そこそこキュートな私と一緒に その4
交換留学生・木下さんの噂は瞬く間に校内に広まり、休み時間になるごとに様々な人が教室を覗きに来た。京都からの留学生だなんて前代未聞だと思うので、こういう事態もある程度は仕方のないことだと思うのだが、木下さんときたら誰かが彼女に話しかけようとするたびに、「ウチと話したい人はまずマネージャーを通してな」などと言って僕の背中を押すのでたちが悪い。彼女の行為は、手近な足軽の手足を縛りつけて矢面に放り出すのと同義である。
おかげで僕は一時間目終了後の休み時間から、「お前と話すために来たんじゃない」「なんでお前があの子とあんなに親しいんだ」「お前ばっかいい思いしやがって」などと非難の集中砲火を一身に受け続けている。これでは到底心身が持たないだろうと思いきや、三時間目終了後の休み時間になった辺りからは、叱責、揶揄の雨あられを「まあまあ」の四文字で受け流す術を身に着けたので、人間の慣れというものがいかに恐ろしいかがよくわかる。
四時間目の現国の授業中、木下さんはノートを書くふりをしながら僕にこっそり話しかけてきた。彼女とは教科書を共有するために互いの机と机をくっつけているので、囁くような小さな声でもよく聞こえた。
「なあ、秀成くん。信子ちゃんって知っとる?」
信子ちゃんと言われて思い当たる人物はひとりしかない。僕はノートを取りながら、「織田さんのことなら」と答えた。
「そ。その織田さんのこと。もしかしてやけど、ふたりってお友達やったりするん?」
「そうですけど……。そういう木下さんは織田さんと知り合いなんですか?」
「ただの知り合いやないよ。幼馴染って言うか、腐れ縁って言うかは微妙なところやけど」
なるほど。木下さんから高貴な雰囲気が漂っている理由がこれでわかった。天下無敵の箱入り武将娘である織田さんと幼馴染ということは、つまりは彼女もまた由緒正しき名家のお嬢様なのだろう。武将かどうかは定かではない。
「木下さん、僕からもひとつよろしいですか?」
「ウチが答えられるようなことなら、なんなりと」
「昔の織田さんって、どんな子だったんですか?」
「……そんなこと知ってどうするつもりなん?」
その呟きの冷たさに僕は思わずぞっとした。殺気めいたものさえ感じて、木下さんの方をちらりと見てみれば、彼女の瞳は真っ直ぐ僕を見据えていた。冷たい刃物を首筋に押し当てられているような気分だった。
「す、すいません。ただ、僕って織田さんのことを何も知らないなって思っただけで――」
「じょーだんやって。そんな怖がらんでもえぇのに」
笑顔に戻った木下さんは、いたずらっぽく僕の頬をつんと突いた。
「放課後、ウチと遊びに行かん? そこでなら、信子ちゃんのこと教えたってもえぇよ」
☆
昼休み。誰もいない教室で刀の手入れをしていると、杏花がふらりと現れた。大きくあくびを隠そうともせず、おぼつかない足取りでのっそりと歩く様は、無駄に大きな胸も相まって牛を思わせる。あれならば、長年かすりもしなかった一太刀を浴びせることが出来るやもと思い、刀をそっと脇に置き、代わりに握りしめた鞘を頭に向けて振り下ろしてみたが、杏花は難なくそれを受け止め、「なんですか、急に」と言いながら眠たげにまぶたを擦った。
今の状態が隙でないとすれば、この女の隙はいったいどこに存在するのか。
「で、何をしに来たのだ」
「突然襲い掛かってきた人が言う言葉ですか、それ」
杏花は私から鞘を取り上げると、それを机の上に置いた。
「お屋形様にとっては捨て置けないであろうことが起きたので、一応ご報告をと思ったのですが……聞きたいですか?」
「念のために聞いておこう。何が起きた?」
「〝京都会議〟の晴海様がこの学校に交換留学生としていらっしゃったということは、既にご存知かと思われますが――」
「待て」と私は杏花の言葉を遮った。今、聞き捨てならない、というよりも聞いてはならない名前が聞こえた気がする。まさか、あの晴海がここへ来たのだろうか。いったい何のために、と考えれば考えるほど頭が痛い。
「おや。もしかしてご存知ありませんでした? これほど学校中の噂になっているのに?」
「初耳だ。……知らなくてもよかったかもしれんがな」
「知っておいた方がよろしいかと思われますよ。何せ、秀成様にも関わりのあることですから」
「話せ。すぐに話せ。あの女は秀成に何をした」
「それほどのことではありませんから、どうか落ち着いてください」
