男が多い点も同じくな」
「で、ですが、本当に惚れたなどということは」
「それ以上言うな」
それから僕は織田さんに弁明を繰り返したが、それは全て無駄に終わった。今は何を言ってもきっと信用してもらえないのだろうと悟った僕は、諦めて話題を変えることにした。
「……織田さんと木下さんって、どんなご関係なんですか?」
「知ってどうする?」
「いえ。少し気になりまして」
「……昔から私にちょっかいを出してくる、気に食わない相手だ。しかし、その関係も昨日まで。今日からは仇だ」
「か、仇ですか?」
「そうだ。なんとしても撃ち滅ぼさねばならぬ仇だ。斬り伏せ、射抜き、踏みつけねばならぬ相手だ。恨むなよ、秀成」
「う、恨みはしませんが、物騒なことは止めておいた方がよろしいかと……」
織田さんの瞳に出会ったばかりの時の武将っぽさが戻ってきた。僕が思わず通りの方に目を逸らすと、予想だにしていなかった二人組が視界に映った。
嬉しそうにぶんぶんと、こちらに向けて手を振っているのが京太郎。そして彼の隣で落ち込んだようにガックリ肩を落として立っているのが柴田さんだった。
「なぜあのふたりが?」と僕は首を捻った。
☆
何故、あの軽薄そうな秀成の友人――四王天京太郎という男と杏花が共にいるのだ? そして、何故あの男はあんなに嬉しそうなのだ?
浮かぶ疑問を処理するべく話を聞こうと思ったが、私が動くまでもなく、秀成があの男に「なんでふたりがここにいるの?」と聞いてくれたので助かった。あの男の語り口は聞いているだけでも何となく不安になるというのに、もし直接会話したらと思うとぞっとする。
「よくぞ聞いてくれました」と京太郎は無意味に胸を張った。
「秀成がコソコソ教室出てったのを見て、俺ピンときたわけ。コイツ、何か隠し事してるなって。で、後をつけてってビックリ。ウワサの交換留学生と腕組んで歩いてんだからよ。しかも校門ではあの武将系女子織田さんとも合流ってんだから驚きの二乗だよな。俺、思ったのよ。『羨ましい、ヤベー、羨ましい、ヤベー。こうなりゃ、デートの一部始終をばっちり観察して、明日クラス中に言い触らしてやろう』ってな。で、そっからの俺はスパイモード。気分は007。てか、日本人だから忍者? ま、何でもいいけど。とにかくバレないように秀成たちを追いかけてたわけ。キミタチがきゃっきゃうふふと楽しみながら歩いてるのを、俺は涙を呑んでジーっと見てたわけ。そしたらどうよ? 目の前に天使、もとい柴田さんが降臨したの。聞けば、柴田さんも親友の織田さんが心配で付けて来たってんだから、これってもはや運命? なんて思った俺は提案したんだよ。『それならいっそ、俺達もあそこに合流してダブルデートにしません?』って。そしたら柴田さん、なんて答えたと思う? 『喜んで』、だぜ? 俺、思ったね。今日死ぬんじゃないかって。マジ命日なんじゃないかって。ま、死なねーけど」
矢継ぎ早に展開される要領を得ない無駄話に次ぐ無駄話を、秀成は「あれかな」と無理やり遮ったが、なかなか次の言葉に苦労している。そんなところに晴海が戻ってきて、「なんなんこの人ら」と目を丸くして言い出したので、事態は混迷を極めた。
京太郎が先ほどと同じように説明するのを秀成が遮り、簡潔に話を纏めて説明を終えたところで、奴が「どうスか」と躍り出てきた。
「しません? ダブルデート。悪くないと思いますけど。てか、思い出作りにはむしろ最高、的な? というか、これはもう決定事項。てか拒否権は無いカンジなんで。じゃないと、明日は秀成が大変なことになるんで。男子連中に詰められて道頓堀に浮かぶことになるんで。てことでひとつヨロシク」
「なんなん、この人」と晴海は改めて私達に小声で尋ねた。それを聞きたいのはこちらの方だ。なんだというのだ、あのうつけは。声を聞いているだけで脳が退化するのではないか、という錯覚さえも覚える。
私は刀に手が伸びそうになるのをぐっと堪えながら、「御免被る」と男の提案を両断した。そこに「そうやねぇ」という晴海の援護射撃、さらには秀成の「ふたりがそう言ってるから」という追い打ちまで加わり、戦の勝ちが見えてきた。
しかしこちらが極めて有利の戦況を一気に覆す一言を放つ者がいた。それは他ならぬ杏花であった。
「いーじゃんいーじゃん! 行こうよ、みんなでさ!」
聞き間違いかと思う言葉に、私は声も出せないほど驚いた。この女、何を考えているのだ?
唖然とする私の肩に手を置いた杏花は、満面の笑みで「ノブちゃんもいいよねっ!」などと言い放つ。「いいわけがあるか」と唇だけ動かして抗議すると、杏花は私の耳元に口を寄せ、「ここはあたしに合わせてください」と呟いた。どうやら、何か複雑な理由があるらしい。
私は「わかった」と小さく頷き、秀成と晴海に「行くぞ」と合図した。
「アレも連れていく。なに、弁士か道化を供に加えたと考えればいいだけの話だ」
「な――ダメよ、信子ちゃん! 今日はウチらだけの日!」
「そー言わないでくださいよ木下さんっ。人数は多い方が楽しいっスよ?」
「ダメったらダメ! だいたい、なんなんアンタ。突然出てきたと思ったら勝手なこと――」
「いいじゃねぇか。それとも、なんだい。俺達がついていくことで何か問題でも起きるってのかい?」
その時、京太郎の纏っていた雰囲気が途端に豹変した。鋭く尖った針のような、触れれば刺されるそんな空気。
その空気に圧されたのか、晴海は「それは」と呟いたきり固まっている。
木下晴美はただのむかつく女ではない。それなりに場数を踏んでいるし、幾度と修羅場をくぐっているはずだ。それを相手取り、雰囲気だけで圧倒するとは――。
この男、ただの軟派者だと思っていたがそうではない。恐らく、杏花が不可解な行動を取った理由もこの男にあるのだろう。
警戒心を強めた私は、いつ何時事が起きてもいいように刀を抜く心構えを固めた。