これが落ち着いていられるものか。杏花ほどではないにせよ、あの女も何を考えているのかいまいちわからない奴なのだ。首を取りに来た……とまでは考えられないが、どうせろくでもないことをしに来たに決まっている。
「もったいぶるな」と私が杏花に詰め寄ったその時のことだった。教室に誰かが入ってくる足音が聞こえた。こんな大事な時にどんな無礼者かと、刀に手を掛けつつ見れば、それは渦中の人物である晴海であった。
全身の毛が逆立つのを感じると同時に、私は刀を上段に構えた。
「おジャマ~」とひらひら手を振る晴海は跳ねるような足取りでこちらに近づいてくる。寄らば斬る、というこちらの意思表示など意に介していない表情だ。
「……何をしに来た、晴海」
「それって、この学校に来た理由? それとも、この教室に来た理由?」
「両方だ。返答次第では斬るぞ」
「嫌やわぁ、怖いわぁ。信子ちゃん、それじゃ、〝普通の女子高生〟には程遠いよ?」
けたけたという癇に障る晴海の笑い声が教室の空気を揺らす。
「この学校に来たんは、秀成くんに会うため。で、この教室に来たんは、信子ちゃんに報告するため」
「早いところその報告とやらをして、ここから出ていったらどうだ?」
「そうするわ」と言って晴海はひらりと背を向ける。
「今日の放課後、秀成くんとデートすることになったんよ。それを一応教えとこ思って」
晴海の言う〝でーと〟という単語が何を指すのかはわからなくて、しばし反応出来ずにいると、杏花が横からこっそりと「人目をはばからぬ逢引のことです」と教えてくれた。
なるほどという理解と同時に、全身の血液が沸騰を始める。
つまり、この女は秀成のことを白昼堂々連れまわそうというのか? 私だってまだ一度しか経験してないことを、この女は秀成と出会った当日に実現しようというのか?
そんな狼藉、例え天が、地が、太陽が許そうともこの私が許すものか!
怒りの感情が髪の先からつま先までをも満たすと同時に、身体中の細胞が開いていくのを感じる。私は顔が熱くなっているのを感じながら「ふざけるなッ!」と声を荒げた。
「秀成に指一本でも触れてみろッ! ただじゃおかないからなッ!」
「触れるに決まってるやん。手ぇくらい繋ぐに決まってるやん。だって、デートやもん」
「斬る! 斬ってやるぅ!」
いよいよ斬りかかりそうになる私を、杏花がへらへら笑いながら「抑えて抑えて」と止めてくる。刀を片手に羽交い絞めにされる私は、さながら忠臣蔵の浅野内匠頭だ。私達の様子を見る晴海が涙まで流しながら笑うので、こちらとしてはますます腹が立つ。いったいどういう捻くれた育ち方をしたらこのような女が生まれるのだろうか。
ひとしきり笑った晴海は、光る眼もとを指先で拭った。
「いやあ、いいモン見させてもらったわ。せやからご褒美。秀成くんとデートする権利、半分だけ信子ちゃんに譲ってあげる」
「要らんそんなものッ!」
「ええー? 悪い話じゃないと思うけど。秀成くんの右半分は信子ちゃん。左半分はウチ。つまり――」
〇
「――ということで、放課後のデートに信子ちゃんが加わることになったんやけど、ええかな?」
木下さんがそんなことを言い出したのは五時間目、日本史の授業の途中のことだった。別に織田さんが来るは構わないし、むしろ大歓迎なのだが、デートと形容されればこそばゆくて仕方が無くなる。
「放課後、とびっきり可愛い女の子ふたりに囲まれてダブルデートなんてエエなあ。ニクい色男やねぇ」
他人事のようにそう言って、木下さんはくすくすと笑う。
確かに、両手に花は世界全高校生男子の憧れと言って過言ではないかもしれない。だがしかし、木下さんの笑顔の裏には何か裏が隠れていそうな気がしてならない。理屈抜きにそう感じさせる何かが彼女にはあるのだ。そもそもダブルデートとは、二組のカップルが一緒にデートをするものであるから、木下さんはダブルデートの意味をはき違えていると言わざるを得ない。彼女のことだから、わざとではあるかもしれないが。
出自不明の不安をどうしても拭いきれなくて、僕が答えあぐねていると、木下さんは「それで」と言いながら笑顔をずいと近づけてきた。上品な香を纏わせたその笑顔には、こちらの判断力を奪う魔力めいたものが込められていた。
「どうするん? イヤって言うなら、信子ちゃんには諦めてもらわないかんし」
「嫌って言うわけじゃないですけど……」
「なら、決まりやね」
木下さんは僕の手を取ると、自らの小指と僕の小指を絡め、指切りげんまんを小声で唄った。彼女の一挙手一投足は、少しでも気を抜けば即座に骨抜きにされるほど優雅な魅力に溢れていた。
「楽しい放課後にしよな、秀成くん」